TP4 魔法による統治機構
1 魔法による国家統治
最も早く魔法文明が発生した大陸中央部に産まれた古代帝国ペルシアは、魔法の管理についてもっとも慎重に成らざるを得ない。具体的には国教であるゾロアスター教団に一括管理させる方法が有力であろう。
古代帝国のモデルであるペルシア帝国では、派遣官僚=知事には軍事権を持たせずに、別に軍司令官を派遣していた。更にこれらを監視するための監査官を送り込んでいる。もっとも進んだ魔法文明を持つペルシアでは統治機構に魔法を持ち込んだ可能性が高い。つまりこの三番目の官職に遠隔通信を行える魔法使いを配して、より精緻な統治機構が形成される。
しかし、逆に領内を結ぶ交通網の価値が少し減る事になる。つまり魔法通信網が駅逓制度に取って代わる可能性がある。この状態で果たして”王の道”が作られるであろうか。恐らく軍用道路として残るであろうが、軍事拠点のみを結んだ規模の小さい物に成るであろう。
2 魔法文化の独立管理
ペルシアの辺境であったギリシアは国家統制が小さかったためか、個人レベルで哲学が発達していた。ギリシアの盟主となったアレクサンダー大王の征服によりギリシア哲学とペルシアの魔法文明は融合する。その背後には彼の家庭教師であったアリストテレスの存在が見え隠れする。彼はギリシアの四元素論とゾロアスター教の二元論、そして独自の発展を遂げたエジプトの医術や天文学やインドの数学などを集成し、魔法学院の創設に携わることになる。
ローマ街道はペルシアの”王の道”に倣った物である。だがローマ帝国では街道の重要性はペルシアより幾分か高い。ペルシアのある西アジア一帯は古くから巨大な国家が作られ、文明的に均質性が高いが、ローマ帝国の征服地、特にヨーロッパ方面は文明の及ばない土地(未開ではなく都市化が進んでいないと言う意味である)であった。従ってローマ街道の規模はさほどの下方修正の必要はないであろう。
魔法的には後進地域に誕生したローマでは魔法を管理するのは恐らくペルシアとの接点の多いギリシア人であろう。ギリシアは政治的にはローマに征服されたが、文化的には逆に征服したと言われるが、この点は魔法文化についても同様である。好むと好まざるとに関わらず、ローマは魔法文化を政治的に活用出来ない体制に置かれる。魔法が活用出来るなら、その巨大な領土を東西に分割して管理する必要も無かったであろう。魔法が国家管理でないと言う事は政教分離の萌芽と見る事も出来るであろう。
3 魔法の私物化
始皇帝は魔法を個人の欲望のみに利用し、統治機能には組み入れなかった。これを継承した漢帝国も魔法の管理には意欲を見せるであろうが、それを利用する方向へは動かないであろう。儒教がそれほど重視されていなかった前漢時代はともかく、王莽の時代を経て儒教的な史観の強まった後漢以後は魔法が軽視される傾向が強まる。そして民間で成長を遂げた道教教団の反乱により漢帝国は大分裂へと向かう。
東方の古代帝国・秦漢帝国では、不老不死の妙薬を追い求めた始皇帝が、魔法の集中管理に執心したと思われる。焚書坑儒と並行して魔法文化の管理統制が進められる。その集大成が道教という形で纏まられる。始皇帝が魔法による不老不死を得ていれば話は大きく違ってくるが、始皇帝の死後、彼が集めた魔法の知識は楚漢の対決に置いて先んじて咸陽を落とした劉邦の手中に入る。おのれの武力に自負を持つ覇王・項羽は怪しげな魔法などには興味を示さないであろう。よってこの戦いはほぼ史実通りに帰結すると言う事になる。
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