忍び組頭列伝 壱 服部宗家

服部半蔵(初代)正成 慶長元年没。享年五十五才。

 石見守。家康に仕えて伊賀同心を支配し隠密組として組織し八千石を賜る。江戸城の門にも名前の残る忍者として史上最大の出世頭。

 侵入を妨げる「内縛陣」、脱出を食い止める「外縛陣」を考案する。

 将来有望な伊賀者を二度に渡って果心居士にかっさらわれた。

 信玄の死を巡る探索では九人の手練れを送り込んでようやく目的を達する。

登場作品 「伊賀忍法帖」「信玄忍法帖」「忍法剣士伝」「忍者服部半蔵」「魔天忍法帖」

服部半蔵(二代目)正就 慶長元年〜九年(家中不穏)

 正成の長男。源左衛門。慶長二十年没。

 父の死後間もなく起きた”天下分け目の”関ヶ原の合戦が彼にとって唯一にして最大の見せ場であった。その後慶長九年に家康の勘気を受けて蓄電。原因は配下の叛乱であったらしい。

 大坂の役に際して罪を贖おうと敵状に潜入。そこで聞き知った真田左衛門佐の計画を末弟京八郎正広に告げて亡くなる。

登場作品 「忍者服部半蔵」「忍法関ヶ原」「忍者撫子甚五郎」「くノ一忍法帖」

服部半蔵(三代目)正重 慶長九年〜十八年(岳父に連座) 

 慶長十八年時で四十二才。一門の安泰のため大久保長安の娘を娶る政治的配慮も見せる。しかしその姻戚関係が災いして長安に連座して放逐されるはめに陥る。

 長安の身辺を守るために伊賀組の幹部五人を倒され、また長安の落とし胤を始末するために甲賀組の幹部五名を失う。

 江戸の町を騒がす凶賊三甚内の捕縛が最後の仕事となった。

登場作品 「羅妖の秀康」「摸牌試合」「武蔵忍法旅」「銀河忍法帖」「忍者本多正信」「忍者向坂甚内」 「忍法封印いま破る」「忍者服部半蔵」 

服部半蔵(四代目)正広 慶長十八年〜元和年間(乱心)

 初代半蔵の晩年の子。京八郎。慶長十八年時で二十三才。長兄が使い捨てられたのを見て忍術修行を投げてしまう。だが、家康の一言で豹変し、兄を処断する業の冴えを見せる。

 家督を継いですぐに里見家の八玉の奪取を命じられる。伊賀のくノ一八名を以て一度は成功するが、期日までに奪い返されてしまう。

 任務を失敗せしめた里見の八犬士が甲賀の卍谷帰りだと知って二つの隠れ谷に興味を抱いたのであろう。徳川三代将軍を決める勝負のため、服部家の先代が命じた伊賀鍔隠れの谷と甲賀卍谷の抗争を禁制を解く。これがこの後に続く忍者達の悲劇の始まりである。

 千姫を巡る事件を最後に浪人する。

登場作品 「忍法八犬伝」「甲賀忍法帖」「忍法天草灘」「倒の忍法帖」「くノ一忍法帖」「忍法聖千姫」

服部半蔵(五代目) 元和〜慶安三年殉職

 伊賀組と甲賀組を統括する。宗家との血縁関係は原作では不明。

 慶安二年時で三十半ば(柳生十兵衛死す)と有るので生年慶長の真ん中ほどか。逆算すると四代正広が乱心で職を辞した時には元服したての十代前半であったと思われる。

 本多上野介、土井大炊頭、松平伊豆守という権力者の入れ替わりを大過なく乗り切ってきたのに、最後は気の毒にも応永より来た十兵衛に斬られる。

登場作品 「忍法瞳録」「くノ一地獄変」「柳生十兵衛死す」

 *漫画版甲賀忍法帖「バジリスク」では4代目半蔵の息子(響八郎)が登場する。4代目に(少なくともあれほど大きな)息子はいないはずであるから、三代に渡って兄弟相続となった服部家の運命を憂いてあらかじめ後継者を決めていたのかも知れない。

 漫画版甲賀忍法帖「バジリスク」の最終回で響八郎は兄(二代目半蔵正就)の遺児だと書かれていました。よって五代目を宗家の方へ移動します。(04/07/10補足)

 もしかするとすごい策士だったのかも。(05/12/05)卍の影

関連稿 公儀忍び組の歴史 破の段 忍び組宗家・服部一族の衰亡

戻る