大陸史抄録
§1 魔法文明の発生
1−1 農耕と魔法文明
今に伝わる魔法文明は4つの大河の傍らで生まれた。母なる大三角地帯・通称パシェル=デルタ(あるいは単にデルタとも)を生み出した双河ディクォールとサフラニーク、そしてミシュリアのニエラの大河。最後の一つは先ガンダール文明を産んだとされる幻の河である。この4つは東西に並び、非常に類似した環境にあって、相互に影響しあいながら創代魔法文明を発生させていったと思われる。
しかしこれとは全く接触無く大陸の東方に二つの文明が発生していた。この東方魔法文明は中央四河文明より遅れる事約一大年(歳差運動により春分点が一周する年月約二万六千年を十二の宮で分割したもの。約千八百年と算出産出される)ほどの差があると言われる。四河文明が多産を象徴する蟹座の時代であるのに対し、東方文明は双子座の時代に発生した。東方文明は奇しくも北と南の二つの大河を母胎としている。北の黄竜河と南の鳳凰江である。
互いに無関係に発生した二つの大文明はその発展過程に置いて大きな違いを生じていた。最適環境に同時多発的に発生した四河文明は(環境を作物に適合させる)環境操作型の魔法農耕文明を構築したが、異なる環境に起因する二つの魔法農耕の融合である東方文明は(作物を環境に適応させる)環境適応型の農耕文明を形成した。このため四河文明とその係累は排他的傾向にあり、逆に東方文明圏では同化吸収性が高い。
参照・魔法圏と文明他
1−2 遊牧民魔法文明の衝撃
牧畜は初期農耕(栽培)から派生して、発生当初は両者が混在して行われていた。定住農耕へ進むか、移動牧畜を選ぶかは周囲の自然環境に因るところが大きい。要するに居住地域が農耕に適しているか否かである。その基準は水資源の量である。多すぎれば植物の繁茂が早いため食料生産の手間が要らない。少なすぎれば乾燥したステップとなり、遊牧生活を選ばざるを得ない。基準線はおおよその年間降水量が五百mmの辺りにあるらしい。
農耕可能地域の外側の乾燥地帯に出現した遊牧民社会では厳しい自然環境から厳格な信仰体系が生まれる。また、家畜の管理統括から効率的な階層社会を生み出す。農耕社会では平等が重んじられるため有力な”指導者”は生まれても強力な”支配者”は発生しにくいらしい。古代社会は農耕地域に侵入した少数の遊牧民達が支配層を形成し大多数の農耕民を管理統括すると言う形で発生したと言うのが正解らしい。
農耕民と遊牧民は別々に魔法文明を発生させたが、こうした相互交流?を通じて影響を与えあって新たな魔法文明を作り上げていく。そうして生まれたのが西方のミシュリアやデルタ、東方の華内などの文明であった。
1−3 神魔大戦と枢軸の時代
ふくれあがった魔力が次元の裂け目を発生させ、やがて大陸全土を巻き込んだ二つの勢力の一大決戦へと至る。この抗争の中で二極化した結果、今に伝わる二大神族(アスヴァールとバール=ディローナ)が形成された。厳格なアスヴァールは遊牧民系、享楽的なバール=ディローナは農耕民系の神々が元になったと思われる。但し、両神族の神話体系は神魔大戦期よりその後の時代に作り出された物の方が多い。現在伝わっているのは、各地に散らばった逸話が大陸帝国誕生の後に集約・編纂されたものである。
神魔大戦というのが実際にどのような戦いであったのか実はよくわかっていない。西方でアスヴァール系の神々が強く、東方では逆にバール=ディローナ系の神が残っている所を見ても、どちらか一方が勝利を収めたとは考えにくい。西方偏重の魔道学院には敗れたバール=ディローナ神族とその従属民族が東方へ落ち延びたのだと主張しているが。確かな事は東西の分岐点にあった先ガンダール文明がこの大戦期に滅んだらしいと言う事である。
§2 古代帝国の興亡
2−1 中央デルタの衰亡
四河文明の中心地・デルタの崩壊は突然に訪れた。それの火種は皮肉にも古代帝国の完成者ドーリアス大帝によって用意された。ミシュリアとスゥトーパを併合し、四河文明圏を完全にその勢力圏においた大帝はその矛先を多島海の向うにある新興勢力ギレイアへと向けたのである。
戦争は文明を伝播させる。四河文明の辺境であったギレイアは半世紀の長きにわたるパシェル=ギレイア戦争を経て、その果実を取り込む事に成功していた。このギレイアの文明圏の一角から”世界の破壊者”が生まれたのは戦争終結から百年余りを経た後の事であった。
破壊者エイクザート大王はギレイアの盟主としてパシェルドーン帝国に挑んだ。迎え撃つのは奇しくも完成者と同じドーリアスの名を持つ王であった。わずか十年で四河文明圏を制覇したこの軍事的天災は、しかしその大帝国を維持する為の時間までは与えられなかった。彼はまさに与えられた運命に従って文明世界を破壊する事になったのである。
哲人パラディムが故郷アルテアに創設したアカデミーは大王のもたらした征服の果実をもっとも有効に活用した。パラディムの一番弟子であった賢人アリューザが、学問上の弟子であった大王を征服に対して東方遠征を吹き込んだという伝説はこの辺りに起因するらしい。アルテア・アカデミーは四河魔法文明を体系的にまとめ上げ今に引き継がれる五分野学科を構築した。
大王のもう一つの遺産がミシュリアの地に彼が築いたエイクザドラの町にある。大王の後継者の一人パトラモスは大王の遺体をミシュリアへ持ち去ってこの地に自分の王国を築き上げた。パトラモスは一種独特の嗅覚を持ち合わせていたのであろう。彼は大王が破壊した文明の欠片を自らの町に移植した。それがエイクザドラのロゼティオンである。普通は大図書館と訳されるが、その実体は高度な情報記憶システムであったらしい。パトラモス朝ミシュリア王国が帝国に併合される過程でこのロゼティオンは失われた。
2−2 新帝国の勃興
完成から衰退に移行しつつあったパシェルドーンと対照的に西方には新帝国が勃興しつつあった。ラ・トゥーラの新帝国がトリアル半島内の覇権を確立したのはエイクザート大王の登場とほぼ同時期である。それまでは半島内の諸都市国家間の相互同盟体制であったものが、諸都市と帝都ラ・トゥーラとの二者同盟に改められたのである。これが新帝国の国是となる分割統治の端緒であった。
やがて新帝国は半島全域に市民権を拡充した。それは国民皆兵を原則とする帝国軍の兵力増強が主目的では合ったが、敗者をも同化する姿勢はその後の新帝国の国是の一つとなった。
西方歴元年(覇王・ジェドリー=カイゼオスによる太陽暦採用を元年とする)前後、帝政移行期には中央デルタに復興したハルスーム王国、東方の古代帝国・華内が並立する三大帝国時代に成っていた。大陸の東西に初めて交通路がつながったのがこの時期である。
創代の四河魔法文明の内、西のミシュリアは新帝国の版図に組み込まれ、また東のガンダールは孤立して独自の発展を始めた。旧帝国直系であるポータリアは以前にも増して神権政体に大きく傾き結果として魔法文明的には停滞期に入る。
§3 魔法学院の誕生と教会祭祀の完成
エイクザートによって完成した汎ギレイア文化(ギレイズム)を最終的に継承したのが地央海の覇者となった新帝国であった。新帝国の支配階層となったラ・トゥーラ人は魔法の管理統括にはほとんど興味を示さず、被征服民となったギレイア人達にすべてを委ねてしまった。新支配者との妥協により一種の自治権を勝ち取ったギレイア最大の都市アルテアは新帝国によってもたらされた政治的安定を背景に西方の魔法文明の体系化を推し進める。アルテアの地に生まれた魔法学院はこれまでの生きるための手段としての魔法文明に対して、魔法の探求それ自体を目的として運営される。
華内では始皇帝が天下統一後に魔法の独占を狙ってかき集めたあらゆる魔法書籍を焚書処分したため、秦帝国が滅び新たに漢王朝が興ったときには国家管理による魔法の大系化が行われなかった。その一部は海を渡った道術師・汝伏の一団によって蓬莱島にもたらされたという。
新帝国による公認・合法化によって急速に保守化したジェード教会は、アケイン宗論により一神教の正統をジュドス教から引く継いでゼルマニズムと呼ばれる教会秘典を構築していった。ジャスラーンの預言者ヤールファザードはゼルマニズムの秘術を何処かで会得して神との交信を試みたのだと、ジェード教会側の一部は主張する。但し教会の公式見解は教会密教を認めない立場からこれを否定している。
3−1 アケイン宗論
西方歴368年のアケイン宗論において、ジェードが人として生まれ神の子=カリオテスとしての属性を得たとする教義が正統として認定された。これにより、神と人の異質性が強調された混性論がジェード教の本流となり、三位一体論は異端として排除される。
この信条は大きく二つの意味を持つ。一つはジュドス教の分派として扱われてきたジェード教が、新たに一神教の正統として位置づけられた事である。以後ジュドス教は異端として駆逐、あるいは吸収され消滅した。これ以降の神学論争は教理の修正はあっても分裂を引き起こす事はなく、代表者による神学論争が即座にすべての教徒の信仰に反映される強固なシステムが完成した。
次に人が修行によって限りなく神に近づけるという信念が発生し、神の御子・ジェード=カリオテスは諸聖人の頂点に立つ存在として位置づけられる。これを基礎として神になるための修行=ゼルマニズム密教が主に修道会を中心に展開される。
3−2 ギレイズムとゼルマニズム
ギレイズムとは魔道学院の魔法体系を指して銀十字教会(アケイン宗論後の正統教会をこう呼ぶ)が付けた名称である。一方、ゼルマニズムとは学院側が教会の秘儀に対しての呼称である。この両者は本来は同根であり、完全に対置されるべき物ではない。そもそも教会秘儀は西方歴600年前後に発生した魔道学院の大分裂により野に下った魔道師達の多くが修道会の立ち上げに関与した結果、構築された物なのである。よってヤールファザードの受けた神託も恐らくゼルマニズムの秘儀に拠る物で有ろうというのが学院の有力な見解である。
3−3 始皇大仙
いつの頃からか、始皇帝は死んだのではなく尸解昇天したのだと言う説が流布し始めた。尸解した始皇帝が始皇大仙と呼ばれて道教の有力な神として崇められるようになった後漢自体末期には、漢の武帝が行った封禅の儀式の際にこの始皇大仙が現れたとさえ言われる。