幕末後期

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元治元年(承前)

夏 掃除頭刈谷鶏之介、婢お篠と関係。これを妻とすることを潔しとせず難癖を付けて放逐。お篠は心中未遂を起こし非人手下の刑に処される。(乞食八万旗)

八月 小栗豊後守、勘定奉行に復職、上野介と改める。(軍艦忍法帖)

09/25 勝、職を免ぜられ江戸へ出発。(軍艦忍法帖)

09/26 大炊頭、弁明のため単独で幕府軍に投降。(魔群の通過)

09/27 武田耕雲斎の息子源五郎、嫡孫金次郎らと供に水戸に潜入。田中愿蔵と遭い、幕軍総督・田沼の妾と佐幕派の頭目市川三左衛門の娘を質に取る。二人の女性は丑之助少年に連れられて筑波勢へ入る。(魔群の通過)

十月 御上洛の済ませられ御祝儀として、江戸町民一統へ63000両の金子賜わる。(定本 武江年表)

10/05 大炊頭、弁明の機会を与えられないまま切腹。随行の家臣三十五名も全て処刑。(魔群の通過)

10/22 大発勢(大炊頭に附けられていた兵)の幕軍への内応が知れる。那珂湊勢、藤田小四郎の筑波勢と合流し敗走を開始する。(魔群の通過)

10/26 常陸北辺の大子村で軍議。上洛し慶喜を頼ることで決する。三十日大子村を出発。(魔群の通過)

11/07 天狗党鹿沼に至る。市川の下男、お嬢様の救出のため潜入。水戸にいた人質との交換を約束するが、行軍の安全が優先され決裂。処刑される。(魔群の通過)国定忠治の遺児・千乗天狗党の一団に加わる。(旅人国定龍次)

11/10 天狗党、野州南西葛生に至る。大前田の栄五郎の懇請を入れて足利を避けて通る事を約す。国定龍次、栄五郎に同行し、天狗党一行に加わっていた異母兄千乗(大谷国次)より父の形見である小松五郎義兼を託される。(旅人国定龍次)

11/14 田中平八、人質の一人・田沼の妾おゆんを連れて投降を謀るが、脱出に失敗。一人で逃亡。後に生糸貿易で成功し「天下の糸平」と呼ばれる。(魔群の通過)

11/16 高崎藩兵の攻撃を退ける。(魔群の通過)

11/20 薄井督太郎、故郷の飯田を避けるように頼むが受け入れられず、脱走する。維新後、北海道開拓に従事、札幌の一角、薄野にその名を残す。(魔群の通過)

11/29 鵜沼。薩摩の密使中村半次郎より慶喜の追討軍の情報を聞き、対決を避けるため北陸への転進を決める。(魔群の通過)

十一月 小栗上野介、実家へ戻っていた美也の婚姻を周旋するが、父酒井壱岐守に拒絶される。(軍艦忍法帖)

12/16 武田金次郎、決戦前に人質は不要としてこれを逃がす。その後降伏受諾を知らされ愕然とする。(魔群の通過)

12/16 水戸藩の天狗党が加賀藩に降伏する。(魔群の通過)

12/28 酒井壱岐守、講武所奉行を罷免される。(史実では文久二年)(軍艦忍法帖)

元治二年/慶応元年 乙丑 五月閏

02/04 天狗党の処刑開始。二十三日までに合計三百五十二人が斬られる。源五郎と金次郎は(恐らく逃がした二人の女性の助命嘆願もあって)百十一人の遠島組に入れられる。(魔群の通過)

02/19 大浦天主堂落成。(首の座)

暦3月18日 宣教師ベルナルド・プティジャン、日本に切支丹の後裔有りと教区長に報告。(姫君何処におらすか・首の座)

新暦4月26日 宣教師ベルナルド・プティジャン、浦上の敬三郎・源太郎兄弟神学校へ入学と報告。(姫君何処におらすか)

03/24 市川、武田耕雲斎の遺族を残らず処刑。(魔群の通過)

04/07 「慶應」と改元する。(新暦1865/05/01)国定龍次、新任の八州取締出役久保軍蔵を斬ってわらじを履く。栄五郎の養女おりん、これを追って旅立つ。(旅人国定龍次)

05/11 土佐の人斬り、岡田以蔵が梟首となる。28歳(誕生:天保9(1838))。

 龍次、江戸に新門の辰五郎を訪ねる。辰五郎から金をせしめようとする旗本青木弥太郎のたくらみを挫く。薩人草堂万千代、龍次の押し掛け用心棒となる。(旅人国定龍次)

夏頃 龍次、飯岡の助五郎の二代目と一悶着起こす。(旅人国定龍次)

新暦9月14日 宣教師ベルナルド・プティジャン部漣島の変形した信仰習俗について報告。源太郎少年を残してくる。(姫君何処におらすか)

新暦9月20日 敬三郎、神父の代理で部漣島へ渡り教化を試みる。(姫君何処におらすか)

十月 下総の真忠組で参謀格だった沢田正三郎、野州・岩船山の国次の縄張りに現れる。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

十一月 龍次、甲州で黒駒の勝蔵の客となり、清水の次郎長の賭場荒らしに荷担する。次郎長からの果たし状を受けて逃げた勝蔵の代理で喧嘩を買い、次郎長に気に入られる。(旅人国定龍次)

暮 恪二郎、義母順子(勝の妹)の再婚に衝撃を受ける。(俺は不知火)

12/25 龍次、次郎長に同行して遠州秋葉山に詣でる。伊勢の喧嘩に助っ人として加わる。(旅人国定龍次)

慶応二年 丙寅

春 恪二郎、父の敵の素性を知る。義母の再婚相手・村上俊五郎らの助太刀で敵討ちの旅に出発。(俺は不知火)

二月 薩長同盟成立。(旅人国定龍次)

新暦2月25日 長崎奉行所の取り締まり、部漣島に及ぶ。弟・源太郎は解放されるが、兄・敬三郎は投獄される。(姫君何処におらすか)

新暦2月28日 部漣島のマリア、お影様昇天。(姫君何処におらすか)

04/08 伊勢荒神山で穴太徳一家と吉良・清水一家の喧嘩。吉良方の名目人・神戸の長吉は途中で消え、吉良の仁吉は死亡。(旅人国定龍次)

04/21 次郎長、四日市入り。穴太徳一家を蹴散らして荒神山の縄張りを乗っ取る。(旅人国定龍次)

四月末 新門の辰五郎、慶喜の依頼で徳川の馬印を京へ運ぶ。(旅人国定龍次)

五月末 勝、軍艦奉行に再任。(軍艦忍法帖)

夏 帯刀の娘・貴乃、城に召し出される。恋人であった小野清五郎、その前に関係を結ぼうとして拒絶される。(切腹禁止令)

07/20 京師に於いて幕府御他界あり。将軍家茂死去。(定本 武江年表)

秋 香月主膳正死亡、世嗣・織部正が相続。(切腹禁止令)

秋 香月経四郎、パリより帰国。(明治断頭台)

秋 大谷国次、沢田正三郎に感化され、江戸薩摩屋敷へ向かう。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

初冬 芥丹左衛門、改革派の粛正を狙った大評定の席上で放屁。臨席していた織部正が笑いながら退席した後、丹左衛門は恥じて切腹して果てる。反対派はこの混乱に乗じて脱藩を果たす。(切腹禁止令)

12/23 孝明天皇崩御。(旅人国定龍次)岩倉具視による毒殺の噂が根強い。(人間臨終図鑑)

慶応三年 丁卯

一月 龍次、万千代の頼みで伏見の薩摩屋敷に向かう。途中で伏見屋のお龍と知り合う。彼を付け狙う祐天仙之助、新撰組を伴って龍次を襲うが返り討ち。その後お龍と連れだって伏見へ入り坂本龍馬と会う。(旅人国定龍次)

 龍次、薩摩屋敷で岩倉の下で賭場を開いて資金調達をしている黒駒の勝蔵と再会し、乞われて助っ人となり、会津小鉄との賭場争いを繰り広げる。(旅人国定龍次)

正月 鶏之介、友人信楽愛四郎・榎戸主馬にせっつかれてお篠に会いに行くが途中で逃げ出す。(乞食八万旗)

春 円蔵の孫・お貞、国次の子を産む。忠次と命名。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

二月 恪二郎一行京へ帰還し、仇敵河上彦斎の所在を知る。熊本にて彦斎らと対決。村上が共犯者の二名を斬るが、彦斎には敗北。恪二郎、薩摩へ修行に出る。(俺は不知火)

初夏 薩摩の御用盗、活動を始める。国次これに参画。国次、益満の薦めで名を大谷刑部国次(くにつぐ)と改める。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

06/13 長崎奉行、浦上の信徒の一斉検挙に踏み切る。浦上4番崩れ。(首の座)

七月 鶏之介ら三人、非人頭・車善七邸を訪れるが、お篠の救い出しには失敗。善七が将軍慶喜とうり二つなのに驚く。(乞食八万旗)

 龍次、池田屋で賭場を開き、新撰組に踏み込まれる。龍次、近藤勇との一騎打ちで右目を潰される。(旅人国定龍次)

秋の終わり 国次、牛込馬場下の夏目小兵衛という名主の家に押し入る。国次、一才にも満たない幼児を蹴飛ばした仲間を切り捨てる。金ちゃんと呼ばれたその赤子は後の夏目漱石であった。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

 偸盗の賊、超過に付き、十一月より市中所々に仮の屯所を設けて、別隊組・徴兵組、其他の兵隊、夜々ここに屯して坊間を巡視して、賊徒の防とせらる。(定本 武江年表)

10/02 去る安政二年震災に死亡の儔(ともがら)、十三年の忌辰に付き、諸宗寺院に於いて法事修行あり。(定本 武江年表)

10/14 将軍慶喜が、大政奉還を上奏し、翌日勅許される。(新暦1867/11/09)

10/15 新撰組、薩摩が密かに発注していた錦旗の材料を没収。龍次、これを阻止しようとして重傷を負う。新門辰五郎の仲介で一命は取り留める。(旅人国定龍次)

11/15 坂本龍馬、殺害される。(旅人国定龍次)

11/24 陽動作戦のため竹内啓を隊長として三十名の志士と国次の手下の十人余りの侠客が野州へ出発。国次、千住院にて千阿和尚と再会。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

11/27 国次、縄張りへ戻り、生まれたばかりの息子忠次を見る。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

12/11 野州蜂起隊、八州役・渋谷和四郎の奇計に嵌り潰走。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

12/12 将軍慶喜、京を退去して大坂に移動する。(旅人国定龍次)

12/21 大谷刑部国次、佐野天明河原で磔刑。円蔵、顛末を悔いるが、お貞は赤子を抱えうっとりとこれを見つめる。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

12/23 薩摩浪人達の放火により江戸城二の丸の「奥」から出火。表火番頭信楽愛四郎、防火に出動。勝海舟の言葉で切腹を思いとどまる。(乞食八万旗)

12/25 芝薩州侯屋敷に於いてことあり。(定本 武江年表)御用盗の震源地となる薩摩藩邸に対して庄内藩兵などが攻撃を仕掛ける。(軍艦忍法帖)

慶応四年/明治元年 丙辰 四月閏。

01/03 鳥羽伏見の戦い。(旅人国定龍次)

01/05 沢田正三郎、完全な薩摩弁で、大西郷に顛末を報告。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

01/06 将軍慶喜、大坂城を脱出し幕府海軍の旗艦・開陽丸に入る。(旅人国定龍次)

01/07 龍次、江戸より戻った相良総三と再会。総三、龍次の兄大谷国次の死を告げる。大坂城へ潜入して慶喜が運び忘れた馬印を入手し辰五郎に渡す。辰五郎、陸路を使って江戸へ持ち帰る。

01/08 慶喜を乗せた開陽丸、江戸へ向けて出航。(旅人国定龍次)

01/09 黒駒の勝蔵、官軍の先鋒として東海道を進む。(旅人国定龍次)

01/11 龍次、薩摩屋敷へ戻る。(旅人国定龍次)

01/11 夜、幕府、去年より大坂表御進発ありしが、故ありて蒸気船にて還御あり。二月より東叡山に籠もらせらる。(定本 武江年表)

01/12 置いてきぼりを食らった新撰組、榎本武揚と共に江戸へ向かう。(旅人国定龍次)

01/15 赤報隊、中山道へ向けて出発。龍次これに同行。(旅人国定龍次)

二月 堺事件。

二月頃より諸侯御妻室、大方在所へ帰国あり。御旗本衆も知行所へ趣れたる輩多し。(定本 武江年表)

二月 刈谷鶏之介、榎戸と組んで非人を動員して甲府へ向かう案を信楽愛四郎に打ち明ける。(乞食八万旗)

十二日 (未明)将軍・慶喜、江戸城を出て上野寛永寺に移る。その際火番頭信楽愛四郎を召し、江戸城を失火から守るよう厳命する。(夜明け後)愛四郎、車善七を訪れ、甲府行きを押しとどめ江戸城の掃除と防火を依頼する。(乞食八万旗)

 鶏之介、家族を連れて下総方面へ逃走。(乞食八万旗)

02/14 沢宣嘉卿、九州鎮撫総督として長崎に着任。(首の座)

02/24 岩倉、赤報隊の行動に問題有りとして西郷にねじ込む。西郷、これを入れて赤報隊をニセ官軍として処分する事を決める。おりん、龍次の身を案じて馬で追いかける。その際に、万千代の銃撃を浴びる。(旅人国定龍次)

03/02 おりん、龍次に追いつく。(旅人国定龍次)

03/03 赤報隊がニセ官軍とされ、相楽総三以下が処断される。龍次、万千代を斬るも左腕を失う。おりんの死骸を抱いて上州大前田村へ向かう。(旅人国定龍次)

三月始め 保科兵馬他六名、西郷の元へ向かう山岡を阻止しようとして、それを阻む、富士巻左内と対決。兵馬、左内を斬るが、会談の阻止は失敗。(一、二、三)

03/09 勝の代理人・山岡鉄太郎、益満休之助の案内で西郷と会談。(地の果ての獄)

03/10 水戸諸生派の頭目・市川三左衛門、五百の手兵を率いて会津入り。(魔群の通過)

03/14 勝と西郷の直接会談。江戸無血開城が決まる。(乞食八万旗)

 十五日 一部の官軍が江戸城へ押し寄せる。主馬官軍を案内して江戸城を訪れ、愛四郎に制止される。非人の群れ駆け付けてこれを追い払う。(乞食八万旗)

 十六日 官軍の隊長三名、江戸城に来訪。将軍に扮した車善七に出迎えられ、泡を食って退散する。(乞食八万旗)

三月より勅使御下向、官軍御発向あり。尾州侯藩邸・池上本門寺、また芝増上寺・浅草六郷家藩邸へ追々に御着ありて西城へ入せらる。(定本 武江年表)

三月 沢卿、信徒達の中心であったパウロ千助を棄教させる。江藤新平、沢卿の生野の変での醜態の賜物と嘲笑うが…。(首の座)

三月末〜四月 江戸で官軍の隊長クラスの人間が次々に殺される。四月半ばまでに二十数人。(修羅維新牢)

04/11 先の幕府、上野天樹院より常州水府へ御退あり。(定本 武江年表)

04/11 徳川艦隊、江戸を脱走。渦潮丸、最後の仇烏帽子右近もろとも丞馬にによって沈められる。(軍艦忍法帖)

04/11 江戸城、東海道先鋒総督橋本実梁卿に引き渡される。(乞食八万旗)

04/15 官兵の暗殺を憂慮し大総督府参謀が布告を出す。戸祭隼人、師である勝との別れの帰り家族に狼藉を働いた官兵を斬る。(修羅維新牢)

 中村半次郎、十人の旗本を捕縛し、官兵殺害の犯人が名乗り出るまでこれを一人ずつ処刑すると布告。隼人出頭し、残った四名が釈放される。(修羅維新牢)

04/29 徳川亀之助殿、御相続仰付らる。(定本 武江年表)

05/02 長岡藩総督河井継之助が東山道総督府軍監岩村精一郎と慈眼寺で会談するが、不調に終わる(小千谷会談)。(地の果ての獄)

 彰義隊・藤波伊織、説得に来た鍋島藩家老・有馬伝蔵を切り捨てる。(絞首刑一番)

05/06 大総督府、徳川家達(亀之助)に命じ、江戸府内に在りし旧幕の制札を撤去せしめ、新政府の制札を掲げしむ。(定本 武江年表)

05/15 暁より官軍、東叡山に向かわれ、山内に籠り居し彰義隊と号せし脱走の浪士と戦闘あり。(定本 武江年表)

05/18 益満休之助、流れ弾により戦死と伝えられる。(地の果ての獄)

05/19 三奉行(寺社・町方・御勘定)を改め、布政・民政・社寺・裁判所と号せらる。(定本 武江年表)

05/23 江戸町奉行所、官軍へ引き渡し。元南町奉行駒井相模守信興、引き渡しを代行。参謀・川路利良と対峙。(警視庁草紙・黒暗淵の警視庁)

6月半ば 長崎奉行独断で切支丹を捕縛。(首の座)

07/17 天皇江戸に御親臨、これより江戸を東京と称すとの詔書出しなり。(定本 武江年表)

八月 今般御一新につき、大赦被行、科人、追々に御赦免に成る。(定本 武江年表)

08/09 当徳川侯、駿府へ御発駕あり。(定本 武江年表)

08/16 河井継之助、会津へ落ちる途中で落命。(人間臨終図鑑)

08/19 徳川艦隊、東京湾を出航。(明治波濤歌・それからの咸臨丸)

09/01 咸臨丸、清水港に漂着。18日、官軍に拿捕。(明治波濤歌・それからの咸臨丸)

 カール・マルクス「資本論」

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