時代小説人物評伝

壱の弐 武将篇

 戦国を生き抜いた天下人の直臣達。

柴田勝家 (しばたかついえ:?〜1583)

 織田家重臣。信長の死後、その妹お市の方を娶る。が秀吉との抗争に敗れ夫婦揃って自害する。

 山風版 「妖説太閤記」

 彼の死はお市の方を娶った時に定まったと言って良い。それでも秀吉より幾分か幸せな気がするのは何故?

稲葉一鉄 (いなばいってつ:1515〜89)

 実名良通。西美濃三人衆の一人。姉は斎藤道三の息子義龍を産む。

 山風版 「妖説太閤記」

 同じ美濃出身の明智光秀の出世を妬み、更に家臣の斉藤内蔵助を光秀に取られたこと恨みを抱く。光秀と快川和尚の交際を暴露して、本能寺のきっかけを作る。

滝川一益 (たきがわいちます:1525〜86)

 織田家重臣。武田征伐で活躍し、上野と信濃二郡を与えられ関東管領となる。が、信長の死後は精彩を欠き、没落。

 山風版 「妖説太閤記」「いだ天百里」「さまよえる忍者」

 半兵衛の基本形では老獪なる点で似かよる丹羽長秀と噛み合わされる。

 死んだとされていたが山奥で生きていて思い憧れる淀の方を招き込もうと呪詛を試みる。

 彼の子孫である忍者滝川左近が「さまよえる忍者」に登場する。

 森田信吾 「影風魔ハヤセ」

 生きていた信長の命で武器を提供する。

 信長に叛した秀吉の意思を質す一方、信長への忠義を果たし満足して消えていく。

蜂須賀小六 (はちすかころく:1526〜86)

 蜂須賀党の統領。秀吉の属将としてその天下取りに寄与。一子家政に阿波一国が与えられる。太閤記の流布によって泥棒扱いされ、子孫が明治天皇に揶揄されたらしい。

 山風版 「妖説太閤記」

 石川五右衛門の素性を秀吉に告げるが、古いことを知りすぎていると睨まれて阿波に封じられ、間もなく死ぬ。それでも遠い九州に飛ばされた黒田官兵衛よりはいくらかましであろう。関ヶ原において蜂須賀・黒田両家が東寄りの動きを見せたことはこの冷遇に起因すると思われる。

酒井忠次 (さかいただつぐ:1527〜1596)

 徳川四天王最年長。信康事件において安土に下向して信長と対面。息子家次が小禄であることに恨み言を言うと、この時の不手際を責められた。というが、信康の成敗は家康自身の意思であったとする説もある。

 山風版 「妖説太閤記」

 石川数正の出奔の真実を知る数少ない人物。

 朝松健 「真田昌幸 家康狩り」「真田幸村 家康狩り」

 家康が偽物であることを承知しており、三方ヶ原から逃げ延びてきた家康に対し、戻ってこなければ「新しい家康公を調達」するつもりだったと言い放つ。

 真田十勇士の襲撃に倒れる。

細川幽斎 (ほそかわゆうさい:1534〜1610)

 足利将軍家の重臣。義輝松永久秀に討たれたとき、その弟義昭を救い出し信長の後ろ盾で将軍に付ける。友人明智光秀の娘を嫡男忠興の妻として迎えるが、本能寺では中立を決め込みその後、秀吉に仕える。関ヶ原では家康に与して近世大名として生き残る。

 山風版 「室町お伽草紙」 「妖説太閤記」「叛の忍法帖」「忍法ガラシャの棺」

 将軍義藤の姉香具耶に仕える。

 長男の嫁から「主家を替える度に封禄を増やす人間離れした世渡り」と評される。まあ厳密には彼女の怒りの矛先は夫なのであるが。

 宮本昌孝 「剣豪将軍義輝」

 将軍義輝の家臣。松永久秀の挙兵を察知した義輝より弟覚慶の殺害を命じられるが果たせず。駆けつけた光秀とともにこれを支えることとなる。

 隆慶版 「花と火の帝」

 歴戦のいくさ人。関ヶ原の折に田辺城を死に場所と決めて天皇による講和を拒むが押し切られる。

佐々成政 (さっさなりまさ:?〜1588)

 信長の家臣。柴田勝家の寄騎として北陸で戦い、越中一国を与えられる。

 本能寺の後秀吉に敗れて降伏。九州攻めで功績を挙げて肥後一国を貰うが、国一揆の不手際で改易・処断された。

 荒山徹 「魔風海峡」「砕かれざるもの」

 越中にささら衆を残す。(「魔風海峡」では”沙羅の忍び”として紹介される)

 彼が肥後に同行したささら衆は小西行長に使えて切支丹となる。その行長亡き後は故郷へ戻って高山右近の教導を受けて、その復讐劇の手足となる。

前田利家 (まえだとしいえ:1538〜99)

 加賀藩祖。秀吉の友人で勝家の寄騎。二人の対決に於いて日和見をして生き残る。

 山風版 「妖説太閤記」

 秀吉夫婦に良いようにあしらわれている。ねねは短気で出世出来ないからと利家を諦めて秀吉を選択した。とても十代の小娘の発想とは思えない。

 娘おまあを秀吉に差し出す際に「あの気の毒の男を慰めてやってくれ」と諭す。しかしおまあは秀吉がお茶々を手に入れるための道具にされ、甥の慶次郎はそれをしって出奔する。

 流石の利家も秀吉の好みまでは知るよしもなかった訳で…。

 隆慶版 「一夢庵風流記」

 甥の慶次に屈折した感情を抱く。死に際して慶次に家康を討ってくれと頼む。

 朝松健 「真田幸村 家康狩り」

 家康配下の甲賀忍者に暗殺される。

 五味康祐 「村越三十郎の鎧」

 家康を訪ねて三成による暗殺の目論見を警告する。但し家康は既に刺客を何度も退けいており、承知していた。

 長谷川哲也 「セキガハラ」

 巨大な鎧武者を操る思力を持つが、稼働時間は一日一分。かつて長篠の合戦でその力を使いすぎて家康と秀吉に救われる。

 謎の虫に操られた家康を救うため限界を超えて思力を使い亡くなる。

前田玄以 (まえだげんい:1539〜1602)

 信長の招聘を受けて信忠付きとなる。本能寺に際して信忠の嫡男三法師を連れて京都から脱出した。
秀吉の政権で京都所司代を務め、五奉行の一人に数えられる。

 司馬史観 「梟の城」

 微禄の頃から秀吉と懇意であったといわれる。その出世欲から秀吉に従うが、その死後に織田家の同盟者であった家康の天下を望む。真正の悪人であるがゆえに義理堅い。秀吉暗殺計画を掴みながらもあえて放置する。

服部半蔵正成 (はっとりはんぞうまさなり:1542〜96)

 徳川家家臣。史実に於いては只の武将として現れ、忍者としての側面は残っていない。家康の嫡男信康に引導を渡す役目を命じられるが、実際に手は下してないらしい。

 彼の死後、正就・正重が相次いで半蔵の名を継ぐが、正重が大久保長安に連座して改易となり服部家は次第に衰微していく。

 山風版 「伊賀忍法帖」「信玄忍法帖」「忍法剣士伝」

 初代の半蔵は余り登場機会がない。なお、三代正重の後を継いだ三男正広は多分氏の創作上の人物だと思われる。詳細は服部宗家にて。

 菊地版 「魔剣士 妖太閤篇」

 信康の介錯を命じられた際に、偽首を用いて彼を逃す。

 秀吉が死人ではないかと疑念を持った家康により、真相と反魂の法についての調査を命じられる。

 南原幹雄 「寛永風雲録」

 長男正就・次男正重が忍びとして力不足と見て、配下の最も優れたくノ一に己の子を産ませる。生まれた三男忠正は三代目半蔵(次男正重は半蔵を継いで居ない)として伊賀衆を束ねて家光のために戦う。

 朝松健 「真田昌幸 家康狩り」「真田幸村 家康狩り」

 三方ヶ原で窮地に陥った家康を救う。信玄謙信を病気に見せかけて殺す。

 真田十勇士との戦いで倒される。

 戸部新十郎 「妖説五三ノ桐」

 息子の不始末により身を隠すが、大坂の陣終結後に再び家康の前に現れて幸村追撃の任を娘に命じる。

古田織部 (ふるたおりべ:1543〜1615)

 美濃の国人。信長の美濃進出に伴ってこれに仕える。摂津の中川清秀の妹と結婚。義兄が荒木村重の謀反に荷担した際には説得に成功する。利休七哲の一人に数えられ、師の死後は第一人者と目される。夏の陣で豊臣家との内応を疑われて自害。

 司馬史観 「割って、城を」

 内応の容疑で自刃したのはあらかじめ用意していた替え玉であった。替え玉にされた善十こと鎌田刑部左衛門は、相談してくればもっと上手くやって見せたのにと愚痴った。

山内一豊 (やまのうちかずとよ:1546〜1605)

 織田家の武将。本能寺の後は秀吉に仕えて遠州掛川城主となる。関ヶ原では家康に味方し土佐一国を賜る。

 半村版 「産霊山秘録」

 ヒの一族。藤堂高虎中井正清の異母兄。但し弟達と違って本人の活躍は無い。

 妻の千代は明智光秀の家臣石川小四郎の弟。小四郎は光秀の遺児十郎五郎を伴って妹の下に身を寄せる。彼が土佐一国を得た後は十郎五郎も土佐に土着し坂本姓を名乗る。この家系に坂本龍馬が生まれる。(要するに光秀と龍馬を結びつけるだけの存在)

浅野長政 (あさのながまさ:1547〜1611)

 織田家の武将。妻は秀吉の正室高台院の妹。豊臣政権に置いて五奉行の筆頭とされた。

 関ヶ原では秀忠軍に属し、合戦の後に嫡男・幸長に家督を譲る。

 山風版 「叛旗兵」「幻妖桐の葉おとし」

 吉良上野介義彌の刃傷を受け(叛旗兵)、あるいは謎の矢に撃たれて(幻妖桐の葉おとし)絶命。

 両者の記述は一見矛盾するようだが、上野介の罪を背負った上杉家に咎めが無かったことを考えると、致命傷となったのは後者の傷だったのだろう。

高山右近 (たかやまうこん:1552〜1615)

 キリシタン大名。洗礼名はジュスト。利休七哲の一人で南坊と号する。棄教を拒否して秀吉から所領を没収され、前田利家の元に身を寄せる。徳川幕府の追放令でマニラへ渡ってそこで亡くなる。

 荒山徹 「柳生黙示録」 「砕かれざるもの」

 マニラ渡海後、死を装って幕府転覆を目論む。ところまでは同じ。

 「黙示録」では切支丹の本質を目の当たりにして棄教。日本国内で進んでいた、彼も半ば関わっていた、切支丹蜂起を阻止すべく帰国する。

 「砕かれざるもの」では逆に狂信の度を増して、幕府と前田家を相手取って越中に神聖王国を築こうとする。家光さえも改宗させて見せると豪語したが、その過信が足元をすくった。家康の誓約書を前田家に渡すという策は彼が出したものらしい。であればこそ半蔵の「右近を匿った礼」と言う口上が意味を持つ。

小西行長 (こにしゆきなが:?〜1600)

 秀吉配下の切支丹大名。朝鮮出兵の先陣の一人。並行して明との和平交渉を推進。

 山風版 「海鳴り忍法帖」「妖説太閤記」 関連作品 「不知火軍記」「魔界転生」

  秀吉による信長抹殺計画の主要人物。三成らと組んで家康を討つべく関ヶ原でその再現を狙うが、敗れる。「海鳴り忍法帖」にも少年時代の彼がちょい役で登場する。

 本人の死後もその遺児・遺臣が随所で活躍を見せる。むしろその方が目立つ。

 井沢版 「銀魔伝」

 唐入りの妨害をする銀魔の秘密を三成と共に探る。その正体を知ったときは時既に遅し。

 荒山徹 「魔風海峡」 「高麗秘帖」 「鳳凰の黙示録」

 友景サイクル(「魔風海峡」)では、欽明党の黄金を探す真田幸村に協力する。

 大戦争サイクル(「高麗秘帖」)では戦線の拡大を防ぐために仇敵加藤清正を葬ろうと意図して敵方に情報を流すが、敵将李舜臣に信用されず。これが元で舜臣は一時失脚してしまう。(ここまでは史実)朝鮮水軍の壊滅後、舜臣が残存する水軍を再編成するための時間稼ぎを行う。藤堂高虎が舜臣を暗殺するために刺客を送ったことを察知し、その妨害のため護衛を差し向ける。

 鳳凰サイクルでは秀吉の命で朝鮮に協力者を得るが、計画が事前に漏れて失敗。

 柴錬版 「最後の勝利者」

 朝鮮陣を無益と考え、早期講和を目指す。朝鮮王を生け捕るチャンスが有りながら、それを見逃す。

蒲生氏郷 (がもううじさと:1556〜95)

 近江の豪族蒲生賢秀の息子。信長に才を見込まれその娘を娶る。秀吉によって会津に大封を与えられるが、若くして世を去る。石田三成による毒殺という風評がある。

 山風版 「妖説太閤記」

 唐入りに異議を唱えたため、奥州へ飛ばされる。秀吉は彼の信長の娘であった彼の妻を大坂に留めて手に入れる算段を巡らす、彼の妹が身代わりとなる。秀吉の秘密を知ってしまったため、秀吉に命を受けた三成に毒殺される(「妖説太閤記」)。

 柴錬版 「柴錬立川文庫」

 老いてもうろくした秀吉の黙許を受けた三成により毒殺。長男鶴千代に家を継がせ、次男松千代を風魔来太郎に託す。

 半村版 「黄金の血脈」

 家康の推薦で(本人は望んでいなかったが)会津を領する。太閤の意を受けた三成による毒殺。その死後、蒲生家中は親豊臣・親徳川に分かれて内紛を繰り返す。

 荒山徹 「柳生大作戦」

 三成とその盟友(というか信奉者)直江兼続の共謀により毒殺。両者は上杉家を会津に移して関東の家康を挟撃を目論んだ。

 朝松健 「五右衛門妖戦記」

 二代目五右衛門の妹を妾にする。妖術に操られて阿国の黒幕にされて謹慎。その後三成によって命を縮められる。

大谷刑部 (おおたにぎょうぶ:1559〜1600)

 大友宗麟に繋がる出身とされる。石田三成の数少ない友人で官吏派に属しながらも武断派や家康にまで一目置かれる。真田幸村の舅。関ヶ原で三成に荷担して奮戦する。

 山風版 「刑部忍法陣」「忍者撫子甚五郎」「叛旗兵」

 西軍荷担のおりに吉隆と改名したとも言われ、山風作品ではこの名で登場する。

 幸村の配下猿飛佐助の手引きで淀の方高台院の本音を聞く。なおも豊臣家を守る算段を練るが、婿幸村の奇計に掛かって西軍への荷担を決める。関ヶ原に臨んで小早川秀秋をつなぎ止めるために松尾山へ登り誓書を取りつけるが結局効果は無かった。

参考 忍法帖別解 関ヶ原・忍びの攻防

 隆慶版 「一夢庵風流記」

 家臣の下に逗留していた前田慶次を前田家からの抗議により追い出す。娘を差し出して許された叔父年家を罵倒する慶次に対し「女子一人で一国が救えるならたやすいことではないか」と切り返す。

 要するに家臣領民を守る領主の務めと一介の風来坊の価値観の違いを示したもの。あるいは戦争を避けられなかった戦前の指導層に対する戦中派としての感情の吐露。

 荒山徹 「魔風海峡」

 石川五右衛門が彼の業病を揶揄したことで因縁を生じ、五右衛門の処刑後もその残党の探索を続ける。

平岡頼勝 (ひらおかよりかつ:1560〜1607)

 小早川家へ養子入りした秀秋につけられた重臣の一人。関ヶ原において家康と通じて寝返りを勧める。小早川家断絶の後に独立大名となる。

 山風版 「叛旗兵」

 パトロンを本多佐渡守から大久保石見守へ乗り換えるタネとして本多長五郎に近づくが、やぶ蛇となった。

加藤清正 (かとうきよまさ:1562〜1611)

 秀吉の縁戚(母方の又従兄弟)で、賤ヶ岳七本槍の一人。

 朝鮮出兵で先陣として活躍するが、同役の小西行長とは(宗旨の上からも)激しく対立する。関ヶ原の合戦時は領国にあって、西軍に属した小西領を攻撃する。

 秀頼家康の対面を演出した直後死亡。しかしこの対面は家康に秀頼の始末を決意させたと謂われ、むしろやぶ蛇であった。

 山風版 「妖説太閤記」「忍法破倭兵状」「降倭変」「叛旗兵」「幻妖桐の葉おとし」

 彼の行動は秀頼と淀殿を大阪城ごと葬り去ろうと考えていた高台院の意に反する物であった。その為、母とも慕った彼女の凶刃は清正をも襲った。

 半村版 「黄金の血脈」

 秀頼親子の説得に成功し熊本城へ引き取る算段を纏めたが、これを嫌った本多正純によって毒殺される。

 荒山徹 「高麗秘帖」 「太閤呪殺陣」 「柳生大作戦」「徳川家康」 関連作品「故郷忘じたく候」「柳生薔薇剣」

 朝鮮がらみでは当然ながら敵役であるが、出番は少ない。その死後に息子忠広が朝鮮被虜刷還問題でネタにされている。

 文禄の役で勘気を被って蟄居していたが、伏見大地震で秀吉の元へ駆けつけて許される。この大地震は朝鮮妖術によって引き起こされた(「太閤呪殺陣」)モノであり、朝鮮妖術師は本来の目的である秀吉の呪殺に失敗したばかりか仇敵の復帰をも手助けしてしまった訳である。(作者が此処まで計算していたかどうかは知らないが)

 三成に憑依され、彼を襲う陰謀をめぐらす(柳生大作戦)。家康(の影武者)との対面に向かう秀頼の出迎えとして、娘婿である頼宣の介添えを務める。その様子をかつての同僚から変節と見られる(「徳川家康」)。

 豊田有恒 「清正公異聞」

 対馬人の主人公(記述者)から佞姦邪知の人と一蹴される。全く実績も無く、ただ秀吉の縁者というだけで肥後半国の領主となり、朝鮮陣で一人暴走。時間犯罪者によって暗殺を仕掛けられるが、タイムパトロールによって阻止される。

 柴錬版 「最後の勝利者」「運命峠」

 小西行長と先陣争いを演じる。講和など微塵も考えず、ひたすら軍を進める。

 徳川の忍者による暗殺。その死後幼君を戴く加藤家は豊臣派と徳川派に分裂し、大坂の陣では去就を定かに出来ず。

 司馬史観 「梟の城」

 鶴松の死に悲嘆する秀吉に朝鮮入りを勧める。

 池波正太郎 「忍びの女」

 朝鮮”戦争”の武勲で正則を追い抜いた。とあるが、肥後一国の太守となったのは関ヶ原の後なので勘違い(なのか意図的な記述なのか)。

その後の賤ヶ岳七本槍

佐治一成 (さじかずなり:1569?〜1634)

 尾張の国人。母は信長の妹お犬。お市の末娘お江の最初の夫。(結婚には至らなかったと言う説もある)

 山風版 「妖説太閤記」

 尾張大野の領主佐治日向守の弟。とされるが、これはおそらく意図的な混同。たつ姫を嫁がせる相手が信長の甥では秀勝の意図を完全に挫くことにならないから。

 諸田玲子 「美女いくさ」

 引き裂かれた妻お江と密会し、子を孕ませる。その子は妻の二番目の夫との子供として生まれた。娘の婚姻に際してこっそりとその様子を見守る。(つまり聞いては居ないけど自分のことして認識していた)

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