時代小説人物評伝

漆の弐 幕末剣豪篇

秋山要助 (あきやまようすけ:1772〜1833)

 実名正武。雲嶺と号する。

 山風版 「武蔵野水滸伝」

 実名正勝。この時点で三十五歳と紹介される。殺される為に登場する別人。

 八州廻り選抜試合で自分を連れてきた大石進に勝利。武蔵を担当し小金井の小次郎の討伐に向かうが、清水次郎長の説得で逃げた後。その後、大石進が乗り移った次郎長に破れ、最後は男谷が乗り移った忠治に斬られる。

千葉周作 (ちばしゅうさく:1793〜1856)

 中西派一刀流の浅利又七郎義信に師事。師の養女を娶って道場を継ぐが、意見対立から独立して北辰一刀流を開く。その道場「玄武館」は江戸三大道場と称された。

 山風版 「武蔵野水滸伝」

 八州廻り選抜試合で弟子の平手造酒と対戦。平手が喀血して勝利。下総で笹川繁蔵の用心棒となって待ち構えていた平手と対峙するも、十手を得た飯岡助五郎の介入で中断。

 知行散乱の妖侠を倒す為に大石進(の残骸)に入る。(ここだけ選抜試合と組み合わせが違う)

高柳又四郎  (たかやなぎまたしろう:1809〜?)

 幕臣・高柳定用の次男。相手と竹刀を触れ合わせずに勝つ”音無しの剣”の使い手。

 「大菩薩峠」の机竜之介のモデル。

  山風版 「武蔵野水滸伝」

 八州廻り選抜試合で桃井春蔵(作中では三代目と書かれるが、正しくは四代目の直正)と対戦。音無しの剣を破られて負けを認める。知行散乱の術で武居の吃安に乗り移に乗り移って再戦を挑むが、大前田英五郎の仲裁で中断。

 残された体には桃井が乗り移る。

 五味康祐 「風流使者」

 水戸黄門を名乗って諸国を漫遊する師匠の藤木道満に同行し助さんを名乗る。道満の計画に疑問を抱き、本多左近の替え玉を勤めたりもした。

伊庭軍兵衛 (いばぐんべえ:1810〜1858)

 心形刀流七代・伊庭秀淵の養子。本姓は三橋銅四郎。実名は秀業。

 老中水野忠邦の推挙で御書院番士となったが、忠邦の失脚とともに辞職。江戸四大道場「練武館」を経営する。

 長男八郎は戊辰の役で戦死。次男想太郎は政治家の星亨を暗殺した。

 山風版 「武蔵野水滸伝」

 八州廻り選抜試合で自分が連れてきた物外和尚に敗北。知行散乱の術で小金井の小次郎に乗り移って再戦。(秋山と違って実在の人物なので殺されず)

男谷精一郎 (おだにせいいちろう: 1810〜1864)

 下総守信友。幕末の剣聖。勝海舟の剣の師匠にして従兄。

 越後から出てきた米山検校(のち幕臣男谷家の株を買い男谷検校とも呼ばれる)は彼の曾祖父である。

 山風版 「からすがね検校」「武蔵野水滸伝」「軍艦忍法帖」

 父但馬守俊豊の無念を晴らそうとして祖父の検校を斬ろうとした”柳生十兵衛”を返り討ちにする。

 作中に登場する「からすがね検校」の名は平蔵と言うが、これは男谷家を継いだ米山検校の三男である。つまり作中の検校は父と子の生涯を繋ぎ合わせたモノであると考えられる。また、「検校」の息子が彦四郎であるが、精一郎信友自身はその養子である。年下の叔父小吉の息子の名付け親になるが、その子が後の勝海舟である。

 八州廻り選抜試合で勝小吉との対戦となり辞退。初めはためらっていたが、大石や伊庭の戦いを見て知行散乱の術を受けいれて国定忠治に乗り移る。

 残された体には小吉が乗り移る。

 柴錬版 「眠狂四郎」シリーズ

 武部老人の計らいで狂四郎の代役として白鳥主膳と立ち会う。

島田虎之助 (しまだとらのすけ:1814〜1852)

 豊前中津藩士、島田市郎右衛門親房の子。実名直親、峴山と号する。幕末の三剣士。

  山風版 「武蔵野水滸伝」

 八州廻り選抜試合で斎藤弥九郎に真剣で挑む。伝来の南蛮鉄の鍔を斬られるが、「弥九郎の剣を防いでみせる」と予告していたことから勝利を宣せられる。

 桃井春蔵と組んで上州の二大遊侠・国定忠治と大前田英五郎の討伐に向かう。

 知行散乱の妖侠を倒す為に斎藤弥九郎(の残骸)に入る。

 五味康祐 「風流使者」

 主人公。廻国修行で江戸に出て、幕府転覆を企む藤木道満とそれを防ごうとする本多豊後守の暗闘に巻き込まれる。

山岡鉄舟 (やまおかてっしゅう:1836〜88)

 小野高福の四男。母塚原磯は塚原卜伝の子孫であった。山岡静山の妹・英子と結婚し山岡家を継ぐ。 中西派一刀流の剣客で一刀正傳無刀流を開く。

 新政府軍の江戸攻撃に際して勝海舟の名代として西郷隆盛と会談し無血開城に尽力する。維新後は侍従として明治天皇の側に仕える。

 山風版 「軍艦忍法帖」「警視庁草紙」

 静寛院宮の依頼で家茂の木像を京から江戸へ運ぶ手はずを整える。

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