家慶篇

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天保九年 戊戌 四月閏

春 遠州掛川にて。石松少年が侍と諍いを起こして片目を斬られるが、清水の長五郎が割って入り命は助かる。(武蔵野水滸伝)

夏 甲州街道石和の宿にて。武居の吃安、仲間の女房を奪った男を代官所の役人が見ている前で仕置きする。(武蔵野水滸伝)

秋 島抜けの凶状持ち佐原の喜三郎、武州府中で大捕物の末に捕らえられる。小金井一家、小次郎親分の命令で彼をかくまっていた彦兵衛を救うため署名集めに走る。(武蔵野水滸伝)

十月 日本橋へ去年二月大坂にて事ありし何某(大塩の挙兵)が一件、落着の捨て札立つ。(定本 武江年表)

天保十年 己亥

春 上州国定村付近の街道沿いの高い木に三つの死骸が吊される。国定忠治の軍師日光の円蔵による処刑か?(武蔵野水滸伝)

五月十四日 渡辺崋山、町奉行所に拘引。(番社の獄)(八犬傳・虚実冥合)

五月過ぎ 北斎、久しぶりに馬琴を訪ねてくる。(八犬傳・虚実冥合)

六月 高野長英、蛮社の獄で入牢。

 この年、浦上で転び切支丹の密告。浦上二番崩れ。(首の座)

天保十一年 庚子

一月 渡辺崋山蟄居。三河田原(崋山の主君の国元)へ送られる。(八犬傳・虚実冥合)

夏 下総飯岡にて。飯岡の助五郎、漁師の若い寡婦と町の若い衆との合同結婚式を催す。(武蔵野水滸伝)

秋 馬琴、白内障が左目に及び、遂に失明。(八犬傳・虚実冥合)

11/01 幕府が三方領地替えを発令する。それは、川越を庄内へ、庄内を長岡へ、長岡を川越へと循環転封するというもの。酒井家は14万石から7万石に減封されることになる。(忍者黒白草紙)

 北町奉行遠山左衛門尉の倅銀五郎、老中水野越前守の指令で八州廻りを監督する。(武蔵野水滸伝)

天保十二年 辛丑 正月閏

閏01/30 徳川家斉、没。69歳(誕生:安永2(1773)/10/05)。

 馬琴、嫁のお路に八犬伝の筆記させる。(八犬傳・虚実冥合)

二月七日 馬琴の妻お百没。(八犬傳・虚実冥合)

春三月 北町奉行遠山左衛門尉の次男・銀五郎、老中水野越前守の名代お耀(南町奉行鳥居甲斐守の娘)の裁可を得て職務怠慢の八州廻り八名を切り捨てる。水野、二人を八州廻りの総元締めに任ず。(武蔵野水滸伝)

04/17 若年寄林肥後守忠英、御側御用取次水野美濃守等が罷免される。(国貞源氏・忍者黒白草紙)

五月より坊間の法度、中古に復すべし旨を令せらる。(定本 武江年表)

05/17 中野石翁、向島の別邸を退去。その養女であった家斉の愛妾おみよの方も間もなく押し込めに遭う。(国貞源氏)

五月 土佐の捕鯨船が難破し、乗組員万次郎がアメリカの捕鯨船に拾われて渡米する。(武蔵野水滸伝)

六・七月 北斎、滝沢邸を訪ねる。馬琴とお路の様子を見て「あれは絵になる」とつぶやく。(八犬傳・虚実冥合)

07/12 庄内・長岡・川越藩の三方領地替の取り止めを決定する。酒井家の反対運動、端的に言えば賄賂攻勢が功を奏したらしい。町奉行矢部駿河守、水野越前守の周辺に及ぶ賄賂疑惑を指摘する。(忍者黒白草紙)

07/14 官需林逑斎卒。(定本 武江年表)

八月初め 銀五郎と物外和尚、相州藤沢に現れて遊行寺の撞木と武居の吃安の決闘?を検分する。撞木、勝利を収めたが和尚に男根をへし折られ引退を宣言する。吃安、頼みに答え介錯?を勤める。(武蔵野水滸伝)

八月半ば 銀五郎と秋山要助、小金井の小次郎邸に殴り込み。居合わせた清水の次郎長が調停に現れ、その間に小次郎は逃走する。(武蔵野水滸伝)

08/20 滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の執筆が完結する。(八犬傳・虚実冥合)

八月末(晩夏) 銀五郎、浅利又七郎を伴って霞ヶ浦の吉兵衛の縄張り常陸・江戸崎に向かう。清水の次郎長、出迎えに現れる。吉兵衛、おとなしく又七郎の成敗を受ける。(武蔵野水滸伝)

九月(初秋) 銀五郎、千葉周作・奇蘇太郎親子を伴って総州に出張する。平手造酒が笹川の繁蔵の用心棒として現れ、師周作との決闘を望むが、奇蘇太郎が立ちふさがる。飯岡の助五郎一家が十手を振りかざして乱入し対決は流れる。繁蔵、観念して草鞋を履く。(武蔵野水滸伝)

秋 高橋玄秀の息子馬之助長崎へ医学の勉強に出る。(紅閨の神方医)

秋 下野で一揆が起こる。煽動したやくざ者が捕らえられ小伝馬町の牢屋へ放り込まれる。(武蔵野水滸伝)

十月 銀五郎と勝小吉、小吉の息子麟太郎に見送られて安房勝山に出張する。海女を扇動する晃円(日光の円蔵)と対決する。銀五郎、円蔵の口上を聞いた上でこれを逃がす。乙姫お伏、これに同行。(武蔵野水滸伝)

11/11 三河田原藩士・画家にして蘭学者渡辺崋山自刃す。十月に蛮社の獄で逮捕謹慎。(定本 武江年表)

 島田虎之助の病気と降雪のため、上州出張は翌年に延期される。(武蔵野水滸伝)

 将軍世嗣・家定、西の丸入り。鷹司家より有姫が輿入れ。(陰萎将軍伝)

十二月 御徒目付の娘お史、千両の結納金と引き替えに札差板倉屋金兵衛の元に輿入れする。(忍者黒白草紙)

12/28 鳥居耀蔵、南町奉行となり、甲斐守に叙任。(忍者黒白草紙)

天保十三年 壬寅

新暦頒行。天保壬寅元暦という。(定本 武江年表)

元旦 日本橋に目安箱が再現される。(忍者黒白草紙)

正月 札差組合よりの上納を停止、代わりに組合による札差業の独占を廃止。板倉金兵衛、札差仲間からとった廻状を抑えられ逮捕される。金兵衛、女房の裏切りを見て協力を約束する。(忍者黒白草紙)

早春 昨年秋に下野で捕らえられたやくざ者が牢死する。(武蔵野水滸伝)

二月 旗本織田右京、互いの女房を賭けて胴元・死不知の死之助と勝負する。(忍者黒白草紙)

二月半ば 死之助、生き甲斐を失って縊死。屍骸は見せしめとして市中引き回しにされる。(忍者黒白草紙)

春 遠山左衛門尉、北町奉行を辞任する。(実際には翌十四年まで在任)銀五郎、父と義絶し八州廻りの職務の遂行を宣言する。(武蔵野水滸伝)

03/18 官府より命じられて、江戸端々の料理茶屋二十余ヶ所取払い、酌取女は吉原町へはいる。(定本 武江年表)

 銀五郎、島田虎之助と桃井春蔵を従えて上州・赤城山へ主張する。栄五郎と忠治一党との対峙の最中銀五郎が質子となり、両剣豪空しく退散する。(武蔵野水滸伝)

六月 矢部彦四郎の妻偵代失踪。彦四郎、父駿河守への恨み状を残して割腹自殺する。(忍者黒白草紙)

六月半ば 元町奉行・矢部駿河守、嫁を姦し息子夫婦を自害させたとの風評に絶えられず食を断って餓死する。(忍者黒白草紙)

07/20 高屋彦四郎(柳亭種彦)、再度の召喚に応じず十字腹を切って自害。高屋家の断絶は免れる。(国貞源氏)

7月 お耀、銀五郎奪還のため、行方不明の平手と、上州にいる樋口を除く十四名の剣士達を再招集する。柳生屋敷から追い出された負け組の六剣士、柳亭種彦の急死を報じる瓦版売りを見る。(武蔵野水滸伝)

夏 国定一家による岩鼻代官所襲撃。忠治、松田軍兵衛を斬る。樋口十郎左衛門、混乱に乗じて妹夫婦を救出す。(武蔵野水滸伝)

 お耀と八剣士、代官所襲撃の帰途にあった銀五郎と遭遇する。樋口十郎左衛門、逃げる銀五郎に助け船を出しそのまま赤城山へ同行する。(武蔵野水滸伝)

08/07 国定村にて妖遊侠衆と八剣士の対決。駆け付けた大前田栄五郎の仲裁で中断される。(武蔵野水滸伝)

夏の終わり 一度は赤城山を逃げ出した忠治、大戸の席を破って舞い戻る。(武蔵野水滸伝)

10/02 高島秋帆が、鳥居耀蔵のでっちあげで謀反と密貿易の疑いをかけられ投獄される。(忍者黒白草紙)

初冬 平手造酒、お豊にせがまれて赤城へ向かうが、目指す繁蔵と行き違いになる。(武蔵野水滸伝)

初雪の日 妖遊侠衆、山を下りて関東へ散って暴れ回る。それを追って銀五郎、お伏も山を下りる。(武蔵野水滸伝)

 この年、江戸の人口、477349人。うち男257130人、女220219人。別に寺社門前町73714人。計551063人。(定本 武江年表)

天保十四年 癸卯 九月閏

春 平手造酒とお豊、古河で繁蔵と行き会う。繁蔵、駆け寄ったお豊をばっさりと切り捨てる。(武蔵野水滸伝)

五月 寺社奉行阿部伊勢守、大奥女中との醜聞によって感応寺を廃寺とする。(「定本 武江年表」によれば天保12年10月の事件(忍者黒白草紙)

5月の終り 十四人の剣士侠客、集合して印旛沼の開拓事業に助力する。(武蔵野水滸伝)

06/10 幕府が庄内藩など5藩に普請役を命じ、鳥居耀蔵らに管理させ印旛沼開拓に着手する。(新暦1843/07/07)

07/23 印旛沼開墾工事に着工する。庄内の人足は200人だけしか到着せず、江戸などから人足を集めて開始される。しかし工事は難航する。(新暦1843/08/18)

08/05 平手造酒、「大利根の血戦」で死亡。(人間臨終図鑑)

 紀州附家老・安藤監物上知令に反対する。水野は紀州に特例を適用しようとするが、鳥居がこれに反発を示す。(忍者黒白草紙)

09/11 阿部伊勢守正弘が老中となる。(忍者黒白草紙)

09/13 将軍家慶が、水野忠邦の老中職を罷免する。(国貞源氏)鳥居、水野の追い落としに一役買ったとして罷免を免れる。(忍者黒白草紙)

09/23 幕府が、5藩の印旛沼開墾普請役を免じ、幕府の直営とする。

天保十五年/弘化元年 甲辰

春 伊賀組小普請方花房宗八郎、小普請奉行木室丹後守の屋敷に忍び入って斬られる。(忍者傀儡勘兵衛)

06/21 国際情勢に対処するため(鳥居耀蔵を始末するため)水野忠邦が再び老中首座に就任する。(忍者黒白草紙)

07/04 笹川繁蔵、飯岡一家に闇討ちされる。(人間臨終図鑑)

08/06 江戸町奉行鳥居耀蔵が辞職する。(忍者黒白草紙)

12/02 「弘化」に改元する。

この年、浪人大谷一角の娘お貞が国定忠次の息子を生む。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

弘化二年 乙巳

02/22 復帰したばかりの老中首座の水野忠邦が鎖国主義者に敗れ、(鳥居を追い落としたから用済みとして)再度罷免される。(忍者黒白草紙)

03/27 柳原土手下富松町火を失し延焼。堀留町・長谷川町に及ぶ。この火災により小伝馬町牢屋敷にありし囚人等一時開放される。(定本 武江年表)高野長英、切り放しの期間を過ぎても帰牢せず逐電。(伝馬町から今晩は)

 逃走中の長英と会って世話した者は悉く不幸に見舞われる。(伝馬町から今晩は)

十月 長英、故郷水沢で母と会う。(伝馬町から今晩は)

11/03 前老中水野越前守の不正に関連、元南町奉行鳥居耀蔵は丸亀藩に、書物奉行渋川敬直を臼杵藩にお預け、金座改役後藤三右衛門は死罪を申し渡される。(定本 武江年表)

弘化三年 丙午 五月閏

正月 江戸の大火。小金井の小次郎、町火消し新門辰五郎と協力して油蔵への延焼を防ぎ、大赦を受ける。(武蔵野水滸伝)

春 太田備後の家臣、立花久米蔵、藩主の薦めで長崎へ遊学。(ヤマトフの逃亡)

 江戸、疱瘡流行し、翌正月に及び本所辺り、病者最も多し。(定本 武江年表)

弘化四年 丁未

03/24 信州大地震。人多く死す。(定本 武江年表)

弘化五/嘉永元年 戊申

02/28 「嘉永」に改元する。 

11/06 曲亭馬琴卒。(定本 武江年表)

 高橋馬之助、江戸へ帰る。神方・女人科・万久里小路馬竿斎の看板を掲げインチキ医者を始める。(紅閨の神方医)

 家定夫人死亡。風邪のこじれ?(陰萎将軍伝)

嘉永二年 己酉 四月閏

三月 幕府(=将軍家慶)、下総小金原御鹿狩り。十七日夜子刻、御発輿。十八日夜亥刻頃、還御。(定本 武江年表)

04/13 浮世画師前北斎為一卒。(定本 武江年表)

 一条家より秀子姫、家定に輿入れ。翌年半年余りで死亡。疱瘡?(陰萎将軍伝)

嘉永三年 庚戌

夏 国定忠治御用となる。(大谷刑部は幕末に死ぬ)

十月 町奉行・遠山左衛門尉、高野長英の所在を知り、老中阿部に諮り赦免のため彼を保護するように指示。だが捕縛と勘違いした長英、自害して果てる。(伝馬町から今晩は)

12/21 博徒国定忠治、、賭博・殺傷・関所破り等により上州大戸の関前にて磔刑に処せらる。(定本 武江年表)忠治の息子・所化千乗七才。母お貞と共にこれを見る。(大谷刑部は幕末に死ぬ)忠治のもう一人の子供、大前田の栄五郎の妹に引き取られる。(旅人国定龍次)

 万久里小路馬竿斎、伊藤玄朴を使って奥御医師の総帥・多紀楽秋院を追い落とし、玄朴とセットで江戸城奥詰医師となる。(紅閨の神方医)

嘉永四年 辛亥

春 立花久米蔵、混血の妻えだと娘しだ、そして妻の母を伴って長崎遊学から帰藩。(ヤマトフの逃亡)

秋 将軍家慶病む。伊藤玄朴、馬竿斎の誘導に引っかかって追放となる。(紅閨の神方医)

嘉永五年 壬子 二月閏

01/08 暁丑刻過ぎ、光り物乾より巽へ飛ぶ。(定本 武江年表)

夏 久米蔵の病院に大目付・井戸石見の息子が治療に来るが、態度が悪く追い返される。庶民には喝采を浴びるが…。(ヤマトフの逃亡)

夏 疱瘡が流行。馬竿斎、将軍の愛妾の診察で失態を演じ成敗される。(紅閨の神方医)

秋 菊屋蔵人、家慶世子家祥暗殺計画者達に実行犯として不死身の男・蝦夷松前浪人馬頭漢兵衛を紹介する。(獣人の獄)

09/16 島田虎之助死亡。(武蔵野水滸伝)

嘉永六年 癸丑

02/20 一刀流小野派剣術師浅利又七郎義信卒。(定本 武江年表)

二月 江戸の町数調査、1637町あり。(定本 武江年表)

三月 伏見宮邦家親王の第四子青蓮院を相続する。(秘戯書争奪)

06/03 北亜墨利加合衆国華盛頓使節の船。大小四艘、相州浦賀の要津に舶し貿易を乞う。(定本 武江年表)(秘戯書争奪)

 馬頭漢兵衛、家祥暗殺計画の実行を了承。(獣人の獄)

06/22 徳川家慶、没。61歳(誕生:寛政5(1793)/05/14)。

07/22 幕府(=家慶)御他界(この日発表)に付き鳴り物停止。五十日。(定本 武江年表)

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