時代小説人物評伝

参の弐 謀将篇

楠木正成 (くすのきまさしげ:1294〜1336)

 魔帝後醍醐天皇の大忠臣大楠公。元祖悪党。

 姉か妹が伊賀に嫁ぎ、生まれたのが能の大成者観阿弥である。

 山風版 「婆娑羅」 関連作品「忍法創世記」・「室町の大予言」

 婆娑羅の代名詞たる佐々木道誉より「マトモに見えるが、狂気めいたことにおいて、途方もない大婆娑羅」と評される。

 その変幻自在の兵法が忍法に通じるとする。また楠木党の生き残りが伊賀に奇怪なる忍法の種をまく。(「忍法創世記」)

 彼が作戦決定に用いたとされる「くすのき籤」、いまで言うあみだくじが6代将軍の決定に用いられる。(「室町の大予言」)

関連稿 忍法帖謎解録 初級編 忍法の起源

佐々木道誉 (ささきどうよ:1296〜1373)

 南北朝時代の大名。婆娑羅の代表格。

 山風版 「婆娑羅」

 山風版「太平記」である本作品で主人公(狂言回し)として活躍する。

 天下に野心を持たず快楽を窮め尽くすことを人生の目的とする。混沌の世を生き残る為に無道徳(反道徳にあらず)に徹する。高師直・師泰兄弟や足利直義を手玉にとって滅ぼすが、最後には魔童子によって留めを刺される。

 鬼夜叉(後の世阿弥)を義満に紹介する。

山本道鬼斎 (やまもとどうきさい:?〜1561)

 勘助。信玄の伝説の軍師。実在が怪しまれている。

 山風版 「室町お伽草紙」 「信玄忍法帖」

 密行上洛中の信玄に従い、織田家中の明智光秀を盛んにけしかける(「室町お伽草紙」)。川中島の合戦で死亡せず、真田源五と共に信玄の影武者を守って奮戦するが、勝頼には煙たがられる。長篠の敗戦を見て諏訪の湖に沈む(「信玄忍法帖」)。

 山田正紀 「闇の太守」

 甲斐の国の半分を支配する山騎衆の者。八岐の大蛇の眷属として贄塔九郎に討たれる。

 柴錬版 「忍者からす」

 諏訪頼茂の娘雅姫に信玄の側室になることを了承させる。これと引き換えに雅姫が息子を生んだ場合これを武田の跡取にするように熊野の誓詞を与える。この約定は勘助の死後も鴉と呼ばれる忍びによって実現された。

 朝松健 「真田昌幸 家康狩り」

 流浪の真田幸隆を主君信玄に推挙する。幸隆の息子武藤喜兵衛と並んで黒き武者(時代の趨勢に逆らって切り結ぶ)となるように遺言される。

真田幸隆 (さなだゆきたか:1513〜1574)

 信濃の名族海野一族。海野平の合戦で所領を失うが、武田信玄に仕えて旧領を回復する。

 朝松健 「真田昌幸 家康狩り」

 真のもののふ、物部氏の流れを汲む海野一族最後の一人。歩き比丘尼により天下の趨勢を左右する武将の父となると予言される。

 山本勘介の仲介で信玄に仕えて旧領を回復する。

 宮本昌孝 「剣豪将軍義輝」

 回国修行中の将軍義輝を只者でないと見抜き、主君信玄と引き合わせる。

 荒山徹 「魔風海峡」

 忍びを縦横無尽に操って武田家の諜報・謀略で軍功を挙げる。孫の幸村に真田忍びを絶やすなと遺言。

太田三楽斎 (おおたさんらくさい:1522〜91)

 実名・資正。岩槻城主。北条と結んだ息子氏資に追われ佐竹氏に迎えられる。

 山風版 「風来忍法帖」

 秀吉の小田原陣に際して、包囲下にあった忍城から孫娘を見事救出する。

本多正信 (ほんだまさのぶ:1538〜1616)

 徳川家家臣。若い頃三河国一向一揆に加わって敗れ、諸国を放浪する。後に許されて家康の腹心として活躍。佐渡守。

 山風版 「忍者本多佐渡守」 「忍法八犬伝」他

 家康の影として主君の悪名を一手に引き受ける佞臣を自認する。

 仕官を求めてきた武蔵を危ぶんで裏から手を回して退ける(「銀河忍法帖」)、一方で本多家の隠密として次男政重に仕えさせる(「叛旗兵」)。

 大坂攻めに否定的な大久保忠隣を追い落とし、その一門に列する長安と暗闘を繰り広げる(「銀河忍法帖」)。また大久保家に連なる里見家にもその矛先は向かう(「忍法八犬伝」)。

 正信はこの”徳川家の楯”となる役目を息子・上野介正純でなく、土井利勝へと引き継ぐ。その利勝の最初の仕事が、正信の始末であったのは何とも皮肉な話である(「忍者本多佐渡守」)。そしてこの仕事は利勝から松平信綱へと受け継がれる。よって作中の三名は役回りは殆ど同一と見て良い。

 隆慶版 「影武者徳川家康」

 放浪中に知り合った世良田次郎三郎を家康の影武者として紹介する。関ヶ原後、亡き家康の身代わりとなった影武者と秀忠の対立に苦慮する。

 大坂陣に至って、豊家滅亡を優先して秀忠に与して和議の破壊を目論んで堀の埋め立てを行う。

 池宮彰一郎 「天下騒乱」

 家康の死後、池田家の処分について遺言を盾にする土井利勝に敗れ悶死する。嫡子正純もその六年後に失脚する。

 柴錬版 「柴錬立川文庫」「忍者からす」

 太閤遺金の隠し場所を記した旗本百旗の太刀の唾を守らせるため伊東一刀斎を招聘する。

 片桐且元に大坂城の絵図面を書かせ、太閤の遺金を入手。その後、且元は毒殺した。

 荒山徹 「徳川家康」 「魔風海峡」

 隆慶先生の元ネタと違って家康の影武者の正体を知らない。その正体を探るが正解に辿り着かず。正確にはやぶ蛇を恐れて追求を断念。

 半蔵がもたらした任那遺金に疑問を抱く。天海の説明で一応納得したが、遺金の奪取は不要として家康の強欲を諌める。また情報に繋がる人脈を助言する。

 宮本昌孝 「剣豪将軍義輝」

 三河一向一揆で主君家康の下を去った後、松永久秀の下に身を寄せていたが、久秀が将軍義輝を討とうとしているのを死って知らせようとするが叶わず。

竹中半兵衛 (たけなかはんべえ:1544〜79)

 美濃国人。実名重治。秀吉の軍師と言われる。

 山風版 「妖説太閤記」「忍法剣士伝」 関連作品 「踏絵の軍師」

 秀吉に招かれて、いや押し掛け軍師として、天下取りの工夫を伝授する。

 将来の信長排除を狙って明智十兵衛を織田家に紹介する。秀吉の将来の敵と目される浅井備前守を離反に追いやり、また秀吉の出世を助けるため家中に共食いを仕掛ける。最後は用済みとして毒殺される。家康を始末するように遺言するが、それは守られなかった。三成による関ヶ原の戦いはこの遺言を果たそうとしたものといえる。

 宝蔵院胤栄を招いて羽柴家に槍の兵団を作ろうとする。

 その子孫は長崎奉行となって切支丹弾圧の指揮を執るが…。(実際に長崎奉行となった竹中采女正は半兵衛ではなく、その従兄弟重利の孫)

 柴錬版 「柴錬立川文庫」

 秀吉を将来の天下取りと見込んで招きに応じる。信長憤死を知って秀吉の天下取りを確信。将来の反目や軋轢を避ける為に姿を消す。秀吉は表向き死んだことにした。

 秀頼の子国松を配下の忍び波賀彦太郎に浚わせ、秀頼が単騎で子供を取り返しに来るかを試す。

黒田如水 (くろだじょすい:1546〜1604)

 別名小寺官兵衛。実名孝高。秀吉の軍師となりその天下取りを演出するが、その才を疎まれて九州に所領を得る。

 山風版 「妖説太閤記」

 竹中半兵衛が陰性の軍師なのに対し陽性の軍師と記述され、自身が陽性である秀吉と反りが合う。荒木摂津守の謀反(これが半兵衛の仕掛けた罠であることに気付かなかった)に乗じて家康の離反を策し信長抹殺計画を企図するが不発。半兵衛の遺言に従って光秀を謀反に追い込む。

 九州へ封じられる際、半兵衛の事例(秀吉による毒殺)をほのめかされる。危険を悟った彼はすぐに剃髪し如水と名乗って韜晦する。

 荒山徹 「高麗秘帖」「柳生大作戦」

 朝鮮陣で小早川秀秋の後見を勤める。その任務は秀秋の軽挙妄動を誘い領国没収の口実を作ること。(「高麗秘帖」)

 関白秀次の説得に送り込まれるが、三成の妖術で留めを刺す役回りと成る。(「柳生大作戦」)

 朝松健 「五右衛門妖戦記」

 妖術の心得がある。怨嗟を力に替える黒巫術の陣を伏見城に作る。彼が朝鮮に出陣して不在の間に、その仕掛けが破壊され豊臣家の凋落をもたらす。

山中鹿之介 (やまなかしかのすけ:?〜1578)

 実名幸盛。尼子再興に生涯を掛けた豪傑。

 山風版 「妖説太閤記」

 上月城で孤立した時、竹中半兵衛はまだ使えるから助けろと言い、黒田官兵衛は大局を見据えて捨てろと言った。秀吉が後者を取ったため上月城は落ちた。

 柴錬版 「忍者からす」

 四代目鴉が父の遺言に従って「滅び行くものに栄光を与える」対象として選ばれた。主君尼子勝久とは衆道の関係にある。(勝久が尼子の生き残りであると継げたのは鴉であってその真偽は不明)

 鴉の加護により三度の危機を潜り抜けるが、四度目は無かった。

大久保長安 (おおくぼながやす:1545〜1613)

 旧名・大蔵十兵衛。徳川家へ入り、大久保忠隣の娘を娶って大久保姓を名乗る。

 松平忠輝の付家老で、忠輝を三代将軍にしようと画策したとも言われる。

 山風版 「いだ天百里」「信玄忍法帖」「銀河忍法帖」「忍法封印いま破る」

 徳川の創生期を支えた様々な伝説をもつテクノクラートであり、忍法帖内では忍法を否定する”科学”の信奉者として登場する。

 本多正信と大久保忠隣との政争において標的にされ、用済みとなるやにされる悲哀も描かれている。しかし彼を追った正信も家康の死後には見事に使い捨てられるのである。

 彼の娘の一人が忍者の総元締め服部家に嫁いでいるのは史実であり実に興味深い。若き日の長安は「信玄忍法帖」の中で伊賀者に攫われて徳川家に奉公する羽目になった。その意味で長安と服部家の因縁は実に深い。作中で随所に見られる長安の忍法嫌いはこの若き日の事件に端を発するのであろうか。

 さて半蔵正重は何故岳父長安を守れなかったのか。彼が甚内一党に手を取られていた為に長安に迫る陰謀の察知が遅れたのではないかと思われます。その傍証が正重が処断が向坂甚内を捕らえた直後に行われている、つまりはお役御免と言う事だと思われる。(04/02/27追補)

 関連稿 公儀忍び組頭列伝 壱 服部宗家 三代目半蔵正重

 隆慶版 「捨て童子松平忠輝」「影武者徳川家康」

 影武者の経済的独立を助けるテクノクラート。但し偽物であると言うことは知らない。

 政宗を後ろ盾にして忠輝を将軍に据えようと画策するが、先手を打たれて生ける死人にされる。

 半村版 「黄金の血脈」「講談 大久保長安」 関連作品「黄金奉行」

 山狩り衆猿渡の一族。忠輝を三代将軍に据えて東西融和により次の戦をなくそうと画策し、配流中の真田昌幸と結ぶ。豊臣家を切支丹大名にすることで西国の切支丹大名を糾合し、豊臣家の存続を図る積もりであった。

 「講談」では山の民の頭領として登場する。身分制度の破壊まで視野に入れた先見的な人物として語られる。十勇士の猿飛佐助が猿渡一族であるとされていることから彼自身は猿渡では無いようだ。

 高木彬光 「隠密月影帖」

 三万両といわれる隠し金を残したといわれる。が後になって実際に見つかったのはその十分の一ほど。(*正雪の法螺だった可能性あり)

真田幸村 (さなだゆきむら:1567〜1615)

 真田昌幸の次男。左衛門佐、信繁。大谷刑部の婿である縁から関ヶ原では西軍に付く。講談では真田十勇士を率いて家康を苦しめる。

 一般に知られる”幸村”という名は史書にない。これは私説だが講談等から生まれた仮名ではないか。”幸”の字は真田家の通字だから良いとして問題は”村”の字である。これはあくまで私見だが、徳川に祟るといわれる妖刀村正から採ったのではないだろうか。徳川の大敵としてこれ以上ふさわしい名は無いと思う。

 生母が菊亭晴季の娘とする説があるが、当時の家格から考えにくい。彼の側室が秀次の娘で晴季の外孫に当たる。彼女が生んだ幸信が菊亭晴季の曾孫であることからの誤読と見られる。

 山風版 「いだ天百里」「幻妖桐の葉おとし」「くノ一紅騎兵」「叛旗兵」「くノ一忍法帖」

 古くからの忍物の定番と思われるのだが、逆に忍法帖関係では主役が無くてちょい役ばかり。「信玄忍法帖」で父親の昌幸が猿飛天兵衛、霧隠地兵衛と言う名の二人の忍者を使って出てくる。少年時代の幸村も顔を出したかな。「くノ一紅騎兵」でくノ一を送り込んで上杉家を西軍に引き込む件があり、その流れか「叛旗兵」にも舅の大谷吉継を介してちょこっと(実はかなり重要なのだが)顔を出す。変わったところでは、「魔天忍法帖」で使い捨てられるくらいか。

 年表を見ても忍法帖が戦国期より太平の江戸期に多いことから、忍者が無用の産物として描く傾向があからさまに見てとれる。彼らは本当に無意味に死んでいくのである。

 半村版 「黄金の血脈」「講談 大久保長安」

 大久保長安が父昌幸に持ちかけた計画に積極的に荷担する。能力はあるが実績がないため、勝ち目がないのを承知で大坂方に肩入れする。長安の娘との間に二人の娘をもうけ、妹の方は大久保家の養女となって里見家に嫁ぐ。

 「講談」でも長安の設定が少し違う以外はそのまま。

 柴錬版 「柴錬立川文庫」 「赤い影法師」「南国群狼伝」 関連「眠狂四郎殺法帖」

 美丈夫の家系である真田家にあっても飛びぬけて秀麗。女たちを退けるためにあえて醜女を求めて大谷吉継の女婿となる。これに嫉妬した大坂城の女官達は女しのびに命じて初夜の邪魔をさせる。その契りから生まれたのが長男大助幸綱であった。生母から忍びとして鍛えられた大助は父と対面して十勇士の一人となる。

 家康の影武者に家康謀殺のたくらみを持ちかけられるが退ける。彼の話を虚偽と見たのか、あるいは大坂城と共に滅んで名を残すほうを優先したのか。

 淀の方から塚原彦四郎の始末を命じられる。上洛する秀頼を守って斬り死にした彦四郎の顔を見てその謎を知ったことだろう。

 淀の方を妾に望む家康の命を受けた柳生但馬守の企みを利用して豊臣家の存続を企図したが、家康が役立たずであった為目論みは成就しなかった。秀吉の落胤を名乗る名古屋山三郎を危険視して猿飛佐助に始末を命じる。

 大坂の陣で死なず、生き延びて渋谷郊外に隠栖する。宗矩を通じて大名配置についての建言を行い幕府の基礎固めに貢献する。薩摩へ落とした秀頼が既に無害であると確認させる為柳生十兵衛を送り込む。

 寛永御前試合における動きに疑念を抱かれて江戸を退去、影より譲られた平家財宝を豊臣遺臣達に分配した。数年にして黒部山中で没する。彼の死後、その彼の指揮の元大坂の陣で戦った天草甚兵衛が島原の乱を起こす。真田六文銭組もこの一揆に関与。

 「眠狂四郎」シリーズでも真田流の忍者の紹介に際して黒部渓谷にて死亡と書かれている。

 松枝蔵人 「瑠璃丸伝」

 忍者と共闘して大坂の陣で豊臣・徳川の相討ちを狙う。秀頼を九州へ落とすはずだったが淀殿の乱心で果たせず。魔王の使徒・天海の罠にはまって忍者が同士討ちを始めたため、家康の陣に駆け込んで助命を勝ち取る。

 配下のくノ一霧隠才蔵との間に子をなし、魔王とそれを討つ鍵となる降魔録をその子孫に継承させる。

 隆慶版 「影武者徳川家康」

 天才だがそれ故に粘りに乏しく、後藤又兵衛の死によって玉砕へと向かった。

 荒山徹 「徳川家康」 「鳳凰の黙示録」 「魔風海峡」

 十勇士の扱いとともに様々だが共通するのは踏み台ポジションである事。

 鳳凰サイクルでは配下の忍び十人衆を使って服部半蔵の配下を壊滅させるが、十人衆は朝鮮の妖術師・魔別抄に殲滅される。疑心暗鬼を生じた首脳陣に信頼されず献策が取り入れられずに苦闘する。

 大戦争サイクル(「徳川家康」)では父とともに反徳川の執念を燃やすが、父に先立たれて欝状態。自身の武名を上げることのみに血道をあげ、大坂城の他の武将を蹴落とす。これは隆慶版の幸村をより過激にしたものと言える。家康本陣に後一歩と迫りながら、十勇士唯一の生き残り霧隠才蔵に裏切られて討ち死にする。

 友景サイクル逆十字サイクル(「魔風海峡」)では真田昌幸の庶長子と言う設定で、家督を継いだ”弟”(表向きは兄)信之に対抗心を燃やす。祖父幸隆より「真田忍びを絶やすな」と遺言され独自に十勇士を募る。石田三成を暗殺から救い懇意となる。彼の依頼で、海を渡り欽明帝の隠した黄金を持ち帰る。が、その呪いによって豊臣家もろともに滅ぶ。

 霧島那智 「真田幸村の鬼謀」

 十勇士に命じて秀頼を薩摩へ落ち延びさせ、秀頼の血統による徳川宗家のすり替え乗っ取りという壮大な計画を立てる。自身は一縷の望みを掛けて家康本陣を狙って討ち死にする。

 その死すら策の一部と言うのは凄いが、紀州に将来徳川系の大名が入ると読むのはあまりに深すぎる。

 朝松健 「真田昌幸 家康狩り」「真田幸村 家康狩り」

 父昌幸より黒き武者の役割を託される。信長を家康の暗殺から救い、信長の後ろ盾を確保する。が、本能寺の変で振り出し。

 その美貌のため人質先で上杉景勝に言い寄られ危機に陥るが、景勝の側近直江兼続に救われる。父昌幸より霊刀を受け継ぎ、夏の陣で見事に家康を討ち取る。

 南条範夫 「わが恋せし淀君」

 城の防備体制に関して後藤又兵衛と対立。兄や叔父が家康に重用されている為、城中からの猜疑心を晴らす為にあえて出丸(つまり真田丸)に篭って奮戦したいと打ち明けて説得する。

 合戦では負けないが戦後の政治交渉は自分の専門外だと漏らす。

 司馬史観 「軍師二人」

 後藤又兵衛と並ぶ大坂城の二大軍師。実戦経験が少ない天才肌。真田家の家風として野戦でも城の活用を計算する。そこが彼の限界だと評された。

 又兵衛と意見の分かれた出戦計画であったが、戦場の判断で彼の案に乗ると決めたが、霧の為に到着が遅れて彼を見殺しにする。

 戸部新十郎 「妖説五三ノ桐」

 大坂の陣の後、猿飛佐助の術によりかりそめの命を得て、家康の呪詛と秀頼の逃走を仕掛ける。

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