時代小説人物評伝

伍の伍 町人・文化人篇

西行 (さいぎょう:1118〜1190)

 俗名佐藤義清。北面の武士であったが、出家隠遁。歌道で名を残す。 

 火坂雅志 「秘拳行」シリーズ

 藤氏秘伝の花月拳の伝承者。第三部でかつての上役平清盛と対決する。

兼好法師 (けんこうほうし:1283?〜1352)

 本名卜部兼好(かねよし)。卜部系吉田家の出身で江戸以降は吉田兼好と呼ばれる。日本三大随筆とされる「徒然草」の作者。

 山風版 「婆娑羅」

 高師直の依頼で塩谷判官の奥方への恋文を代筆。(これは太平記にも記述有り)

 判官を救おうと佐々木道誉に助力を求める。

世阿弥 (ぜあみ:1363?〜1443?)

 能楽の大成者。観阿弥の息子。実名・観世元清。足利義満に見いだされるが義教の代になって弾圧を加えられる。その死後、存在が抹消されていた。

 観世流は甥の音阿弥によって継承された。

 山風版 「婆娑羅」「忍法創世記」「柳生十兵衛死す」

 婆娑羅大名佐々木道誉に見出されるが、義満に目を付けられ寵童となる。楠木正成の縁者という関係から心情的に南朝寄りよりで、楠木正儀の遺臣菊水党を伊賀服部家に紹介する。

 晩年、将軍義教によって佐渡に流されるのは一休を庇った昔の因縁の所為であろう。

 子孫金春竹阿弥の能によって柳生十兵衛満厳とともに慶安の世へ飛ばされる。

 娘婿金春禅竹の里で老後を過ごしていたが、八十の年思い立って生地伊賀へ向かいその途上大河原にて行き倒れとなる。

 鯨統一郎 「とんち探偵一休さん 金閣寺に密室」

 義嗣の命で一休を尋ね、義満の死の謎を解くように依頼する。

能阿弥 (のうあみ:1397〜1471)

 室町時代の水墨画家、茶人、連歌師、鑑定家、表具師。本名中尾真能。法号は真能。

 朝松健 「紅紫の契」

 裏見の言霊から妖・紫女を生み出してしまい、一休に救われる。

今井宗久 (いまいそうきゅう:1520〜1593)

 堺の豪商、茶人。千宗易や津田宗及とならぶ天下の三宗匠。

 司馬史観 「梟の城」

 信長に天下を取らせたと自負するが、その後継である秀吉には重く用いられなかった。

 自分の商売の阻害となる朝鮮出兵を食い止める為に伊賀者を使って秀吉の暗殺を試みる。家康と繋がっているが、どちらがどちらを利用しているのかは不明。

 石田三成より紹介されたさる大名の落胤を養女にするが、じつは三成が送り込んだ忍者であった。

千宗易 (せんそうえき:1522〜91)

 堺の商人で茶道の完成者。今井宗久や津田宗及とならぶ天下の三宗匠。禁中茶会にあたって町人の身分では参内できないために正親町天皇から利休の居士号を与えられた。

 山風版 「伊賀忍法帖」他

 初め、松永弾正久秀、後に豊臣秀吉という妖気あふれる武将との交際を余儀なくされる。 果心居士に剣気があると言われ、余命三十年と言われる(「伊賀忍法帖」)。

 柴錬版 「柴錬立川文庫」

 曾呂利新左衛門に秀吉と言う人物を分かっていないと指摘される。秀吉から切腹を命じられてその言葉を改めてかみ締めた。

 切腹に際して塚本彦四郎の介錯を受ける。利休の仇討ちとして彦四郎が成したのは…。

曾呂利新左衛門 (そろりしんざえもん:不明)

 秀吉の御咄衆。もとは鞘師と言われその鞘がソロリと収まることからその名が付いたと言われる。

 山風版 「海鳴り忍法帖」「風来忍法帖」

 国友村へ足をのばしそこの刀鍛冶衆を堺へ招く計画を進め、そこに滞在していた藤吉郎、つまり後の太閤秀吉とスカウト合戦を繰り広げる。

 松永弾正の将軍弑逆を阻止できずむなしく念仏を唱えて暮らす剣聖を無責任と断じる。将軍御台所の所在を漏らしたことで松永弾正の堺攻めを誘発する。これが信長に漁夫の利を与えることになる。

 柴錬版 「柴錬立川文庫」

 既に天下の茶名人であった利休が自ら足を運んだことで名が知られるようになった。わざわざ落とし穴に落ちてくれた利休に、相手をよく見て行動すべきと忠告。利休の推挙で秀吉と対面し、その機知を評価されて御伽衆とされる。

 その素性は木曾の忍び。快川紹喜に深く帰依し、その仇である信長を討とうとして果たせず。その復讐として彼の男根を斬った刀を「五郎入道政宗」なる天下の名刀に仕上げて、これを諸大名に帯びさせた。

今井宗薫 (いまいそうくん:1552〜1627

 堺の豪商、茶人。宗久の子。

 豊臣秀吉に御伽衆として仕え、没後は徳川家康と接近。松平忠輝と伊達政宗の娘五郎八姫の婚約成立に尽力した。

 半村版 「黄金の血脈」

 茶友達であった織田有楽斎から預かった名古屋山三郎の遺児三四郎を会津へ落とす。

中井正清 (なかいまさきよ:1565〜1619)

 日光東照宮の総奉行。

 半村版 「産霊山秘録」

 ヒの一族。藤堂高虎山内一豊の異母弟になる。

 上洛中の家康秀吉の暗殺の手から守り、徳川家の禄を得る。東西決戦の地と定められた関ヶ原に呪具による仕掛けを施す。大工として東照宮の造営の指揮を執る。

呂宋助左衛門 (るそんすけざえもん:1565〜?)

 堺の貿易商人。納屋助左衛門。その華美な生活から秀吉の怒りを買って海外へ逃亡。

 山風版 「海鳴り忍法帖」

 松永久秀に狙われた将軍義輝の正妻を守って堺で抵抗。久秀が信長と結ぶと、海外へ逃走した。

 半村版 「黄金の血脈」

 密かに帰国し政宗に庇護されていた一族と再会。おそらく海外の情報を提供した。

 柴錬版 「柴錬立川文庫」

 呂宋の壷で大儲け。それは現地では二束三文の便器の壷であった。霧隠才蔵を養育して秀吉を討たせるべく日本へ送り込んだが、秀吉は既に没していた。才蔵はその代わりとして彼を讒訴した納屋助四郎を討ち取った。

 戸部新十郎 「妖説五三ノ桐」

 薩摩に逃れていた秀頼を船の乗せて海外へと送る。

庄司甚右衛門 (しょうじじんえもん:1575〜1644)

 吉原の創設者。西田屋の「おやじ」。

 山風版 「叛旗兵」「忍者向坂甚内」「忍法八犬伝」「柳生忍法帖」

 北条遺臣で三甚内と言われた盗賊の一人。女人国吉原の創設者。残りの二人は古着屋の鳶沢甚内と向坂甚内。彼と鳶沢は服部半蔵に屈したが、一人向坂のみが恭順を拒んで処刑される。(「忍者向坂甚内」)

 駿河に店を持っている頃、淀の方にそっくりなおちゅちゅさまを家康に献じるはずであったが、彼女が淋病を患ってる事を知り、これを誤魔化すため蜂須賀家政に抱かせ彼が感染した事にした。(「叛騎兵」)彼が犬飼現五を拾ったのはこれより少し前になる。(「忍法八犬伝」)

 彼の店が本多佐渡守と織田有楽斎の密会に使われている事から幕府上層部との密着振りが窺い知れる。してみると吉原開設は一種の論功行賞か?

 京人形六人を一万二千両(口止め料込み)で会津加藤家に売るが、般若面に脅されて内二千両を女達の路銀に取られる。般若面が彼の古傷を知っていたのはやはり親父様からでしょうか。

 隆慶版 「一夢庵風流記」「吉原御免状」「かくれさと苦界行」

 唐人の末裔。傀儡一族。主家である北条家の命で京に探索に出て前田慶次と出会う。主家滅亡後、家康(の影武者)と接触し、神君御免状を得る。

 元信が御免状に「我が同朋」の文字を書き添えたのは毒殺されたことに対する意趣返しであっただろう。まあ加筆は吉原にとっていい迷惑だったかもしれない。この泥沼を抜け出す方策として後水尾天皇の落胤である誠一郎を吉原の惣名主に迎える。

 史実では正保元年に死んでいるが、作中では存命で柳生との確執から当主十兵衛を討ち果たす。荒木又右衛門との死人同士の決闘で相打ちとなる。

茶屋四郎次郎 (ちゃやしろうじろう:1584〜1622)

 京の豪商。四郎次郎の名前は代々の世襲だがここでは三代目の清次を取り上げる。

 初代清延(1545〜1596)は家康の伊賀越えを助けて徳川家の御用商人となった。二代目清忠(?〜1603)はその長男で家康の天下取りを助ける。三代目はその弟で長谷川藤広の養子であったが兄の急逝により跡を継ぐ。

 元は呉服商だが元養父の藤広が長崎奉行になるとこれを補佐して貿易による巨大な利益をあげる。また家康に鯛のてんぷらを勧めその死の原因を作ったと言われる。

 山風版 「慶長大食漢」

 過剰なまでの食道楽。初代の命日に家康を招いて接待するが、初対面で食事に遅れた家康を叱責する。また、その食法により山田浮月斎を退けるなど、食によって天下の動向に影響を与える。そしてその食いっぷりに乗せられた家康は鯛のてんぷらに手を出して食中りを起こしてしまう。 

 隆慶版 「影武者徳川家康」

 家康の影武者の資金作りに協力。その正体を知っているのかどうかは不明。

松尾芭蕉 (まつおばしょう:1644〜94)

 俳人。正しくは松尾桃青。彼を”松尾芭蕉”と呼ぶのは伊勢宗瑞を”北条早雲”と呼ぶ類の間違いである。

 伊賀の無足人の生まれで有ることから忍者説もある。

 山風版 「伊賀の散歩者」

 乱歩のご先祖様平井歩左衛門氏と意気投合する。

紀伊国屋文左衛門 (きにくにやぶんざえもん:1669?〜1734?)

 元禄期を代表する豪商。生没年もはっきりとせず半ば伝説的な人物。

 柴錬版 「徳川太平記」

 吉宗の貴相を見込んで五万両を用立てる。

 山内伊賀之介から吉宗の落胤である赤子を預けられる。十五歳まで育てる約束であったが、十歳の時に伊賀之介に連れ去られた。

 五味康祐 「薄桜記」

 主人公丹下典膳に興味を抱き援助を行う。

平賀源内 (ひらがげんない:1728〜79)

 元高松松平家家臣。江戸のディレッタント。田沼意次の知己を得るが、旧主家の妨害もあって幕臣になることは出来なかった。

 山風版 「綿棒試合」「天明の判官」

 金魚の交配から発想して伊賀と甲賀の混血を献策する。だが当人は結果を見ぬままに牢死。

 名奉行曲淵甲斐守の秘密を見抜いたために口を封じられてしまった。

 井沢版 「銀魔伝」

 戸隠流忍者の末裔。

 田沼にその才を見込まれるが、銀魔の干渉により幕府への採用の道は閉ざされる。銀魔の罠にかかり、殺傷事件を起こして入牢。田沼の計らいで牢死を偽装して出獄すし、田沼の政策を潰した松平定信を呪いながら生きのびる。

 将軍家治の毒殺が松平定信の仕業だと思っているようだけど、実際は息子を将軍に据える為に一橋治済が仕組んだことのようです。

 菊地秀行 「逢魔が源内」「幕末屍軍団」

 作者お得意?の二重人格。長崎で学んだボクシングを使う。あまりに破格な為スポンサーの田沼も持て余し罠に填めて伝馬町へ送り、死んだことにして領地の相良で飼い殺しにされた。

 後者は未読だが、孫がゾンビ軍団を操って幕府の陰謀をぶちこわすらしい。良く読み返すとゾンビ軍団を操るのが幕府で、源内の孫は超兵器でそれを阻止すると言う骨子のようだ。で、大河ドラマの影響で連載(「新選組!」)をしたモノの完成せず、その後再び大河の波(「龍馬伝」)に乗って加筆の上どうにか完結。

 柴錬版 「忍者からす」

 自来也への対策を相談されダイヤル式の秘密箱を考案。

 荒俣宏 「帝都幻談」

 田沼の命を受けて抜け荷や小判の改鋳、金山試掘などの裏の仕事を任された。獄中での死を偽装され蝦夷に逃げたことが遠山景晋(景元の父)の残した文書にある。

 田沼の命を受けて、財政の逼迫した水戸・秋田両藩を巻き込んで蝦夷地経営の尖兵となった。蝦夷でロシアの妖術(長寿の法と怨霊を呼び起こす法)を会得し復讐のために妖怪を操って江戸の破壊を目論む。同じく日本の破壊を目論む加藤重兵衛に魔王の小槌を譲った後、自身は遠山に敗れる。

 彼が武太夫から入手した鎚は偽者だったのでこのときの破壊計画は不発に終わる。

東洲斎写楽 (とうしゅうさいしゃらく:?)

 今なおその正体が話題となる謎の浮世絵師。

 山風版 「怪異投込寺」

 一番オーソドックスな斉藤十郎兵衛説。但し、その登場の仕方は凄い。投げ込み寺と呼ばれた道哲寺の墓守である。しかも自分を騙したと言って薫太夫に殺されてしまう。

葛飾北斎 (1760−1849)

 浮世絵師。

 山風版 「八犬傳」「怪異投込寺」

 曲亭馬琴の友人で、構想段階の「南総里見八犬伝」の聞き役を務める。

 道哲寺の鴉爺いの正体が東洲斎写楽のなれの果てだと気付く。

曲亭馬琴 (きょくていばきん:1767〜1848)

 本名は滝川興邦、後に解と改める。通称は瑣吉。

 江戸の戯作者で「南総里見八犬伝」の作者として後世に名を残す。原稿料だけで生活出来たと言う意味で日本初の職業小説家と言える。

 山風版 「八犬傳」 関連作品「忍法八犬伝」

 「忍法八犬伝」に里見家の下男として滝沢瑣吉が登場するが、時代が違うので当然別人。だがこのサービス精神は凄い。

 氏は更に本編の翻案にも挑戦しておりそちらの方も必読。八犬伝本編である”虚”の章と、執筆中の馬琴翁の様子を描く”実”の章は別々に読んでも良し、また並行して読んでも良しという至れり尽くせりである。

銭屋五兵衛 (ぜにやごへえ:1773〜1852)

 加賀の豪商。十七歳で家督相続。海運業で巨万の富を得て、晩年は開拓に勤しむ。この時に使用した石灰が海洋汚染を引き起こしその責を負って投獄、お家断絶となった。

 柴錬版 「眠狂四郎殺法帖」

 狂四郎と争うシリーズのラスボスとして登場。作中で描かれる銭五伝説はある程度史実らしい。

田中久重 (たなかひさしげ:1799〜1881)

 発明家、通称からくり儀右衛門。彼が創設した田中製作所は現在の東芝の前身である。(東芝は彼を創業者としている)

 荒俣宏 「帝都幻談」

 大塩を介して平田篤胤の門人に学ぶ。陰陽博士・土御門晴雄に指示して陰陽道を修め、和暦と洋暦を連動できる万年時圭を作り出す。自作のピストルで加藤すら退ける。

 井沢元彦 「葉隠三百年の陰謀」

 大隈八郎太より相談を受け、化猫のトリックを解く。

新門辰五郎 (しんもん たつごろう:1800?1875)

 江戸の町火消し。娘お芳は一橋慶喜の妾となる。上洛した慶喜に呼ばれて二条城の警備を行う。慶喜が大坂城から逃走した際には置き忘れた馬印を奪還して江戸へ持ち帰る。江戸無血開城の交渉に臨む勝海舟から決裂した場合に江戸に放火する役目を任される。

 山風版  「旅人国定龍次」

 慶喜の妾となった娘が誘拐され、国定龍次の機転で救われる。京で会津小鉄の助っ人をするが、龍次が新撰組と会津小鉄に捕らわれたとき、これを助けて借りを返す。

高野長英 (たかのちょうえい:1804〜50)

 蘭学者。蛮社の獄で入牢。火事に乗じて脱獄し顔を焼いて潜伏生活を送る。

 山風版 「御用侠」「伝馬町から今晩は」

 他人を犠牲にしても自分が生き残ろうとする、その姿勢自体にも問題はありますが、最後にさしのべられた救いの手を払いのけてしまった点が悲しい。

 清水義範 「天保ロック歌撰」

 伊勢参りの途中で大雨に遭い雨宿り。鼠小僧大塩平八郎などと語らう。

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