忍法帖謎解録

謎壱 忍者の誕生

その壱 忍法の起源

 最後の長編である「忍法創世記」において、伊賀と柳生にそれぞれ忍法と剣法が誕生した由来が描かれます。その過程は置くとして、柳生の三兄弟と伊賀服部の三姉妹がそれぞれ年の順に結ばれて、各々に男子が誕生します。これが後の柳生の剣士、伊賀の忍者の祖とされます。但し三人の子供がその後どうなったかについては一切語られていません。そこでここからが私的解釈になります。

 そもそも伊賀と柳生の起源を書くのに、柳生舟馬と双羽、七兵衛と環、又十郎とお鏡と言う三組のカップルが登場するのは、三種の神器の争奪と言うテーマから来ています。夫婦共に供に剣を学んだ又十郎とお鏡の子が柳生の剣を興し、同じく共に忍法を会得した七兵衛と環の子が伊賀鍔隠れの谷を継ぐのが自然な流れと思われます。そうすると、剣士・柳生舟馬とくノ一・双羽の子が余ってしまいます。そこで舟馬と双羽の子には甲賀へ入って卍谷の始祖となったのではないかと解釈します。こう解釈すれば、「甲賀忍法帖」において甲賀卍谷と伊賀鍔隠れ谷が服部家の支配に従う理由も納得出来ます。

 「忍法忠臣蔵」において伊賀の無明綱太郎が浮船を見て、「伊賀では、浮寝鳥という」と解説してくれます。同じ元禄期に甲賀の車兵五郎が浮寝鳥と名付けられた水上歩行術を披露しており、この話は伊賀と甲賀が同根である一つの傍証と考えられます。

 なお、柳生に附いては「柳生十兵衛死す」と絡んで別の問題があるのですが、それはこの稿の本義から外れるのでここでは扱いません。

 さてこの様な奇怪な忍法を伊賀に、私的解釈では甲賀にも、持ち込んだのは、楠木正成の流れをくむ菊水党でありましたが、かの神将(by婆娑羅)大楠公は一体どこでこれを会得したのでしょう。

 それを説くカギは「婆娑羅」の中に有りました。彼を魔帝・後醍醐帝に引き合わせたのが妖僧文願であったという事実です。その時期も有る程度絞り込めます。つまり一度目の蜂起に失敗して逃走、吉野に潜伏中に人知れず修行を行い、忍法を修得して再起に備えていたに違いありません。最初の蜂起では割とあっさり敗れているのに、二度目には神出鬼没の大活躍を見せているのはまさにこの忍法の賜物であったと言えましょう。

 伊賀・甲賀と並ぶ第三勢力とも言うべき根来衆ですが、起源に関しては「伊賀忍法帖」にて果心居士の弟子筋であることが描かれています。よって根来は伊賀・甲賀とは明らかに系列を異にしています。但し果心居士は「伊賀忍法帖」の最後で弟子を全て打ち倒した笛吹城太郎を新たな弟子として去ってしまいますし、「忍法剣士伝」では飯綱七郎太に己の幻法を伝授したりしています。

 根来は松永弾正に肩入れしすぎて、堺の機械力の前にほとんど壊滅状態に陥りました(「海鳴り忍法帖」)。根来が秀吉より家康を選んで滅ぼされたのは、家康の謀臣本多正信が彼らと個人的に繋がっていた(「忍者本多佐渡守」)所為かと思われます。この事は後の三者の抗争に微妙な影を落とすのですが。

その弐 忍法の系列化

 楠木正成によって創世された日本忍術は各地に飛び火し、系列化を生じさせました。その代表例が「胎の忍法帖」他に登場する能登流です。この中で能登流を伝える輪島一族の一人仏桑華陣八が思うところあって数年甲賀へいって修行しと言う件があります。ここから甲賀から能登へと言う伝承ルートが想像されます。

 信長に追われた能登流輪島一族は謙信以来の関係を有する越後の上杉家に逃げ込んだと思われます。その事は「忍法忠臣蔵」において、元禄時代の上杉家の忍者が能登流を用いている事から読みとれます。能登くノ一の一人お弓が甲賀の宗家と偽って「浮船の法」を披露していますが、能登と甲賀の繋がりからすれば、彼女が卍谷の名を知っていたのも納得がいきます。甲賀や伊賀の忍者というのは広く知られていたとしても、卍谷や鍔隠れの秘術の話まで広まっていたとはとても思えませんから。

 「信玄忍法帖」および「くノ一忍法帖」に登場する信濃忍群ですが、これは二度とも伊賀を敵として戦っています。よって、これも甲賀の系列に属するのでしょう。上杉と武田の忍者がいずれも甲賀系というのは釈然としないかも知れません。しかし武田の信濃忍者を統括している真田家が主家の滅亡後に上杉家に臣従したのも、裏で繋がっていたと言う理由かも知れません。あるいは真田家の暗躍があって”川中島の合戦”に決着が付かなかったのかも知れません。

 伊賀の系列は無いのかと探してみると、全くの個人的な妄想になりますが「軍艦忍法帖」に登場した乗鞍丞馬の飛騨幻法に思い至ります。これは長編忍法帖で只一人生き残ってしまった不幸な忍者、「忍法忠臣蔵」の主人公無明綱太郎が伝え残したのでは無いかと考えています。乗鞍丞馬と無明綱太郎の共通点は一人で複数の術を使いこなすと言う点にあります。単にストーリー上単独行動を強いられるからだけと言う意見もあるでしょうが。女に気を取られると術が敗れるというのは、惚れた女に裏切られ続けた綱太郎が掛けた一種の封印に違いありません。惚れた女を討ち果たす非情さを備えていた開祖・無明綱太郎は生を全うしましたが、それが出来なかった継承者・乗鞍丞馬は哀れな最後を迎えます。

 「風来忍法帖」などに登場する風魔忍者については、その術を見ると伊賀甲賀と一脈通じる所もあります。恐らく伊勢新九郎=北条早雲(一族の長・伊勢貞親から今川家への紹介状を褒美として今参りの局を切った。「室町少年倶楽部」)が導入したのでしょう。

 

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