時代小説人物評伝
肆の肆 陪臣篇
群雄・諸侯の特筆すべき家臣達。
斉藤利三 (さいとうとしみつ:1534〜1582)
美濃斉藤一族で母は斉藤道三に嫁いだ明智家の娘で光秀の母の姉妹と思われる。妻の父である稲葉良通(一鉄)に仕えていたが、喧嘩別れして母方の縁で光秀の家臣となる。
光秀の謀反に荷担して一族は皆殺しになるが、唯一生き残った娘於福が後に家光の乳母春日局となる。
山風版 「妖説太閤記」
森蘭丸の私恨により母を殺されて激昂する光秀を制止。光秀の最期の言葉から秀吉の罠であったことを悟り、娘福に秀吉への復讐を託す。
井沢元彦 「銀魔伝」
銀魔の罠にかかり、本能寺にて信長を討ち光秀を窮地に陥れる。
内藤如安 (ないとうじょあん:1550?〜1626)
実名は忠俊で、如安は洗礼名に漢字を当てたもの。
三好家重臣松永久秀の弟長頼の子。内藤姓は母方のもので、父が丹波守護代内藤国定の娘を娶りその名跡を継いだ。
信長と対立して京を追われた足利義昭に従っていたが、信長亡き後(天正13年ごろ)内藤家とも縁続きといわれる小西行長に仕える。
関ヶ原後は同じ切支丹である高山右近が身を寄せていた前田家の客将となるが、慶長の切支丹追放令により右近とともにマニラへ向かう。
荒山徹 「砕かれざるもの」
高山右近とともに帰国して越中に神聖王国を築こうと暗躍する。
島左近 (しまさこん:?〜1600)
三成に過ぎ足るモノと称えられた勇将。娘の一人は柳生兵庫に嫁ぎ、連也斎を産む。
山風版 「妖説太閤記」 「忍法関ヶ原」「山童伝」
秀吉の目論んだ天下取り(信長抹殺)に際して三成と結んで主君筒井順慶の動きを押さえる。
彼の奮闘は報われていない。そもそも関ヶ原における石田方の動きは全く書かれていないのである。生き残って復仇を図るモノの…。
隆慶版 「影武者徳川家康」
関ヶ原において家康暗殺に成功するも、結果的に合戦は敗れる。生き延びた後、主君の意を受けて家康の影武者世良田二郎三郎と組んで豊臣家の延命を図る。
五味康祐 「村越三十郎の鎧」 「兵法流浪」
家康への刺客として柳生兵庫を招く。家康は既に逃れて襲撃は失敗であったが、結果として窮地にあった主君三成を救うこととなった。
関ヶ原前夜、石舟斎への添状に上杉家への密書を忍ばせる。
荒山徹 「柳生大作戦」
大和百済党の一族。近江百済党の党首である三成の下に馳せ参じてその野望に協力する。
直江兼続 (なおえかねつぐ:1560〜1619)
上杉家の重臣。山城守。旧名樋口与六。御舘の乱で功績を挙げ、直江信綱の未亡人(大和守景綱の娘)を娶って直江家を継ぐ。
彼は景勝付きの小姓であり謙信との関わりは薄いと思われる。一時期、本多正信の子息を養子としている。
関ヶ原において石田三成と東西挟撃を図ったと言われる。
山風版 「妖説太閤記」 「くノ一紅騎兵」「叛旗兵」
秀吉と結んで信長謀殺の陰謀に加担するが計画をどこまで知っていたかは謎。三成とのつながりは空以来で、関ヶ原はその再現であった。
謙信の寵童であった前歴がクローズアップされる(「くノ一紅騎兵」)一方で、本多正信との駆け引きなど策士的な側面が色濃く現れる(「叛旗兵」)。
参考 忍法帖別解 謙信、女陰往生に死す
隆慶版 「一夢庵風流記」
前田慶次と友情を結ぶ。慶次の押しかけ参戦により佐渡の乱を鎮圧。また三成と慶次の仲介役も勤める。
三成との挟撃の密約は無く、利用されただけ。
柴錬版 「柴錬立川文庫」「眠狂四郎独歩行」
彼の助言が三成に蒲生氏郷の暗殺を決意させる。上杉家が氏郷亡き後の会津に入ったのは計画の一端であった。
関ヶ原の合戦において、反転西上する家康を追撃しようとして風魔三郎秀忠に制止される。そのお陰で上杉家は寛大な処置を受けて大名として生残れたという。
五味康祐 「兵法流浪」
柳生石舟斎・宗矩親子の値踏みを誤る。恥を雪ごうと追手を差し向けるがこれも石舟斎の計算の内であった。
西に転進する東軍の追撃を制止する。
朝松健 「真田幸村 家康狩り」
主君景勝を袖にして幽閉されていた真田幸村を逃がして貸しを作る。
荒山徹 「柳生大作戦」
純粋に三成を天下を統べる逸材と信じる。彼と組んで蒲生氏郷を謀殺し、会津に移った上杉家を率いて家康を挟撃する策を巡らす。
鳥居土佐守 (とりいとさのかみ:1570〜1631)
三河譜代。関ヶ原の前哨戦、伏見城を守って討死した元忠の三男。実名成次。甲斐郡内の支配を任され、後に甲斐を与えられた駿河大納言忠長の附家老となる。忠長の蟄居により失脚。それから程なくして死去。
山風版 「忍びの卍」
土井大炊頭の密命を受けた伊賀・根来の忍びの謀略により忠長に成敗される。(作中では土佐守とだけで実名が出ていない)
本多政重 (ほんだまさしげ:1580〜1647)
本多佐渡守の次男。
関ヶ原では正木左兵衛と名乗って宇喜多家の家臣として西軍で戦う。その後、上杉家に入り慶長九年に直江兼続の長女於松と結婚して直江家の婿養子となり直江大和守勝吉と改名。その後本多安房守政重と名乗る。最後は前田家に仕え、子孫は前田家の八家の一つとして幕末まで続く。
山風版 「叛旗兵」
宮本武蔵と佐々木小次郎を部下として従える。小次郎が隠密の掟を破って勝手な就職活動を行ったために武蔵に粛正を命じる。
史実では大坂陣で前田家を率いて真田丸に攻め寄せて敗れている。そこには当然父幸村に従って大坂入りした伽羅姫も居た筈で、と思うと趣深い。
表に出過ぎたため、後に粛正の的になった兄正純と違い、影に徹した分、父の意図に沿ったと言える。陪臣とは言え五万石なら結構な出世だし。
荒山徹 「砕かれざるもの」
前田利常の家老として幕府との折衝の場に登場。
松井佐渡 (まついさど:1582〜1661)
松井佐渡守康之の次男。実名興長。父の跡を継いで細川家の家老となる。忠興の娘婿であり、またその六男寄之を養嗣子に迎え主家の別姓である長岡姓を賜る。
忠興の隠居城であった八代をその死後に与り、代々城代を務める。
えとう乱星 「十六武蔵」「ガラシア祈書」
若き剣術指南佐々木小次郎の美貌を危惧して宮本武蔵との決闘を仕組み、死に至らしめる。しかしそれは邪推(自身の邪念の投影)であったことが主君忠興に看破された。
島原の乱に際して、養子寄之を探索に送り出す。
堀主水 (ほりもんど:1584〜1641)
旧姓多賀井。加藤嘉明に仕え、大坂の陣で堀に落ちても敵の首を取ったということで「堀」姓を名乗ることを許された。嘉明の息子明成と対立し、一族郎党を引き連れて出奔。高野山に逃れるも明成の要求で引き渡されて処刑された。
山風版 「柳生忍法帖」
会津出奔に際し、一族の女達を鎌倉東慶寺に預ける。東慶寺に残った娘達七人が天樹院の依頼で指導を任された柳生十兵衛の助力により会津七本槍を討ち果たす。
五味康祐 「堀主水と宗矩」
明成を廃してその弟で三春城主であった明利を藩主に据えようと考えていたが但馬守に先手を打たれ明利を謀殺されてしまう。
山野辺義忠 (やまのべよしただ:1588〜1665)
出羽山形の大名・最上義光の四男。家督を継いだ次兄義俊の没後に起こった家督争いで担ぎ出され、結果最上家は改易される。自身は池田忠雄に預けられて備前に流される。その後、許されて水戸徳川家に代々家老として仕える。
池宮彰一郎 「天下騒乱」
刃傷を起こした河合又五郎をかくまって領外へ逃がす。
木村重成 (きむらしげなり:?〜1615)
秀頼の家臣。父重茲は関白秀次に仕えていたが、連座して自裁。母の宮内卿局が秀頼の乳母であった関係で幼少から秀頼の小姓として仕えたといわれる。大阪の陣で討死。
柴錬版 「柴錬立川文庫」
秀頼の上洛に同行。真田幸村の計略で家康に仕える武芸者と戦う。
荒山徹 「徳川家康」
髪に香を焚き染める様子が滑稽に描かれる。それを(女々しい行為だと理解しない)影武者の元信に激賞されて歴史に名を残す。
宮本伊織 (みやもといおり:1612〜78)
剣豪宮本武蔵の養子。養父の推挙により播州明石藩主・小笠原忠真(当時忠政)に仕える。その後、小笠原家は肥後家加藤家の改易に伴う国替えで小倉に移封。島原の乱を経て筆頭家老として明治まで家を保つ。
寛永御前試合で荒木又右衛門と戦ったといわれる。
五味康祐 「二人の荒木又右衛門」
寛永御前試合で本物の又右衛門と相打ち。どちらもさほどの腕では無かった、とする。
柴錬版 「赤い影法師」
武蔵を越える腕前であったとするが、影によって二刀をすりかえられて又右衛門に敗れる。
試合後に自分の命も長くない。とつぶやくが、別に短命でもないですね。しかも「小倉・細川家」と間違えて書いてあるし。
千坂兵部 (ちさかひょうぶ:1638〜1700)
上杉家家老。実名高房。
一連の忠臣蔵関連作品で敵役として登場するが、史実の彼は赤穂事件(内匠頭の刃傷が1701年、吉良邸討入りがその翌年)より以前に亡くなっている。だが忠臣蔵に対するパロディを書く際には彼を外す訳にはいかないのであろう。
山風版 「行燈浮世之介」「変化城」「忍法忠臣蔵」
赤穂事件より以前に大石内蔵助と接触している(「行燈浮世之介」)。
綱憲相続の際のからくりを知った柳沢吉保の罠をさらりと受け流す(「変化城」)。
本番では、実父上野介を守ろうとして赤穂浪士に刺客を放つ主君を妨害する一方、能登一族を動かして彼らの仇討ちの意志を挫く事を狙う。討ち入りの回避が不可能となると、主君に父親を見捨てるように進言する非情さを示す。主君よりお家、というのはこの時代の武士の常識で、それほど奇異な発想ではない。まして主君綱憲は養子である。
柴錬版 「裏返し忠臣蔵」
浅野浪士の仇討ちを危惧して過激派の一人高田郡兵衛を落とす。がそれも焼け石に水。実父を米沢へ引き取ろうとする綱憲に先んじて密かに吉良上野介を暗殺するが、上野介の双子の弟右近が身代りとなる。
討ち入りが不可避と成るに及んで、上杉家を巻き込まぬように背後から後押しする。
五味康祐 「薄桜記」
主人公丹下典膳に吉良家の付け人を依頼する。典膳はこれを断ろうと藩邸を訪ねるが、既に死の床にあるために断れなかった。
赤穂浪士討ち入りの直前に死んだ事にされているが、実際には刃傷事件以前に亡くなっている訳で、ぎりぎりに妥協した演出といえるか。
奥野将監 (おくのしょうげん:1647〜1727)
赤穂浅野家家老の息子。実名・定良。赤穂城の明け渡しに際して、逐電した家老大野九郎兵衛に代わって大石を補佐した。
討入りから脱盟。大石隊失敗の場合の二番隊を率いたとも言われるが…。
山風版 「忍法忠臣蔵」「生きている上野介」
上杉のくノ一の忍法にはまって脱盟。大石は死んだと発表したが、後に吉良側の生き残りと結託して八百長の二番隊を組織する。割り込んできた”四十八人目”の毛利小平太にぶちこわされる。
朝松健 「妖臣蔵」
魔の因子に取りつかれた凶人の妖気にあてられて発狂。
大石内蔵助 (おおいしくらのすけ:1659〜1703)
赤穂浅野家累代の家老。所実名・良雄。謂赤穂義士の首領。
山風版 「忍法忠臣蔵」「妖説忠臣蔵」 関連作品「叛旗兵」
風太郎作品には忠臣蔵を題材とした作品が多い。忍法帖としては「忍法忠臣蔵」が有るが、これだけを見てもその扱いはかなり辛辣である。
大石は一貫して、妖気溢れる策士として描かれるが、これは「反旗兵」での直江兼続に通じる所がある。元禄の時代に、大石と対峙するのが上杉家(当時の上杉家の主君は上野介の実子であった)というのも何とも皮肉である。
なお、「叛旗兵」には若い吉良上野介(元禄の上野介の祖父)が、二条城にて老人の浅野長政(内匠頭長矩とその妻の先祖)にいじめられて刃傷に及ぶと言う、言うなれば「逆忠臣蔵」の件がある。遊郭で遊び呆けて主君の危機に慌てる(多分初代の)大石内蔵助というのも笑える。
朝松健 「元禄霊異伝」「元禄百足盗」「妖臣蔵」
巫術師隆光が招来した第六天の王”巨旦将来”の因子の中核である”魔”を宿し異形に変貌する。
忠義という名の”魔”を操って赤穂の浪士達に不幸をもたらし、吉良邸討入りを利用して江戸を焼き討ちにしようとするが祐天によって魔を祓われる。
菊池道人 「夜叉元禄戯画」
主君の刃傷の裏に紀州と甲州の将軍継承争いがあることを知る。瀬戸屋から献上された鉄砲五百丁の裏に紀州家の謀略を察知し受取を拒否。赤穂城の無血受け渡しを成し遂げる。
肝心の討ち入りまでの動きは黒幕視点で描かれていて余り目立たない。
柴錬版 「裏返し忠臣蔵」「徳川太平記」
若き主君長矩を裏から補佐して勅使饗応役を完璧にこなさせる。がこれが上手く行き過ぎて二度目の役を仰せつかることとなり、刃傷事件が起きる。
討ち入り成功の後、赦免されると言う噂を知って、寺坂を介して切腹の沙汰が降るように綱吉に願い出る。
内蔵助の遊郭遊びについて、単に彼が遊蕩を好む粋人気質があっただけと評する。
五味康祐 「薄桜記」
その遊蕩は敵(吉良家や上杉家)を欺く為でなく単なる彼の趣味と断じる。(実際に吉良家や上杉家の記録に大石の動向は残されていないと言う)
大野九郎兵衛 (おおのくろべえ:生没年不詳)
赤穂浅野家の末席家老。実名・知房。お家改易に際して開城恭順を主張し、篭城を主張する大石と対立。
忠臣蔵において不忠臣の代表格「斧九太夫」として描かれたが、近年には優秀な経済官僚としての再評価も見られる。
五味康祐 「薄桜記」
赤穂浅野家を経済的に富ませるが、それが刃傷事件によって無に帰したことに不満を抱く。
朝松健 「元禄霊異伝」「元禄百足盗」「妖臣蔵」
魔の因子を察知して逃走する。