幕末前期

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嘉永六年(承前)

秋 漢兵衛を持て余した暗殺計画者達、彼を伝馬町へ送り込む。(獣人の獄)

10/23 家慶世子家祥、家定と改名し第13代の征夷大将軍に任ぜられる。

初冬 黒船に関する久米蔵の言動が問題となり大目付から処断を命じられる。久米蔵自ら牢へ入り追求を交わす。(ヤマトフの逃亡)

嘉永七年/安政元年 甲寅 七月閏

01/13 亜墨利加の舶、最渡来して豆州下田へ着。03/21退帆す。(定本 武江年表)

春 老中阿部伊勢守、奥医師多岐楽真院宝印を召して将軍家定の閨房を拝診させる。(秘戯書争奪)

07/09 幕府、日章旗を日本国惣船印に定む。(定本 武江年表)

夏 江戸にコロリが流行。外界と隔絶した伝馬町では被害軽微。(獣人の獄)

夏 阿部伊勢守、気分悪しく蘭医伊藤玄朴の往診を受ける。(秘戯書争奪)

九月 魯西亜の船、豆州下田に着。(定本 武江年表)

 伊藤玄朴、弟子丹波陽馬に同行して杯から復原したと称する医心方の一巻房内篇を阿部伊勢守に献上する。(秘戯書争奪)

10/13 阿部伊勢守、「医心方」を幕府に呈する。医心方は若年寄遠藤但馬守を以て躋寿館に交付され、写本が作られる。渋江抽斎、この作業に参加する。(秘戯書争奪)

十一月 久米蔵、牢に火を掛けて脱牢。妻は連れだしたが、義母と娘は行き違いとなる。(ヤマトフの逃亡)

11/04 南海大地震(所謂安政の大地震の一つ)。(ヤマトフの逃亡)

11/27 安政に改元。

安政二年 乙卯

三月 久米蔵、ロシア船を楯にして義母と娘の奪還を狙うが、果たせず。久米蔵は一人で失踪。この時出航したロシア船に乗り込んだと思われる。(ヤマトフの逃亡)

10/02 江戸の大地震、藤田東湖が家屋の下敷になって死亡する。50歳(誕生:文化3(1806)/03/16)。東湖の政敵・結城寅寿、「これでおれは殺される」と叫ぶ。(魔群の通過)伝馬町の切り放しで自由の身となった漢兵衛、自分を填めた暗殺計画者達を討つ。(獣人の獄)

安政三年 丙辰

深川越中島続に炮術調練城を築せられ、築地に講武所御取建あり。(定本 武江年表)

春 馬頭漢兵衛、八丈島へ流される途上難破。オロシアの黒船に救助される。(獣人の獄)

 藤田東湖の死より半年後、結城寅寿言葉通り上意討ちとなる。(魔群の通過)

秋 九段下に蕃書御調所御創設あり。(定本 武江年表)

八月末 大風雨。家屋多数損壊。(定本 武江年表)

09/18 長崎奉行が密告で浦上の隠れキリシタン15人を投獄し、信徒は獄死する。浦上三番崩れ。(首の座)

01/02 本所回向院に於いて、明暦丁酉、江戸大火に亡びし輩二百年忌法事修行あり。(定本 武江年表)

十二月 薩摩斉彬の娘敬子、近衛家の養女として家定に輿入れ。(陰萎将軍伝)

安政四年 丁巳 五月閏

06/16 将軍家定、老中阿部伊勢守を見舞う。水戸を押さえるために井伊掃部頭を使うと告げる。(陰萎将軍伝)

06/17 老中首座・阿部伊勢守死亡。(陰萎将軍伝)

08/28 渋江抽斎死去。(秘戯書争奪)

10/14 亜米利加合衆国の使節、副使と共に二人はじめて江戸へ着す。(定本 武江年表)

10/21 ハリスが将軍家定に謁見し、アメリカ大統領ピアースの親書を提出する。(陰萎将軍伝)

この年 講談師・宝井琴凌が国定忠次の一代記を初めて読む。忠次の英雄化の始まり。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

安政五年 戊午

01/21 雪。亜墨利加の使節、江戸を立ち、芝より乗船して豆州下田へ赴く。(定本 武江年表)

四月 井伊掃部頭直弼、大老に就任。(陰萎将軍伝)

05/07 江戸の医者の伊東玄朴らが日本で初めての天然痘予防接種の治療所を神田お玉ケ池に開設する。(これが後に西洋医学所となり東大医学部へと発展する。)(秘戯書争奪)

07/06 十三代将軍家定死亡。(陰萎将軍伝)

七月末の頃より都下に時疫行われて、芝の海辺・鉄炮洲・佃島・霊厳島の畔にはじまり、家毎にこの病痾に罹らざるはなし。(定本 武江年表)

八月より九月まで、武家・市中・社寺の男女、この病に終れるモノ凡そ28000余人、内火葬9900余人なりしと言う。(定本 武江年表)

08/08 孝明天皇が、条約の無断調印と徳川斉昭らの処罰に対する不満の勅諚を水戸藩に下す(戊午の密勅)。(魔群の通過)

八月 安藤対馬、寺社奉行から若年寄へ。(笊ノ目万兵衛外へ)

09/13 外国奉行村垣淡路守、大老井伊直弼より遣米副使の下命を受ける。(お庭番地球を回る)

12/01 徳川家茂が第14代の征夷大将軍に任ぜられる。

安政六年 己未

夏 井伊家出入りの大工の棟梁宅に覆面の浪士五名が侵入。同心・笊ノ目万兵衛、息子・万太郎を人質交換に出して母子を救うが、邸内の男達と共に息子も死なせる。(笊ノ目万兵衛外へ)

秋 笊ノ目、水戸郷士稲田安次郎の捕り物の際、多数の犠牲者を出し閉門とされる。笊ノ目の老母、一命を捨ててその復職を嘆願する。(笊ノ目万兵衛外へ)

安政七年/万延元年

一月 安藤対馬、老中に昇進。(笊ノ目万兵衛外へ)

01/18 遣米使節団、米艦ポーハタン号にて出帆。目付として小栗豊後守が参加。(お庭番地球を回る・軍艦忍法帖)「お庭番地球を回る」では22日と記述。

01/19 咸臨丸、アメリカへ向けて出航。勝海舟艦長として乗艦。(お庭番地球を回る・軍艦忍法帖)

02/03 水道橋御門内講武所御開設あり。築地講武所は御軍艦操練所となる。(定本 武江年表)井伊大老、開場式に臨席する。(軍艦忍法帖)

二月 木村継次、大老暗殺計画を聞きつけ参加を申し出るが、当日面子から外される。(新撰組の道化師)

陽暦03/05(02/13) ポーハタン号、ハワイに寄港。18日出航。(お庭番地球を回る)

陽暦03/16(02/24) 咸臨丸、一足先にサンフランシスコに到着。(お庭番地球を回る)ポーハタン号より13日前と記述。

03/03 井伊直弼が、江戸城桜田門外で関鉄之介が指揮する18人の浪士に暗殺される(桜田門外の変)。46歳(誕生:文化12(1815)/10/29)。(新暦1860/03/24)公用人宇津木六之丞、大老生存と報告。(首)

 同日 伊勢長島二万石・増山河内守の国家老の甥・鶴見銀之助、大老の首を拾い藩邸に持ち帰る。門番・政蔵、首を河内守の愛妾お縫の方に見せる。お縫の方の愛人・六郷伊織、首を持ち出す。(首)

 同日 大老の首を持った六郷、目明かし銀次に尋問され捕縛。首は居合わせた檜兵馬が持ち去る。(首)

陽暦03/29(03/08) ポーハタン号、サンフランシスコ到着。(お庭番地球を回る)

晩春 晃円、孫娘お貞を伴って千手院に現れる。多分井伊大老暗殺の前後であろう。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

03/15 檜、桜田門外にて心中。通りがかりの武士、側にあった首を井伊邸に持ち込む。(首)

03/18 「萬延」に改元する。

陽暦04/25(閏03/05) 遣米使節パナマに到着。此処より陸路。対岸で軍艦ロアノークに乗船。(お庭番地球を回る)

陽暦05/13(閏03/23) ハンプトン・ローズに到着。此処よりポトマック河を遡上。(お庭番地球を回る)

陽暦06/25(05/07) ニューヨークで歓迎の大舞踏会。(お庭番地球を回る)

秋 忠治の遺児・千乗、素性を明かした晃円こと日光の円蔵の誘いを受けて侠客として旗揚げする。母方の姓を名乗り大谷国次と名乗る。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

08/15 徳川斉昭(烈公)没。61歳(誕生:寛政12(1800)/03/12)。水戸藩主。(魔群の通過)

09/28 遣米使節、帰国。(お庭番地球を回る)

万延二年/文久元年 辛酉

02/19 「文久」に改元する。

三月 蕃書御調所を小川町講武所へ移さる。(定本 武江年表)

四・五月 笊ノ目、東禅寺のイギリス公使館襲撃計画を内偵しその計画をほぼ探り出す。(笊ノ目万兵衛外へ)

五月 浪士、笊ノ目の妻を誘拐し、奉行所の動きを封じる。結局彼の妻は殺害される。(笊ノ目万兵衛外へ)

05/28 夜中、高輪東禅寺英吉利人旅館へ浪人大勢切り入りで、警護の師と闘諍に及び、双方疵をこうむる。(定本 武江年表)奉行、罷免され逆上、万兵衛を呼び出して叱責する。(笊ノ目万兵衛外へ)

12/21 幕府の使節団渡欧。(ヤマトフの逃亡)

文久二年 壬戌 八月閏

01/15 坂下門外の変。水戸浪士らが登城途中の老中安藤信正(44)を襲う。(軍艦忍法帖)東禅寺の襲撃犯に混じり笊ノ目万兵衛この刺客に加わる。生き残った安藤対馬、彼の死体を隠滅し、彼の関与を隠す。(笊ノ目万兵衛外へ)木村、桜田門に続きこの時も参加し損なう。(新撰組の道化師)

03/19 講武所で将軍家定臨席の御前試合が行われる。(軍艦忍法帖)

 宗像主水正、講武所奉行酒井壱岐守の娘美也を娶る。(軍艦忍法帖)

六月より八月まで、麻疹にして死せるモノ14210人。(定本 武江年表)

七月 幕府使節団、露都ペテルブルク入り。ドストエフスキーと談笑中の久米蔵が目撃される。(ヤマトフの逃亡)

07/15 戌下刻より光り物、筋を引きて未申の方へ飛ぶこと夥し。(定本 武江年表)

07/19 島田左近、暗殺。その妾おえん、島田の死体と共に裸で晒される。翌日、薩摩侍田中雄平に解放される。(三剣鬼) 

08/21 横浜の生麦村にさしかかった薩摩藩の島津久光一行が4人のイギリス人と鉢あわせし、薩摩藩の共の者が斬り掛かってイギリス人に死傷者が出る(生麦事件)。(軍艦忍法帖)

暮 死んだはずの島田虎之助、新徴組を退け、机龍之介を驚嘆させる。(「大菩薩峠」中里介山)

文久三年 癸亥

一月 主水正、町奉行・小栗豊後守の命を受けた旧友により殺害される。(軍艦忍法帖)

 新見錦、浪士募集の話を聞きつけ木村を誘う。(新撰組の道化師)

02/08 清河八郎ら上洛の浪士隊が京に向けて出発する。(新暦1863/03/26)木村継次、道中芹沢鴨と改名。(新撰組の道化師)

02/13 幕府御上洛。御発輿ありて、06/16還輿あり。(定本 武江年表)

02/23 浪士組、京都着。清河、浪士組を討幕の先兵にしようとする意志を明らかにする。(軍艦忍法帖)

03/13 幕府が、上京中の浪士隊の清河八郎らに帰国を命じる。芹沢鴨・近藤勇らは残って京都守護職に属し、のちに新撰組を名のることになる。(軍艦忍法帖)

四月 新徴組浪士、酒井繁之丞殿(庄内侯)の付属に命ぜられる。(定本 武江年表)

05/10 長州藩が、下関を通過するアメリカ商船ペムブルーク号を砲撃する(下関事件)。(軍艦忍法帖)

05/19 おえん、田中の刀を持ち出して近くの辻へ放り出す。(三剣鬼)

05/20 姉小路卿、殺害。近くで田中の刀が発見される。(三剣鬼)

05/26 田中、町奉行所で刀を示され、弁明をせずその場で自害。(三剣鬼)

07/02 台風のさなか薩英戦争が始る。薩摩藩の砲台が壊滅する。(軍艦忍法帖)

08/13 壬生浪士隊(新撰組)の芹沢鴨が大和屋を大砲で焼き討ちにする。(軍艦忍法帖)

08/17 中山忠光ら天誅組が、大和五条代官所を襲う(天誅組の乱)。(軍艦忍法帖)

08/18 朝廷内でクーデターが起こる。島津久光と会津容保が大兵を起こし、尊攘派が京都から一掃される。(軍艦忍法帖)

09/08 新見錦、切腹に追い込まれる。(新撰組の道化師)

09/18 芹沢鴨が、平山五郎、平間重助とともに八木邸で近藤勇らに暗殺される。37歳(誕生:文政10(1827))。(新暦1863/10/30)(新撰組の道化師)

暮 おえん、田中雄平の友人岡田から彼の正体を聞かされる。(三剣鬼)

12/04 下総で真忠組が旗揚げ。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

12/27 再度幕府の御上洛あり。(定本 武江年表)

文久四年/元治元年 甲子

01/17 真忠組、諸藩の兵から攻撃を受けて壊滅。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

02/20 「元治」と改元する。(新暦1864/03/27)

 岡田以蔵、おえんの前に現れなくなる。(三剣鬼)

春 九州香月藩に長州よりの密使宍戸聞太が訪れる。神保庄蔵、内通の容疑で同志の中寺猪三郎と小野清五郎から切腹を迫られる。(切腹禁止令)

三月 松代藩士佐久間象山、上洛中の将軍に招聘される。一子恪二郎、これに同伴。(俺は不知火)

三月末 藤田東湖の遺児小四郎、筑波山に志士を集結。(魔群の通過)

四月 筑波勢、日光へ移動。東照宮を楯にするつもりであったが、日光奉行の警戒線に掛かり、参拝だけして撤収。この不徹底さに呆れた田中愿蔵が分離、野州で略奪を行って悪名を得る。(魔群の通過)

四月 新島襄、脱藩し箱舘に到る。六月に米船に密行し渡米。(地の果ての獄)

五月末 筑波勢他国では色々とやりにくいと悟って本拠地筑波山へ戻ってくる。(魔群の通過)

06/05 新撰組が、池田屋で尊攘派を襲い、長州藩士ら16人を殺害する(池田屋騒動)。(新暦1864/07/08)(軍艦忍法帖)

06/20 幕府、御船にて京師より還御あり。(定本 武江年表)

 香月藩の勤皇派の領袖江崎帯刀、死諫を行うが効果無し。(切腹禁止令)

夏 水戸藩主慶篤の名代、大炊頭頼徳、佐幕派に入城を拒否され藤田勢と合流、幕府軍と合体した佐幕派との交戦が開始される。(魔群の通過)

07/10 高田源吾(河上彦斎)、岡田以蔵の紹介でおえんの前に現れる。斬首直前に紹介されたことになっているが、以蔵の死は慶応元年である。(三剣鬼)

07/11 佐久間象山、河上彦斎らによって殺害される。彦斎、おえんを探すが見つからず。(三剣鬼)

07/14 藩命により佐久間家の知行・屋敷が召し上げとなる。(俺は不知火)

07/17 恪二郎、父象山の仇討ちを志し、父の弟子であった会津藩士・山本覚馬の紹介で新撰組へ。(俺は不知火)

07/19 長州と薩摩が対立して京都諸門で戦闘を交える。禁門の変、蛤御門の変が起る。(俺は不知火)

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