魔法世界史

§2 定住農耕民と移動牧畜民

 前項でも書いたが、社会・国家の形態は定住農耕民(以下、単に農耕民)の上に征服者である移動牧畜民(以下、遊牧民)が乗る形で形成されていった。順番が前後するが、以下では古代社会の形成から古代帝国が完成するまでの流れを詳述する。

2−1 古代社会の特徴

2−11 定住革命と原始社会

 原始社会はその道具立てから石器→青銅器→鉄器と区分される。此処で重要な技術は金属の採掘・精錬であろう。この技術は社会を飛躍的に発展させるため、全ての社会で個々に発生する事はなく、征服という形での伝播の要素が大きい。おそらくもっとも初期に魔法的技術が発生するのはこの分野であろう。これはやがて我々の世界における錬金術、そしてより高度な錬成学へと発展する。

 石器時代は更にいくつかに区分出来る。旧石器=打製石器時代には、採取経済・貯蔵方法はまだ見られない。中石器時代になると石器・骨器に加え貯蔵のための土器を有する。これは土器の登場を一つの画期とみる区分法であるが、此処では両者を特に分けない。

 新石器=磨製石器が登場する頃には新たな武器として弓矢が登場し最初の家畜としての犬が現れる。年齢・性別による分業(外の仕事=男、内の仕事=女、経験の居る仕事=老人)が生じ、結果として人口の増大→統一的指揮系統の発生→氏族社会の形成並びに原始呪術の発生(トーテム)へと向かう。

 此処で重要なのが農耕定住生活の開始である。また副業としての牧畜が派生する。この段階では、農耕牧畜が狩猟・採取・漁労などと未分化のまま混在する。農耕と牧畜の分化もしくは選択(TP1食料革命)が、古代社会に置ける最初のターニングポイントとなる。

 農耕・牧畜の発生に先だってまず定住革命が起こったらしい。家屋定住の目的は手に入れたの保存にあった。火がなければ、土器の作成も高度な金属精錬も不可能であり、火の使用があらゆる技術の出発点であると言って良い。火の入手経路がその後の原始呪術レベルでの差異を生じさせる。(魔法の変遷 2−1 火の発見と魔法集約儀式と精霊石・精霊樹

2−12 食料革命と氏族社会の解体

 社会体系の第一段階として、血縁集団による氏族社会が形成される。これが食料生産の手法、具体的には農耕か牧畜かによって大きく二つの方向へ分化する。

 牧畜を選択した集団は非定住な遊牧社会を形成する。遊牧社会では牧草地と井戸の利用を巡る部族間の契約で緩い結合を見せ、家畜の私有から経済的地位の差違を起こし済単位が家族ごとに分離していく。その一方で、牧草地・井戸・隊商路の確保の必要性からくる集団行動が顕著となる。勝ち残った遊牧社会は相互契約により形成された誓約共同体となり、血縁的な氏族制の枠組みを残したままでその規模を拡大した氏族同盟から、遊牧民国家へと統合発展する。

 それに対し、農耕を選択した集団は定住し農耕社会を形成する。定住集落はこれまでとは異なる新たな地縁と言う枠組みで再構成される。これが部族社会である。つまりは「遠くの親戚より近くの他人」と言う訳である。この血縁から地縁への重点シフトは、@移住・征服と外部との交通による非血縁者の包含、すなわち被征服者・捕虜・債務奴隷(これらをまとめて社会的奴隷と呼ぶ)、A外部から来住した手工業者、B膨張による利害の移動等によって生じる。

 どちらの社会でも貧しい時期には資産は共有管理とされる。これが総有制である。共同総有地は一定期間配分され、収穫物は個別に消費される。これは唐の均田制やそれを真似た日本の班田制にも取り入れられている。その一方、家屋・宅地は私有され父系相続される。此処に私的所有の萌芽が見られる。洋の東西では共同占取と私的所有の重み(TP2)が微妙に異なる。アジア的農耕社会では共同占取が強く血縁関係の弛緩が低い。それに対し西洋的農耕社会では私的所有が強く血縁関係の弛緩が高い。これは東洋が大河の辺において治水・灌漑による大規模農業を展開したのに対し、西洋、殊に西欧では天水による小規模農業しか行えなかったという事情によると思われる。それ故に、古代の農耕重視の時代には西欧は西アジア(その延長上に位置するギリシア)文化圏に連なる辺境として存在した。

2−13 社会的分業

 農耕と手工業の兼営は人口増加や生産力の向上によって次第に社会的分業(専業)へ向かう。そして特産物の物々交換(交易の始まり)が部族・部族同盟への経済的基礎となる。社会的分業の形態(TP3)新たな分岐を生む。共同占取が強い東洋では必然的に商工業が国家独占となり、ヨーロッパでは地中海周辺を結ぶ商品生産の展開が発生する。オリエントでは被征服民手工業者が家産官僚制と言う形式で編成され、インドでは同に細分化されたカースト制へと進む。周王朝は何故か商業取引を嫌う思想(時と共に強固になり儒学から朱子学へと成長する)が発生し、商業は流浪する商(=殷)の人々によって行われる。”商”人と言う言葉は其処に由来する。

2−14 神の発生

 神は血縁から生まれる祖霊や地縁から生まれる地霊、それらが融合したトーテムへと進む。また後に農耕に関する太陽を初めとする自然神崇拝が生まれる。また専業の過程で職能神が誕生し、職業差別の根幹を作る。

 そして政治的統合の過程で神統記として神々が統合・序列化され、最重要な者が宇宙創造神として奉られる。こうして産まれたのが神話である。

 唯一絶対成る創造神の存在を完全に否定する事は出来ないが、人類を特別視しこれを救済しようと言う意図を持っていると言う考え方には組みしない。魔法の存在は自然環境への恐怖感を克服するであろうから、神の存在感をむしろ希薄すると思われる。

 参照 魔法世界の神学神統記

2−2 古代帝国の興亡

 古代・中世・近世(近代)と言う三分法は統一・分裂・再統一という位置づけになる。古代社会は部族社会から都市国家領土国家を経て古代帝国という文明の統一に至る。(遊牧民の辿る氏族同盟遊牧民国家征服王朝という流れもある)古代の終焉とは、統一の終着点であるこの古代帝国の崩壊を意味する。

 古代帝国の特徴として以下の三点を挙げておく。

1)文明の射程領域の中で、帝国の版図がその巨大な中心部をなしており、帝国の前進後退が文明のそれと一致していた。

2)巨大な帝国の国家機能を支える専制官僚制とこれに人材を供給する知識層を必要とした。それは膨大な情報を処理するために不可欠であり、それを統括する頂点に専制君主を必要とした。

3)広大な帝国に支配を貫徹するために交信・交通・流通の手段が整備され、文明の普及・均一化の傾向をもたらす。同時に統合と収斂によって文明を大規模かつ絢爛と結晶結実させ、その手段としてコイン(貨幣制度)を造幣し文明の血液として通用させた。

2−21 古代帝国の統治システム

 古代帝国はその成立期に置いて国民皆兵を原則としていた。これは徴兵制徭役の一種として位置づけられていたからである。そのためにすべての領民に兵役を課すための代償として市民権の拡充が行われる。これと並行して成文法の整備が行われる。

 古代帝国がその拡張期から安定期に入ると、以前のような国民すべてを動員する必要が無くなる。また富裕層は兵役を忌避し、免責の代償として財産の一部を国庫に納める事になる。これが納税制度の始まりであろう。帝国はやがて集めた税金によって兵士を集める傭兵制へと移行する。そしてその結果私兵化が進み軍閥が台頭する事になる。

 派遣官僚による中央集権的な古代帝国の統治システムを秦漢帝国の郡県制という名称で代表させる。これに対し地方政権の裁量権が強い制度として封建制という名称を当てる。郡県制が中央集権、封建制が地方分権を意図した物と考える。

2−22 古代帝国と魔法

 魔法は一部の神官や魔法使いと言った家産官僚の占有に成っている筈である。魔法の利用スタンスが古代帝国の性格を分ける。(TP4 魔法による統治機構)。詳細は別稿に譲るが、1)魔法を積極的に統治システムに組み込む。2)魔法を政治から独立させる。3)魔法を権力者の個人的な管理下に置く。以上の三通りが考えられる。

 次稿・§3 世界史への助走

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