忍び組頭列伝・弐 服部諸家

 服部姓を名乗り、且つ伊賀に基盤を置く者を列記する。

 服部姓でも伊賀のみを支配する者は伊賀系に、また甲賀支配の服部玄斎家は甲賀系に分類する。

服部百蔵 〜永保八年没

 永保七年で61か2才とあるので元和3、4年生まれ。

 恐らくは五代目半蔵が十兵衛に斬られた後に忍び組を統括する頭となったのであろう。しかし半蔵の名を継いでいないのは遠慮したのか、それとも縁起が悪いと思ったのか。ともあれこれ以後、半蔵の名は使われていない。

 伊賀甲賀の頭。三人目の妻を甲賀系から迎え、革命的と言われる。その体験からか、伊賀男と甲賀女というカップリングを試みるが、最後の局面でやはり両派を対決させてしまう。→五代将軍継承問題

 将軍家綱の逝去の数日前に息を引き取る。初代半蔵以来久々に天寿を全うした。彼が生きていれば、その直後の根来お小人組の台頭は無かったのではないか。

登場作品 「読淫術」

服部千蔵 明和頃?

 作中に具体的な年代を特定出来る記述はないが、薩摩に下されたという「菊じるし」と呼ばれる密勅が登場する。朝幕関係が緊張状態に入った頃、具体的には明和事件に関係するのではないかと(勝手に)推測する。

登場作品 「忍者死籤」

服部百蔵(二代目) 天明

 公儀忍び組。

 孫娘おあんが甲賀卍谷へと有るので、甲賀も支配下に置いている筈である。

 七十を越える高齢。とあるので宝永の末から正徳(六代将軍家宣の時代)の生まれと思われる。この頃を書いた忍法帖が無いので系図も追えない。その後吉宗が紀州からお庭番を連れてくるので、いずれにしても服部家は全く影が薄いのだが。

 ただ一人の血縁である孫娘おあんが甲賀卍谷へ籠もってしまったのでこの系統は断絶した。

登場作品 「忍法穴ひとつ」

服部万蔵 天明

 伊賀組頭領。職制上は甲賀組も支配下にあるが、甲賀組については甲賀空斎が実質的に統括している。

 年齢的に見て百蔵(二代目)の甥くらいであろう。

登場作品 「さまよえる忍者」

服部万蔵(二代目) 天保〜弘化

 伊賀組頭領。三蔵より改名したと考える。

 箒天四郎と塵ノ辻空也を試験し、鳥居甲斐守に推挙する。引き合わせた後に追い払われてしまいその内容は知らない。

 服部紋三郎を仕上げて薩摩に送り出したのもこちらの万蔵であろう。

登場作品 「忍法とりかえばや」 「忍者黒白草紙」 「妻の忍法帖」

服部蛇丸 天保

 藤堂家無足人。

 服部家再興をめざし、恋人綱手を藤堂和泉守の側に挙げ、その男子を藤堂家の世嗣にしようと狙う。彼と無足人組は自来也に敗れるが、綱手の生んだ竜丸は藤堂家の跡取りとなったはず。

 と思って調べてみたが、天保七年時の藤堂和泉守高猷は明治二十八年まで生きていた。竜丸に相当すると思われる高潔(天保八年生まれ)が家督を継いだのは明治四年で、父に先だって明治二十二年に死亡している。

登場作品 「自来也忍法帖」

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