綱吉編

前の時代 

永保八年(承前)

五月 志摩守、夫人の目を盗んで国御前の元へ忍び、腹上死する。激怒した奥方、国御前に斬りつけるが、妊娠中のため一命は許される。(忍法鞘飛脚)

 源三郎、豊田軍記宅の地下へ移動。春蔵、品川へ拠点を移す。(売色使徒行伝)

06/26 内藤和泉守、増上寺にて永井信濃守を殺害する。翌日に切腹。

 鳥羽・内藤家三万五千石、丹後宮津・永井家七万三千石は没収される。作中には刃傷事件についての記述は特になし。(忍法双頭の鷲)

七月 六波羅十蔵、堀田筑前守の命で、桜田の御用屋敷へ忍び込み、懐妊中の女性を堕胎させる。(忍法肉太鼓)

08/19 後水尾法皇崩御。(定本 武江年表)

08/23 徳川綱吉が第5代の征夷大将軍になる。(新暦1680/09/15)

 新将軍綱吉、老中堀田筑前守、中山勘解由に対し職務精励の内意を与え千石の加増。都合三千石となる。(南無殺生三万人)

夏 源三郎、軍記の故郷天草から来た四人の漁師を加えるが、彼らは天草へ帰らずお鳥と共に失踪する。(売色使徒行伝)

12/09 下馬将軍・酒井雅楽頭忠清、大老を罷免される。(忍法鞘飛脚・忍法双頭の鷲)

 この年、お丸の方家綱の遺児、葵悠太郎を出産。水戸光圀、お丸の方の願いを入れて、一刀斎門下三鬼の一人織部玄左衛門を附けて市井に置く。(江戸忍法帖)

この年 おさめの方、十三歳。隆光の紹介で大奥に入る。(元禄おさめの方)

この年 松尾桃青、深川の芭蕉庵に入る。(伊賀の散歩者)

永保九年/天和元年 辛酉

二月 遠州掛川・加賀爪土佐守一万三千石改易。(忍法双頭の鷲)

05/19 酒井忠清、没。58歳(誕生:寛永1(1624))。自殺を疑われ検死役が送られるが、婿に当たる藤堂高久がこれをはねつけたため真相は不明。(忍法肉太鼓)

六月 綱吉、越後騒動の再審を行い小栗一派を処断する旨の逆転判決を下す。高田松平家二十六万石改易となる。(忍法双頭の鷲)

 源三郎、南町奉行所に出頭。同時に春蔵の居所を密告。源三郎、春蔵揃って磔刑となる。(売色使徒行伝)

09/29 「天和」に改元する。

11/22 真田伊賀守、沼田三万石を没収され出羽山形へ配流となる。(忍法双頭の鷲)

12/12 堀田筑前守正俊、大老に就任。(忍法肉太鼓)

天和二年 壬戌

二月 明石・本多出雲守六万石没収。史実ではこの時は陸奥岩瀬一万石に減封。その後、元禄六年に改易。(忍法双頭の鷲)

六月 甲府綱重の次男・松平筑摩守、八万石より二万石に減封される。(忍法双頭の鷲)

十月 魚津三万三千石前田将監改易され、身柄は本家預けとなる。(忍法双頭の鷲)

12/28 駒込大円寺よりし出火。(定本 武江年表)

天和三年 癸亥 五月閏

01/27 「盗賊改め」「火付け盗賊改め」と改称。中山勘解由、引き続きその初代を務める。(南無殺生三万人)

03/29 駒込片町八百屋久兵衛の娘お七、火刑に行われる。昨年十二月の大火の放火による。(定本 武江年表)(南無殺生三万人)

八月 天草周防守、伊賀者を身代わりに立て偽者疑惑を買い、改易を招く。当然架空の大名ですが、いつの間にか天草一族の再興が成功したようです。(忍法双頭の鷲)

十月 武州古利根真壁家の若侍五名、帰国途上の堀田大老の襲撃を計画する。相談を受けた穴馬谷天剣、彼らの女を狙って彼らを罠に掛け真壁家四万二千石を改易に至らせる。(忍法双頭の鷲)

天和四年/貞享元年 甲子

02/21 「貞享」に改元する。

五月 堀田筑前守、柳沢弥太郎に繋がる巨摩甲斐守を改易に追い込む。(忍法双頭の鷲)

08/28 柳沢吉保、おさめの方と初めて言葉を交わす。稲葉石見守正休、江戸城内にて大老堀田筑前守に刃傷。堀田死亡する。柳沢吉保、この騒ぎにおいて沈着な対応を見せて出世の端緒を掴む。(元禄おさめの方)

貞享二年 乙丑

十月 藤堂高次の末子高睦、子無き長子高久の養子となり藤堂家四代目を継ぐ。(伊賀の散歩者)

貞享三年 丙寅 三月閏

春 上杉家家老千坂兵部の娘お慶、吉良邸で上野介が三人の黒頭巾に攫われるところを目撃。追跡中、行燈浮世之介と名乗る男に助けられる。千坂兵部、大石内蔵助を見知る。(行燈浮世之介)

 中山勘解由、千石の加増。大目付に任じられ以後丹波守と称す。一子助六郎「火盗改め」の職務を引き継ぎ勘解由を名乗る。(南無殺生三万人)

09/02 火附盗賊改の中山勘解由が、府内を横行していた大小神祇組の二百数十名を一斉検挙する。(定本 武江年表)(南無殺生三万人)

暮 おさめの方、綱吉の目に止まり、懐妊。柳沢吉保、これを自分の屋敷で預かりたいと隆光に提案し、隆光が綱吉に進言。綱吉、これを受けておさめの方を柳沢に下げ渡す。(元禄おさめの方)

貞享四年 丁卯

01/28 生類憐愍令発布。(定本 武江年表)

07/02 中山丹波守(初代火盗改め)死亡。(南無殺生三万人)

09/13 おさめの方、柳沢邸で男子出産。吉里と名付けられる。(元禄おさめの方)

貞享五/元禄元年 戊辰

09/30 「元禄」に改元する。

元禄二年 己巳 正月閏

07/12 芭蕉、越後から越中への途上、市振の宿に泊まる。(秘戯書争奪)

 「ひとつ家に遊女も寝たり萩と月」 (奥の細道)

11/12 柳沢保明(吉保)が将軍綱吉から御用人を命じられる。

元禄三年 庚午

12/22 昌平坂大聖殿上棟。(定本 武江年表)

元禄四年 辛未 八月閏

三月 綱吉、柳沢邸へ赴き、おさめと吉里を見る。以来、足繁く柳沢邸へ通うこととなる。(元禄おさめの方)

元禄五年 壬申

03/08 奈良の大仏が125年ぶりに再興する。(作中では元禄四年と書かれていましたが)(伊賀忍法帖)

元禄六年 癸酉

元禄七年 甲戌 五月閏

01/12 芭蕉翁、浪花に寂す。(定本 武江年表)

12/08 幕府が側用人(そばようにん)柳沢保明(やすあきら)を老中格とし、評定所式日への出座を許す。

元禄八年 乙亥

晩春 小野家三代目次郎右衛門忠於、孫娘を所望する将軍の要求を拒絶する。その詫びとして孫娘を生涯不犯とすることを誓う。(濡れ仏試合)

元禄九年 丙子

04/14 徳川新之助(吉宗)が、将軍綱吉に初めて御目見えする。

11/10 明正天皇、没。74歳(誕生:元和9(1623)/11/19)。

元禄十年 丁丑 二月閏

一月半ば オランダ甲比丹一行、江戸参府。浅野匠頭の参勤行列と相前後して進む。甲比丹一行に加わっていたキャプテンキッドの一味、熱田から神剣を盗む。浅野家臣・堀部安兵衛、同じく一行に加わっていたレミュエル・ガリヴァー氏と共にこれを追う。(ガリヴァー忍法島)

元禄十一年 戊寅

 松平頼方(後の徳川吉宗)、およしにお墨付きと文殊重国を与え暇を出す。その後、およしは女子を出産するも、母子ともに亡くなる。山内伊賀亮、お墨付きを入手しおよしの兄の子を天一坊に仕立てる。(忍法月影抄)

元禄十二年 己卯 九月閏

二月 祐天和尚、生実大巌寺に住職。(定本 武江年表)

 柳沢、織部玄左衛門の師弟より厳有院(徳川家綱)の御落胤・葵悠太郎の生存を聞かされその殺害を決意する。(江戸忍法帖)

 織部玄左衛門、柳沢旗下の甲賀忍者に弟子を討たれ、帰国途上の水戸光圀に直訴に及ぶが、小姓渋川吉弥の手に掛かる。(江戸忍法帖)

 徳川家綱の御落胤・葵悠太郎、甲賀組の襲撃を退ける。悠太郎、江戸城入りを勧める光圀を振り切って市井に生きる事を宣言。江戸を去る。(江戸忍法帖)

11/25 幕府が盗賊改・火付改役を廃止する。

元禄十三年 庚辰

 妻を将軍綱吉に寝取られた事を恨んで門前で死ぬ直参が相次ぐ。その数、十八人。(忍者玉虫内膳)

 浅野内匠頭推挙の川澄助八と吉良上野介が推挙した俎銀兵衛との料理勝負。(忍法忠臣蔵)

12/06 徳川光圀、常陸国西山にて卒。(定本 武江年表)

元禄十四年 辛巳

01/01 永代橋の辺大河内某御屋敷の玄関へ何の故とも知れず女の首級あり。後に何者かが遊女高尾のものと言いふらす。(定本 武江年表)

三月 浅野内匠頭家来萱野三平、吉良の屋敷から逃走した女泥棒お銀を助ける。(赤穂飛脚)

03/12 千坂兵部の娘織江、主君・綱憲のお召しを拒絶して江戸藩邸を逃走。(忍法忠臣蔵)

03/14 浅野家・吉良家、事ありし日也。(定本 武江年表)浅野内匠頭長矩(赤穂藩主)が江戸城中松之廊下で高家筆頭吉良上野介義央に刃傷に及ぶ(松之廊下の刃傷事件)。長矩は綱吉の命で直ちに切腹となる。(忍法忠臣蔵)

03/15.16 吉良領民、刃傷事件を知り、赤穂へ向かう萱野達を遮るが、清水一学これを窘める。萱野三平、清水一学よりお銀の妹お軽を島原より請け出す事を頼まれる。(赤穂飛脚)

03/26 吉良上野介、御役御免を許され、隠居。(忍法忠臣蔵)

04/16 6千の軍勢を率いた幕府の城引取の使者が赤穂に到着し、赤穂藩元家老大石良雄が赤穂城を開城する。(新暦1701/05/23)(忍法忠臣蔵)キャプテンキッド、テムズ川河畔にて絞首刑となる。(人間臨終図鑑)

夏 赤穂浪士五名、偽名を使い南八丁堀・平野屋十左衛門の裏店に住み込む。貝賀弥左衛門の妻、知らずに夫の仕官の斡旋を上杉家に依頼。夫婦で藩邸に招かれ家老千坂兵部と対面し冷や汗をかく。(俺も四十七士)

09/02 上野介、本所松坂へ転居。(忍法忠臣蔵)

十月初旬 奥野将監、大石の真意を確かめようとして伏見へ向かうが、途上を謎の六部に襲われて引き返す。(忍法忠臣蔵)

10/15 山科の大石内蔵助邸に赤穂の浪士集う。この時、大石は将監の死亡を告げているが、まだ後の作品で登場する。源四郎、内蔵助を誹謗し脱盟を宣言。小山源五左衛門、その言動に動揺して脱盟。(忍法忠臣蔵)

10/20 内蔵助山科を出立(11/02江戸入り)(忍法忠臣蔵)

十一月 大石、江戸でお家再興の運動を繰り広げる。(忍法忠臣蔵)その一方で、裏切り者の成敗と合わせて統制を乱す荒武者を同時に始末する。若き日の大岡越前守、これを知って戦慄を覚える。秋でしかも江戸と思われるのでこの時期に特定出来る。(殺人蔵)

11/20過ぎ 大石、江戸の過激派と懇談し、明年3月と期限を告げる。(忍法忠臣蔵)

11/23 内蔵助、江戸を離れる。(忍法忠臣蔵)

 飢饉によって、本所法恩寺に非人小屋を建てらる。(定本 武江年表)

元禄十五年 壬午 八月閏

春 上杉綱憲、柳沢吉保の内諾を取り付けて実父上野介を米沢への交代(江戸に上がるのが”参勤”で国元へ帰るのが”交代”である)に同行する。行列の内部に潜入した赤穂浪士の妨害工作によって大田原で本陣の焼失事件が起こり、恐怖した上野介は江戸へ引き返す事を決める。(変化城)

02/15 赤穂浪士の第2次山科会議が行われる。(新暦1702/03/13)

三月 勅使下向。接待役の森美作、指南役の土岐出羽に嫌がらせを行う。出羽、美作に対し刃傷に及ぶ。(盗作忠臣蔵)

五月 高田軍兵衛、能登のくノ一の忍法に掛かり脱落。(忍法忠臣蔵)

七月半ば 田中貞四郎、毛利小平太、京より帰り軍兵衛の脱名に激怒する。(忍法忠臣蔵)

 塩谷半平・田中貞四郎高田軍兵衛の脱盟を責める。その帰路、犬を斬って気勢を上げが半平その円済金を要求され進退に窮する。田中貞四郎、半平を救うため京へ上って内蔵助より金を受け取るが、間に合わず、半平は切腹して果てる。(蟲臣蔵)

 田中貞四郎、能登のくノ一の忍法により許嫁を死に至らしめ、自身も廃人同然となる。(忍法忠臣蔵)

九月半ば 土岐浪人、森美作の帰途襲撃を目指し京に集結。(盗作忠臣蔵)

10/06 土岐浪士、京都町奉行所への密告で疑心暗鬼に陥り、互いに相打つ。(盗作忠臣蔵)

10/07 大石、京を出立。(盗作忠臣蔵)

十月過ぎ 毛利小平太、討ち入り前に無くなった浪士遺族の女達の惨状を見せられ、江戸へ向かう内蔵助に討ち入りの中止を主張するが、女達は小平太を斬って内蔵助の血路を開く。(忍法忠臣蔵)

十一月半ば 千坂兵部、娘織江を伴って出府。(忍法忠臣蔵)

12/14 浅野家の義士四十七人、本意を達す。(定本 武江年表)赤穂浪士の討ち入り。田中貞四郎、病毒に冒される脳で一行を呆然と見送る。(蟲臣蔵)未明(午前2時)、赤穂浪士47人が最後に堀部安兵衛宅に勢ぞろいする。午前4時、吉良邸に討ち入る。午前6時、吉良上野介は発見され、討ち取られる。上野介義央、62歳(誕生:寛永18(1641)09/02)。(新暦1703/01/31)千坂兵部、娘織江を献じて実父を助けられず煩悶する主君綱憲を慰めようとする。(忍法忠臣蔵)

元禄十六年 癸未

02/04 浅野家四十七士自尽。泉岳寺へ葬す。(定本 武江年表)貝賀弥左衛門、己の名が聞こえてこないことに寂しさを覚えつつ切腹に臨む。(俺も四十七士)

夏 遥泉院、吉良生存の噂を聞く。奥野将監以下、討ち入りの第二陣を組織。幻の四十八番目の義士、毛利小平太これに加わる。(生きている上野介)

12/14 奥野以下の第二陣、吉良邸へ再度討ち入り。(生きている上野介)

元禄十七/宝永元年 甲申

02/19 初代市川団十郎、市村座にて上演中に刺殺される。(定本 武江年表)

03/13 「寶永」に改元する。

九月 神田明神社御建立あり。(定本 武江年表)

12/21 柳沢吉保が甲府藩主15万1000石になる。実体は実子である吉里への下賜。(元禄おさめの方)

宝永二年 乙酉 四月閏

五月 柳沢吉保の第一の愛妾・おさめの方(実際は綱吉の愛妾)死亡。護持院にて葬儀が営まれる。戒名・霊樹院本然自覚大姉。(元禄おさめの方)

10/06 徳川頼方(吉宗)が、第4代紀州藩主の次兄頼職の死により、第5代紀州藩主となる。(忍法月影抄)

宝永三年 丙戌

宝永四年 丁亥

宝永五年 戊子 正月閏

五月 十文銭(表に宝永通宝、裏に永久世用とあり)はじめて通用始まる。(定本 武江年表)

宝永六年 己丑

01/10 五代将軍綱吉死去。(定本 武江年表)

01/18 綱吉の御台所の鷹司信子(62)が落飾して浄光院を名乗る。

01/20 六代将軍家宣、生類憐れみの令を廃止。また中野の犬小屋も廃す。(定本 武江年表)

正月 十文銭通用止。

02/07 浄光院が麻疹で没。62歳(誕生:慶安1(1648))。綱吉の御台所。

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