時代小説人物評伝
肆の弐 外様篇
諸侯篇を分割。
片桐且元 (かたぎりかつもと:1556〜1615)
賤ヶ岳七本槍の一人。
出世が遅れていたが、関ヶ原の後豊臣家の家老として家康に取り立てられる。親徳川的な対応が豊臣家の強硬派の反感を買い、大坂の陣の前に城を追われる。
山風版 「甲賀忍法帖」
モブキャラ。彼が豊臣家の運命を決める大仏供養の報告をしたその日、安倍川のほとりで徳川家の世継ぎを決める悲しい決闘が行われていた。
柴錬版 「忍者からす」
本多正信に大坂城の地下蔵を教える。が用が済むと毒殺された。
荒山徹 「徳川家康」
落ち目の豊臣家の家老職として、かつての同輩加藤清正や浅野幸長の出世振りに羨望を隠せない。
半村版 「黄金の血脈」
東西融和を志向する真田昌幸から策を伝授されていた。その昌幸が亡くなったあとは…。
南条範夫 「わが恋せし淀君」
淀君に恋心を抱き、彼女を一度家康の側室にすることで大坂城の女主と言う権威を失墜させた上で手に入れようと画策した。大坂城を追われるとその恋情が憎悪に変じ、自らの手で淀の方を殺そうと天守閣に大筒を打ち込む。
蜂須賀家政 (はちすかいえまさ:1558〜1638)
小六正勝の嫡子。阿波徳島藩祖。伊達政宗からも阿波の古狸と呼ばれる謀将。蓬庵と号する。
山風版 「叛旗兵」
庄司甚内が家康に献じようとしたおちゅちゅさまに手を付けてしまう。その埋め合わせとして本多正信から直江家の家宝宋版史記を盗み出すように指示される。
五味康祐 「柳生武芸帳」
武芸帳に名のあった一人佐々木左門を家臣にしている。
藤堂高虎 (とうどうたかとら:1556〜1630)
元浅井家家臣。その後、秀吉の弟秀長、その養子秀保に使える。文禄の役には主君の名代として参戦、秀保の死後は(一度高野山へ入り呼び戻されて)秀吉の直臣となる。
秀吉の死後には家康に近づき、関ヶ原の勝利に貢献。徳川時代には外様で有りながら西国への押さえとして井伊家と並んで重用される。
半村版 「産霊山秘録」
旧主筋であった淀の方が秀吉の側室になったため、彼女の生んだ子に豊臣家を継がせようとして豊臣一族を根こそぎ呪殺する。
淀の方と秀頼を大阪城から落としこれを真田の仕業に転化する。
隆慶版 「捨て童子松平忠輝」「影武者徳川家康」「花と火の帝」
いち早く天下の趨勢を見抜き、その時代の二番手に付き従うという政治哲学を持つ。家康(影武者である世良田二郎三郎)と秀忠の確執を見て秀忠側に付いて策謀を巡らせる。
目立ちたがり屋の老人。主君を転々と変えたのは節操が無いからで、心ある武将からさげすみの目で見られている、と言うのは明らかに後代の人間(つまり作者自身)の視点。
荒山徹 「高麗秘帖」「徳川家康」
旧主豊臣秀保を自殺に見せかけて殺害したといわれるが、実際には三成が豊家の血筋を絶やす目的で仕掛けた陰謀と明かされる。
かつて自分を破った敵の水将李舜臣の復活を阻止すべく刺客を送り込む。
朝鮮で家康そっくりの韓人を見つけ、影武者として家康に紹介する。しかし関ヶ原の後その影武者が入れ替わっていることには気付かなかった。要するに韓人を家康の影武者にするための役割を与えられただけで、その後の見せ場は無い。
司馬史観 「侍大将の胸毛」
関ヶ原の後、大きくなった家中の士気を取らせるために渡辺勘兵衛を召抱える。軍事に関しては勘兵衛に一任するとは言ったものの、彼の政治的判断と勘兵衛の戦況分析とが一致せず対立を招く。
福島正則 (ふくしままさのり:1561〜1624)
秀吉の縁戚。賤ヶ岳七本槍の筆頭。一人。
朝鮮出兵を契機として文治派の石田三成らとの関係が悪化。関ヶ原では三成憎しの感情から家康に味方して東軍の勝利に貢献する。無届けの居城改修をとがめられて減封となる。
山風版 「妖説太閤記」「叛旗兵」
直江家の婚礼に参加し、婿殿特訓の的にされた豊臣恩顧の大名の一人。
家康の姪を娶った甥の刑部正之を跡取りにしていたが、彼が笹の才蔵を死なせてしまったことを責めたため、程なくして死亡。これが後の福島家改易に繋がる。
史実で死んでいないのだから当然であるが、高台院の「桐の葉おとし」の的になっていない。清正が狙われたのは秀頼と家康の対面に尽力したからと言うことか。
荒山徹 「柳生大作戦」
盟友清正から三成襲撃を誘われて、三成を恨んでいる人間を誘って七人でやろうと逆提案する。
池波正太郎 「忍びの女」
恐妻家。城外で拾った女が実は徳川の忍びであった。(情報収集だけで特に彼の行動に影響を与えたわけではないが)
単純で何かと清正の判断を頼りにする。(但し出世では彼の方が常に先を行き、抜かれたことは無い)
細川忠興 (ほそかわただおき:1563〜1645)
細川藤孝の嫡子。岳父光秀が本能寺に信長を襲った際、父に従って剃髪して三斎と名乗る。父譲りの処世術に長け、その後も秀次事件への連座をすり抜ける。
小倉領主時代、領内舟島にて宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘があった。
山風版 「妖説太閤記」「忍法ガラシャの棺」
秀吉は彼を奥州に封じて家康への抑えとし、合わせてその妻ガラシャを手に入れようと図るが、蒲生氏郷が唐入りについて異議を訴えたので矛先が逸れる。
細川家と前田家の結びつきを公儀に危険視される事を恐れ、前田家より妻を迎えていた嫡子与一郎忠隆を廃嫡する。妻から「人間離れした世渡り」と皮肉られる。
えとう乱星 「十六武蔵」「蛍丸伝奇」「ガラシア祈書」
佐々木小次郎を倒した後の武蔵を隠し扶持で刺客として雇う。息子忠利との折り合いが悪く、忠利が用いる松山主水の抹殺を武蔵に命じる。
島原の乱に際して、武蔵に天草四郎の抹殺を武蔵に命じる。
島原の一揆衆が聖女と崇める女性が死んだはずの愛妻の面影を見る。事実は妻に似ていた侍女であった。
坂崎出羽守 (さかざきでわのかみ:1563〜1616)
宇喜多秀家の従弟。左京亮詮家。主君とそりが合わず徳川家へ奔る。関ヶ原の軍功で津和野三万石を得る。大坂攻めで千姫を助け出したとされる。
山風版 「くノ一忍法帖」「忍法聖千姫」「伊賀の聴恋器」
千姫を執拗に狙い、遂に家を潰す事になる。
荒山徹 「高麗秘帖」 「陰陽師・坂崎出羽守」
朝鮮水軍壊滅後の軍議で、(朝鮮水軍の温存を意図して)水軍の陸への転進を提案する小西行長に対して船戦の継続を主張する藤堂高虎の意見に感情論をぶつけて軍議をかき乱す。(「高麗秘帖」)
本物の左京亮詮家は朝鮮で死亡。秀家の許しを得て韓人の陰陽師鄭玄秀がこれに成り代わる。その後、宇喜多家を退転し坂崎出羽守を名乗った玄秀はその術を用いて千姫をすり替えて、更にその父である将軍秀忠をもすり替えようと画策する。(「陰陽師・坂崎出羽守」)
五味康祐 「柳生武芸帳」
宇喜多直家の弟となっている。家康が彼に千姫を与えなかった理由は彼が韓人(宇喜多一族が古代朝鮮王族の末裔と称していた)であったからとする。それが出羽守の暴走の原因であった。しかし謀反の準備段階で宗矩の名代として現れた十兵衛に刺し殺される。
作者本人の韓人蔑視が投影しているのかもしれないが、このネタを荒山徹が拾って広げたのが上記「陰陽師・坂崎出羽守」である。
真田信之 (さなだのぶゆき:1566〜1658)
真田昌幸の長男。家康の重臣の本多忠勝の娘婿(家康の養女として輿入れ)。関ヶ原では姻戚関係から父や弟信繁と別れて徳川方に付く。父との決別の意を示す為に名前を信幸から信之と改めた。
半村版 「黄金の血脈」
東西融和を目指す父の水面下の活動を岳父忠勝を通じて幕府に伝えて赦免を願い出ていたが、その甲斐も無く父が没した。
荒山徹 「魔風海峡」
昌幸の嫡子。弟幸村は庶長子とされていた。
島津家久 (しまづいえひさ:1576〜1638)
島津義弘の三男。前名忠恒。伯父義久の養子として島津家を継承。
霧島那智 「真田幸村の鬼謀」
実利主義で秀頼を匿うに当たり見返りを要求し、十勇士によって鍛えられた鉄壁の忍び網を得る。幸村の計画に成功の可能性を見出すと、積極的に協力姿勢を見せて成功後に島津家から将軍家正室を出すこと、また血統が絶えた際には島津家に天下を譲ることを約束させる。
戸部新十郎 「妖説五三ノ桐」
大坂城より落ち延びた秀頼を匿うが、家康に露見した為家康に恭順を誓って攻撃を避ける。その上で秀頼を海外へ逃す。
細川忠利 (ほそかわただとし:1586〜1641)
細川忠興の三男。長兄忠隆が廃嫡になったことで世継ぎとなる。加藤忠広が改易となった後の肥後を与えられる。
武芸に熱心で柳生但馬守に師事し、また晩年の宮本武蔵を領内に招いて客人として遇した。
えとう乱星 「十六武蔵」「蛍丸伝奇」「ガラシア祈書」
剣術指南となった佐々木小次郎の美貌を愛でる。が、それを誤解した長岡佐渡は宮本武蔵を小次郎にぶつけて殺してしまう。
加藤明成 (かとうあきなり:1592〜1661)
父嘉明は秀吉子飼いの家臣で賤ヶ岳七本槍の一人。家光の鎧着初めの儀式を任されるほど信頼されていた。
殿中で出会った老黄門に受けた挑発を跳ね返す気概を見せたが、これが結果的に彼を滅ぼすことになった。
加藤家家改易の原因とされる堀主水の事件は黒田騒動から十年も経たない時期であった。この時は家臣の訴えが入れられて主君の方がとがめを受けている。この間に幕府の方針に変更があったか。参勤交代が制度化され、また島原の乱も発生している。彼は幕藩体制が固まりつつある状況を見誤ったと言える。
明成の姉が松下重綱夫人で、重綱の妹が柳生宗矩の正室で十兵衛・宗冬の生母。つまり柳生家とは姻戚関係にある。
山風版 「柳生忍法帖」
芦名銅伯とその旗下の七本槍を重用するが、その暴虐により家を滅ぼす事になる。
五味康祐 「堀主水と宗矩」
主水の誅殺は適うモノの、その背後で動いていた柳生但馬守の策謀によりお家取りつぶしに追い込まれる。
前田利常 (まえだとしつね:1594〜1658)
前田利家の四男。男子の無かった長兄利長の養子となって家督を継ぐ。正室は将軍秀忠の次女珠姫で家光は義弟となる。初名は利光だったが家光に遠慮して利常と改名した。その代わりに嫡男利高が光の字を与えれて光高と改名する。
五味康祐 「曙に野鵐は鳴いた」「火と剣と女と」
名人越後の主君として登場。
柳生家の謀略も退けて加賀百万石の安泰を勝ち取る。
荒山徹 「砕かれざるもの」
将軍家光の前田家取り潰し計画に対して山田浮月斎を介してその弟子である義兄宇喜多秀家の孫を招請する。
藤堂高次 (とうどうたかつぐ:1601〜76)
藤堂高虎の息子。妻は徳川四天王酒井雅楽頭忠世の娘。よって下馬将軍・雅楽頭忠清は甥に当たる。
山風版 「伊賀の散歩者」
老いて後、伊豆で拾ってきた妾に子供を産ませる。その妾が子供にお家を継がせようとして継子達を亡き者にしていく。この姉に知恵を授けたのが平井歩左衛門。かの江戸川乱歩氏の祖先とされている。彼の唱える人生二回結婚論は木々高太郎氏の持論が投影されているらしい。
酒井忠清の娘を正妻にしている高久に子がなかったことが後になって幸いする。
史実でも高次の末子高睦が子の無かった長男高久の後を継いでいる。但し、作中で死んでいる次男高通は分家して久居五万三千石を得ており、三男高堅はその後を継いでいる。また高通の三男が高睦の死後本家を継いでいる。
鍋島元茂 (なべしまもとしげ:1602〜1654)
佐賀の大名鍋島勝茂の長男であったが、父が家康の養女菊姫を娶ったときに廃嫡。彼は小城領七万三千石を与えられた。
柳生但馬守から印加書を得た剣の達人でもあった。
五味康祐 「柳生武芸帖」
柳生の門弟として、密命を帯びて九州に下向してきた柳生十兵衛に協力する。武蔵に詮索は止めろと忠告したり、宗矩の義足に付いての情報を兵庫に教えたりと、陰で色々と動いている。
荒山徹 「十兵衛両断」
韓人に身体を乗っ取られて絶望する十兵衛に新たな師を紹介してその再生を助ける。
寺沢堅高 (てらさわかたたか:1609〜1647)
寺沢広高次男。兄の早世により家督を継ぐ。
島原の乱の当事者の一人。乱の後天草四万石を公収される。十年後に自決して無嗣改易となる。
五味康祐 「柳生武芸帳」
柳生武芸帳の一巻を手に入れて何か謀略をめぐらせていたらしいが、武芸指南役山田浮月斎に策が幕府に露見していたことを告げられて自殺。
伊達綱宗 (だてつなむね:1640〜1711)
第三代仙台藩主。二代忠宗の六男。父の世嗣光宗の夭逝により家督を継ぐ。遊興放蕩で隠居に追い込まれる。家督は幼い嫡子綱村が継いだがお家騒動(伊達騒動)が起こる。
身請けした高尾太夫を吊るし切りにしたとされるが真偽は不明。
山風版 「忍者仁木弾正」
叔父の兵部宗勝に連れられて張孔堂に出入りする。
郭へ足を運んで遊興に及んだのは彼に化けた仁木弾正と思われる。
五味康祐 「柳生天狗党」
隠居の身の鬱屈から将軍家綱後継争いの陰謀に荷担する。
灌漑工事の失費を補う為に公金に手を付けた重役をかばうために遊興を演じたが、これに付け込まれて隠居に追い込まれた。
上杉綱憲 (うえすぎつなのり:1663〜1704)
吉良上野介の実子。保科正之の調停で伯父(母の兄)上杉綱勝の跡を継ぐ。
山風版 「変化城」「忍法忠臣蔵」
赤穂浪士に狙われる実父を救おうとし旗下の能登忍者を送り出し、家老千坂兵部の命を受けた同じ能登のくノ一達の妨害を受ける。
柴錬版 「裏返し忠臣蔵」
実父上野介を米沢に引き取ろうとするが拒否される。(本物は引取りを避けたい千坂によって暗殺、双子の弟右近が身代りとなっていた)
菊池道人 「夜叉元禄戯画」
赤穂浪士に襲われた実父吉良上野介を救おうとして紀州家に制止される。
浅野内匠頭 (あさのたくみのかみ:1667〜1701)
赤穂浅野家の三代目(浅野分家長重流としては四代目)。実名長矩。
殿中で吉良上野介に刃傷に及び切腹の沙汰を受ける。いわゆる元禄赤穂事件の元凶。
柴錬版 「裏返し忠臣蔵」「徳川太平記」
父長友が吉良左近(後の上野介吉央)に決闘を挑み敗れる(但し実際に戦ったのは左近の双子の弟右近であった)。父の無念をそのまま引き継いで刃傷に至る。殿中で刀を抜いたのは柳沢吉保の仕掛けた罠。
五味康祐 「薄桜記」
ケチでかんしゃく持ちの暗君。世間の評価も悪く、後世に名君と誉めそやされるのもひとえに打ち入りの”義挙”ゆえ。
その義挙の遠因となった「亡き君の恨み」とは切腹において大名としての扱いをされなかったこと。
島津斉彬 (しまづなりあきら:1809〜1858)
島津第十代藩主島津斉興の長男に生まれ、十一代藩主を継承。幕末の四賢侯に数えられる。
異母弟久光との間に相続争いは久光の生母の名を取ってお由羅騒動と呼ばれる。
五味康祐 「風流使者」
本多左近とは思想上の同志であった。藤木道満の倒幕計画に加担するが、計画に一部欺瞞があることを知って蜂起を断念する。
藤堂高猷 (とうどうたかゆき:1813〜95)
藤堂家十一代当主。鳥羽伏見の戦いで新政府側に寝返って幕府軍敗退の原因をつくる。
山風版 「自来也忍法帖」
長男蓮之介が将軍の御前で怪死し、家斉の息子石五郎を入り婿に押しつけられる。
鍋島閑叟 (なべしまかんそう:1815〜71)
鍋島家十代当主。実名は斉正、維新後に(将軍家斉の偏諱を嫌って)直正と改名。
独自に西洋技術の導入を行って、国内随一の洋式軍隊を構築した。
井沢元彦 「葉隠三百年の陰謀」
化猫に襲われて版籍奉還を迫られる。調査を家臣大隈八郎太に命じる。
この事件の影響か、政治への情熱を失い時局に関与しなくなる。