時代小説人物評伝

肆の壱 譜代篇

 諸侯篇を分割。権臣を一部吸収。

本多忠勝 (ほんだただかつ:1548〜1610)

 徳川四天王の一人。その武勇は「家康に過ぎたるもの」の一つに数えられた。

 真田信之は娘婿で、この姻戚関係から真田親子が関ヶ原の折に東西に分かれることと成った。信之とともに昌幸信繁の助命に尽力する。

 隆慶版 「影武者徳川家康」

 影武者次郎三郎元信の後見人。

 荒山徹 「徳川家康」

 徳川の重臣の中で最初に家康の急死と影武者の活躍を知った。関ヶ原の戦いの後、家康の死体の隠蔽を行う。

 半村版 「黄金奉行」「黄金の血脈」

 黄金奉行創設時の呼び出し役を務めた。

 婿信之から真田昌幸の東西融和の活動を聞かされて真田親子の赦免に尽力するが、それが果たされる前に亡くなる。

榊原康政 (さかきばらやすまさ:1548〜1606)

 徳川四天王の一人。

 司馬史観 「梟の城」

 鹿島の神人渡辺慧を宗久に紹介。家康宗久の目論みに利用しようとした。

井伊直政 (いいなおまさ:1561〜1602)

 徳川四天王。彦根井伊家の初代。武田家の旧家臣を多く与えられ、朱色の軍装を復活させて井伊の赤備えと呼ばれた。

 隆慶版 「影武者徳川家康」

 影武者を主君に戴くことを嫌って、同時に娘婿である松平忠吉の継承を目指して贋家康の暗殺を図る。贋家康を守ると決めた島左近の放った忍びによる警告に衝撃を受けて命を縮めた。

 荒山徹 「徳川家康」

 隆慶版の元ネタと同様に家康の影武者へ刺客を送り込む。居合わせた柳生宗矩に阻止される。

水野勝成 (みずのかつなり:1564〜1651)

 家康の生母於大の方の弟水野忠重の嫡男、すなわち家康の従弟に当たる。

 父忠重と仲違いし出奔。はじめ佐々成政、その滅亡後は小西行長に仕える。秀吉の死後に徳川家に帰参し家督を相続。刈谷、大和郡山を経て備後福山の初代藩主となる。

 旗本奴で知られる水野十郎左衛門は彼の孫(三男の子)に当たる。

 荒山徹 「鳳凰の黙示録」

 出奔は家康の密命で、その目的は朝鮮出兵を利用して朝鮮王家と繋ぎを持つこと。

 大坂の陣前夜には朝鮮から妖術師を連れ帰り、真田の忍び十人衆を始末させる。史実で薄田隼人正を討ち取ったのは彼の家臣であった。

土井大炊頭 (どいおおいのかみ:1573〜1644)

 徳川家家臣。二代将軍秀忠を支える。実名は利勝。

 水野信元の子で土井利昌の養子となる。家康の隠し子という説がある。

 山風版 「忍者本多佐渡守」「忍びの卍」「くノ一地獄変」

 ”徳川の楯”となる役目を本多佐渡守から引き継ぎ、その息子である上野介正純を罠に填める。これを後継者の松平長四郎への教訓として語る。(「忍者本多佐渡守」)。

 また将軍の弟駿河大納言忠長をも執拗に追い詰めていく(「忍びの卍」「くノ一地獄変」)。正信から根来忍者の兄弟を引き取った関係からか、根来組を伊賀甲賀と並ぶ第三の忍び組として取り立てるが、その三家の纏め役と見込んだ家臣に反発されたため成功しなかったと思われる。そのお陰で、根来の浮上は吉宗の時代まで持ち越される。

 荒山徹 「陰陽師・坂崎出羽守」「柳生薔薇剣」「柳生黙示録」 「砕かれざるもの」

 一貫して食えない政治家。

 坂崎一件について宗矩出羽守に関する情報を与える。東慶寺の一件では大御所秀忠の意を受けて襲撃を計画するも失敗、しかしこれが秀忠と家光との和解に繋がると、今度は一転して忠長の排除に動き出す。高山右近の帰国と切支丹一揆の進行について、むしろこれを利用しての一網打尽を狙う。(宗矩の報告を受けた幕閣の総意)

 家光の前田家取り潰し計画には消極的。坤龍の正体を知っていて若手には隠していた。右近の謀略に対して家光を逆に叱責するも妙案は出ず。

 五味康祐 「真田残党奔る」「柳生武芸帳」「近藤甚太夫と宗矩」「十兵衛と檜垣無庵」

 宇都宮釣天井事件とそれに続く陰謀について但馬守と共闘。というか終始引き立て役。若輩の長四郎の方がまだ働いている。

 武芸帳の存在が幕府を脅かす事を危惧し、但馬守の失脚を謀るが天海に掣肘される。その後の顛末は書かれていないが、利勝が第一線を退いたのはこれから間もなくの事である。

 島原の乱の後の”鎖国”体制下での牢人対策として名前を指定して但馬守に暗殺を指示。(松平伊豆守は江戸および京からは一掃したいようだったが)

 池宮彰一郎 「天下騒乱」

 家康の隠し子説を採用。初め水野信元に託されるが、信元が信長の勘気に触れて懲罰を受けると土井利昌に賦される。親子の名乗りが出来ない代償として実父・家康に幕府を託される。

 譜代は富んではならぬと言う理由から大久保家の改易を受け入れ、彦左衛門忠教には旗本として家名存続をさせた。その為に彦左衛門からは酷く恨まれることとなる。

 当座の策として進めた”鎖国”であるが、再び国を開く慧眼の士はついに現れなかった。

 事の元凶である池田忠雄を国家老に”始末”させる。その対価として半地召し上げに替わり鳥取・岡山両池田家の領地交換で話をまとめる。しかし忠雄の遺言が「鍵屋の辻の決闘」への最後の引き金を引くこととなった。

 南原幹雄 「寛永風雲録」

 風貌が家康に似ている。(落胤説を踏まえてのものか)

 家光をいつまでも子供扱いするので煙たがられて出番が無い。

酒井讃岐守 (さかいさぬきのかみ:1587〜1662)

 実名忠勝。酒井雅楽頭家の分家で若狭小浜藩初代。本家を憚って彼一代のみ国持大名とされた。同時代に出羽庄内を治めた同名の人物(官途名は宮内大輔)が居る。

 家光の信任が厚く、我が右手と言われた。並べて左手とされたのが松平伊豆守土井大炊頭と共に老中から格上げされ大老制度の走りとなった。(両者の以前に井伊直孝・酒井忠世が大老であったと言う説もある)

 山風版 「つばくろ試合」

 鄭成功の乞師に対して、「浪人の捨て場」として賛意を示す。

 えとう乱星 「用心棒・新免小次郎」

 柳生宗矩宗冬の黒幕。但し、宗冬は彼の統制を離れてやや暴走気味。由井正雪とも裏で繋がり、紀州頼宣などを罠に掛けようと謀る。しかし正雪による慶安事件は松平伊豆守の名声が高める結果となった。その残党による承応事件では伊豆守の暗殺も仕掛けたがあるが、二股を掛けた宗冬の暗躍もあって失敗する。

 荒山徹 「砕かれざるもの」

 土井利勝とともに坤龍の正体を知っていたが、若手には隠していた。右近の謀略に対して、責任をさりげなく若手三老中に転嫁。

松平伊豆守 (まつだいらいずのかみ:1596〜1662)

 大河内(長沢松平)信綱。三代家光の老中。通称知恵伊豆。

 山風版 「魔界転生」ほか、正雪との対決多数。

 土井利勝より、徳川の楯としての任務を引き継ぐ(「忍者本多佐渡守」)。利勝に倣って紀州頼宣の処分を目論む(「魔界転生」)が、これは柳生十兵衛の奮闘で止められた。

 彼の最大の宿敵は何と言っても由比正雪で有ろう。十兵衛の死後、代わりに尾張の兵助(後の連也斎)を用いている(「つばくろ試合」)。彼にとっては十兵衛も使い勝手の良い道具の一つだったのであろう。

 光瀬龍 「寛永無明剣」

 時空管理局の分局長。将軍直属の秘密情報機関を取り仕切る柳生但馬守と対立する。

 荒山徹 「柳生薔薇剣」「柳生黙示録」 「剣法正宗遡源」 「砕かれざるもの」

 土井利勝の指示で東慶寺と朝鮮使節との”交渉”に家光が口を挟まぬように言い含める。困った家光は柳生宗矩を頼る。宗矩の訴える切支丹一揆の危機に耳を貸さず。これを気に一網打尽にしようと言うのが幕閣の一致した意見らしい(とは土井利勝の分析)。

 日朝友好を優先する事勿れ政治家。日本剣法が朝鮮起原であると主張する韓使を放っておけと宗冬を宥める。

 家光の前田家取り潰し計画に積極的に加担。坤龍の正体を知らされておらず、動揺する。

 五味康祐 「真田残党奔る」「柳生武芸帳」「近藤甚太夫と宗矩」「十兵衛と檜垣無庵」

 宇都宮釣天井事件とそれに続く陰謀の黒幕を突き止めて、真田の残党と連携して事件の収束させる。最後にちょっとだけ出てきておいしいところをもっていった観が…。

 武芸帳の存在が幕府を脅かす事を危惧し、但馬守を追いつめる。

 島原の乱の後の”鎖国”体制下での牢人対策として、江戸・京に居残る彼らを一掃するように但馬守に指示。(土井大炊頭は取りあえず危険な三名のみの排除を命じた)

 えとう乱星 「十六武蔵」「かぶき奉行」「用心棒・新免小次郎」

 島原の乱で武蔵と会う。

 慶安事件において、松平忠輝や紀伊頼宣の関与を疑う。特に頼宣を除こうとしてあえて火事騒ぎを起こさせようと謀る。

 慶安事件と承応事件の処置により名声を高める。酒井讃岐守と違って正雪や柳生宗冬との直接の繋がりは不明。承応事件では水戸光圀の提案を入れて寛大な処置を行う。

 南原幹雄 「寛永風雲録」

 服部半蔵(三代目)の上司。忍びを好まない家光に半蔵を用いるように強く勧める。駿河大納言の一統を分断して各個撃破する。

 柴錬版 「南国群狼伝」「徳川三国志」

 島原の乱を平定。天草四郎が切支丹でないことを知って、降伏を促す矢文を打ち込む。

 徳川家の安泰の為、身分を隠して奔走する。叔父頼宣の唆されて兄家光への叛旗を翻そうとする駿河大納言の暴走を止めてその一命を救う。鎖国を推し進める張本人で、援軍を求めて来朝した鄭芝竜への対応に苦慮して海外へ逃す。

 父但馬守の密命を受けて彼に接近した十兵衛とは虚々実々の間柄。

 南条範夫 「慶安太平記」

 島原で正雪と出会う。彼の出した下策をすべて実施し、しかもすべて失敗した。人当たりがいいが知恵はたいしたことが無いと見切られる。

柳沢吉保 (やなぎさわよしやす:1658〜1714)

 五代将軍綱吉の側近。甲斐で十五万石を得る。息子吉里は将軍綱吉の落胤とも言われ、大和に移されて幕末まで続く。

 山風版 「忍法双頭の鷲」「濡れ仏試合」「江戸忍法帖」「元禄おさめの方」「変化城」「忍法忠臣蔵」

 元禄時代を作った男として一応の評価を得る。彼の説く処世術はなかなかに含蓄がある。真似しようとは思わないが…。

 少壮官僚のころから影が薄くなっていた甲賀組に目を付けてひそかに援助の手をさしのべていた。堀田筑前守の死後、その甲賀組を使って根来組を始末させる。

 先代の遺児・葵悠太郎を密かに始末しようとするが失敗(「江戸忍法帖」)。当人に世に出る意志が無かったのが幸いであった。

 忠臣蔵関連作品ではちょい役。

 朝松健 「元禄霊異伝」「元禄百足盗」「妖臣蔵」

 隆光の呪術を利用して権勢を握る。しかし、自身の足場が確立するとむしろ彼と距離を置くようになる。

 菊池道人 「夜叉元禄戯画」

 将軍継嗣問題で紀州綱教に加担。浅野内匠頭の刃傷が綱教擁立にまつわる謀略がきっかけであったことを隠すために、即時の切腹の沙汰がおりるように情報操作する。

 柴錬版 「裏返し忠臣蔵」「徳川太平記」

 吉良と浅野の確執を知り、また赤穂浅野家の豊かな内情に目をつけて内匠頭を刃傷に追い込む。

加納久通 (かのうひさみち:1673〜1748)

 吉宗の側近。紀州より徳川本家に入り、後に一万石を得て諸侯となる。

 暴れん坊将軍に登場する加納五郎左衛門のモデル。

 霧島那智 「真田幸村の鬼謀」

 十勇士由利鎌之助の孫。祖父鎌之助は頼宣の紀州入りの際に新規採用された加納久直と摩り替わった。

大岡越前守 (おおおかえちぜんのかみ:1677〜1751)

 八代将軍吉宗の信任厚い「名奉行」。実名忠相。

 町奉行までは順当な出世。しかし本来なら大名しか成れない寺社奉行に抜擢され、さらに大名となったのは彼一人である。

 その実情は裁判官と言うより経済官僚である。しかも成功したとは言えない。

 有名な天一坊事件を裁いたのは関東郡代であり町奉行である彼は関与していない。

 山風版 「殺人蔵」「膜試合」「忍者月影抄」「おんな牢秘抄」「白波五人男」

 忠臣蔵モノの一つにゲスト出演。彼を生涯で最も戦慄させたのがこの時出会った大石内蔵助であった。

 若い頃に”暴れた”吉宗の後始末に一役買ったり(「忍法月影抄」)、お役目違いの忍び組の問題に首を突っ込んだり(「膜試合」)と忙しいです。また「大岡政談」に倣って天一坊を捕縛(「おんな牢秘抄」)しています。

 なお、天一坊は「月影抄」にも出てくるのですが、尾張宗春と絡ませるために活躍時期を史実より少しだけ後にずらしています。

 日本左衛門が小金ヶ原で松平左近将監乗邑の行列を襲った際、たまたま鷹狩りをしていた。恐らく同僚である乗邑をこっそりと守る意図があったのだろう。

 半村版 「妖星伝」

 将軍吉宗の命で鬼道衆の弾圧を行う。吉宗の死と前後して鬼道衆に毒を盛られて寺社奉行を病免、それから程なくして死去。

 柴錬版 「徳川太平記」「私説大岡政談」

 病弱で幼少期は本ばかり読んでいた。吉宗の幼少期からの幼馴染。才気が暴走しがちな吉宗をしばしば諌める役目を担う。吉宗の人相に貴人の相を見て将来は将軍になるかもと予言した(とは言え、家康の曾孫と言う血筋あっての話であるが)。山田奉行として吉宗を裁いたという逸話は父親の話として取り入れられている。

 朝松健 「元禄百足盗」「妖臣蔵」

 甲府綱豊家臣(おそらくは史実と異なる)。祐天に協力して魔の因子を持つ赤穂浪士達と戦う。

 高木彬光 「隠密月影帖」「隠密愛染帖」

 将軍吉宗と尾張万五郎の暗闘において職務上から吉宗側で働く。

 浜尾四郎 「殺された天一坊」

 いわゆる”大岡裁き”に疑義を差し挟む。名奉行という評判が治世の道具となると割り切って、「天下の御為」に天一坊を騙りとして断罪する。

 * 法律家である作者としては人が人を裁くことの難しさを描きたかったらしい。

本多豊後守 (ほんだぶんごのかみ:1791〜1858)

 実名助賢。美濃大垣藩主・戸田氏教の次男に生まれ、信濃飯山藩第五代藩主・本多助受の婿養子となって第六代藩主を継承。江戸幕府の若年寄。

 五味康祐 「風流使者」

 双児に生まれ、兄は弟に家督を譲る為に痴呆を演じ、弟は乱暴者を演じる。弟左近が兄を装って家督を継承。左近は尊王思想の持ち主であったが、その思想を封印して幕府のために藤木道満の倒幕計画を打ち砕く。

* 豊後守は婿養子なので、設定は成立しませんね。あるいは意図的なのか。

阿部伊勢守 (あべいせのかみ:1819〜57)

 備後福山藩主。実名正弘。開国を決めた幕末の老中。彼の若死にが幕府の衰命を象徴していたか。

 山風版 「忍者黒白草紙」「伝馬町より今晩は」「秘戯書争奪」「陰萎将軍伝」

 「黒白〜」では寺社奉行として鳥居の用いた忍者の暗躍に振り回される。「秘戯書」では”或る人”に勧められて家定の陰萎を治すためこれを用いる事になる。

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