大陸史抄録2
§4 変化の風
学園の直接関与が歴史を動かしたことが一度だけ有る。それは”変化の風”の時代と呼ばれる。学園はその影響の大きさに驚愕して俗界への干渉を禁止した。歴史の道標は学園から教会へと移る。
4−0 予兆
巨大化しすぎた帝国はもはや中央集権的な統治体制を取れなくなっていた。その対策の一つとして帝国の東西分割が企図された。だが東西の文化経済的な格差故に西の帝国は急速に衰退する事になる。分割から百年もすると、西の帝国は流入異民族の王国が乱立する封建制国家へと変貌していた。今や西の皇帝は”第一市民”ではなく、封建君主であった。
それに対して東の皇帝は東方型の絶対専制君主に変貌していた。このまま行けば東西は全く性質の異なる帝国として互いの道を進むことになると思われた。だが、西の皇帝に使える一人の傭兵隊長が本国で叛乱を企てて、皇帝を退位させた。彼は自ら皇帝に成らず、東の皇帝に己の建てた新王国の承認を願い出た。これに対する東の皇帝の反応は、この反乱者の排除であった。
4−1 介入
今や唯一となった東の皇帝による帝国再統合の動きが始まろうとしていた。そんな矢先、学園では世界的な大災害が予知された。
「天空より来る凶星が大地をえぐり、冬の時代を呼び込むであろう」
学園の意見は真っ二つに分れる。あくまでも原則論に則って外界への干渉に反対する白衣派に対し、黒衣派は予想される被害の大きさを訴えて介入を主張して譲らない。
学園は遂に巨大なる儀式魔術を行使してこの凶星を破壊した。予想される冬の時代は回避されたモノの、その欠片は軌道を逸れて地上へ落下する。運命の輪は緩やかに回り始めた。凶星の破片が落ちた時に発生した大津波が沿岸に栄えていた豊かな小王国を破壊していたのである。
4−2 回天
寒冷化の影響で起こるはずだった異民族の大移動は回避された。これにより頓挫するはずだった帝国の再統合は逆に加速することになる。西方帝国の旧領の過半は再び直轄属領として組み込まれ、また残りの地域も封建王国として皇帝の臣下に組み入れられた。
一方で止められなかった一つの流れもあった。東方帝国と深東方の異民族帝国の緩衝地帯となっていた不毛の半島から新興宗教が発生したのである。半島の先端部にあった小王国が例の凶星の影響で破壊されたため、半島全体に大規模な飢餓が発生していた。預言者は砂漠の民をまとめ上げ、二つの帝国に聖戦を仕掛けた。東方帝国はこれを退けたが、双河に栄えたもう一つの帝国の方は一気にその流れに呑み込まれてしまった。
4−3 金の三日月
デルタの双と(ディクォールとサフラニーク)とニエラの大河に挟まれた地域、突きだした半島は魔法文明圏の谷間にあって急速に砂漠化していた。そしてそこには遊牧交易民が細々と暮らしていた。半島の南西の突端にはミシュリアの文化圏に属する灌漑農耕が行われていたが、凶星のもたらした局地的な津波により崩壊した。
砂漠の民の食糧事情は急激に悪化した。そこに新興宗教の急速な勃興の原因があった。砂漠の民は食料を求めて東西の農耕地帯に略奪を仕掛けた。西側の東方帝国はこれを辛くも退けたが、深東方のスラン朝はこの襲撃に対処出来なかった。
略奪はすぐに征服へと進む。東の帝国の後押しもあってスラン朝は呆気なく滅亡した。今や大勢力となった新興宗教はデルタの象徴であった三日月をその宗教的シンボルに掲げた。帝国の銀十字教会に対抗する金の三日月教団の成立である。金の三日月はスラン朝の魔法文明システムを吸収すると、二百年余りで帝国の東側にほぼ匹敵する面積の大帝国をうち立てた。その為、帝国は東方交易路を塞がれてしまう。
二つの一神教の対立は宗教的なモノから経済的な実利レベルへと移行するのである。
参考文献 「西暦535年の大噴火」 デイヴィッド・キーズ 文藝春秋