残された人々
「失われた史実」等から一部の項を移動、適宜改稿しました。
1 消えた人物・消し忘れた人物 (11/09/02修正)
双子探偵の夏彦と冬彦は戦後生まれのシリーズ探偵なのだが、登場する二作品はいずれも金田一モノに改稿されて消えてしまった。初登場の「双生児は踊る」は「暗闇にひそむ猫」、「双生児は囁く」は「ハートのクイン」を経て「スペードの女王」として残っている。
「踊る」の方は角川文庫の「ペルシャ猫を抱く女」(これも金田一モノの「支那扇の女」の原型)に収録されたが、現状は絶版。改稿作品も角川版では現行の金田一ファイルからは漏れているが、春陽版の金田一耕助の事件簿で読める。一方の「囁く」の方は未収短編集の表題作となり文庫が現役という何ともねじれた形になっている。
前項でも触れた多聞修であるが、これとほぼ役割で「雌蛭」に登場する多聞六平太がいる。両者は経歴もから見ても同一人物としておかしくない。これは未収短編として最晩年に発掘された為に、角川文庫に収録される際に見落とされたのだろう。(この事件については発生時期についても修正が必要)
容易に同一視できる多聞修=六平太と違い、ほぼ同じ役回りながら同一化し難いのが「女王蜂」に登場する宇津木慎介と「白と黒」および「夜の黒豹」の宇津木慎策である。両者の登場には約十年の時差があり、慎介は新日報社、慎策は毎朝新聞の共に社会部に属する記者である。俊介は「同郷の後輩」と明記されているのに俊策は「懇意にしている」とやや距離感を感じる。
そもそもこのキャラは由利先生モノの三津木俊助の流れを汲むキャラクターと思われる。俊助は「蜘蛛と百合」で明治四十二年生まれである事が明記されているので、金田一よりも年上になる。一方俊介は「女王蜂」で後輩とされているので当然ながら同一人物では有り得ない。また、俊助と金田一は少年モノでは競演しているので話がややこしい。(両者の共演は角川版への編入の際の書き直しで、元々は由利先生であった)
由利先生モノを含めた少年モノの年代確定もいずれ試みたい。
2 消された人物・生き残った人物
改稿によって新たな犠牲者の列に加えられた人物は多いが、その一方で死を免れた幸運な人物もわずかだが居る。
前にも紹介した「暗闇にひそむ猫」であるが探偵の交代により結末に決定的な変化が生じている。旧作では犯人だった偽天運堂(現場近くの辻占い師)が、改稿後は金田一の変装になっている。これに伴って旧作では殺されていた本物の天運堂は改稿後は現場に居らず生き延びている。
短編から長編への改稿では事件が複雑化するだけにどうしても被害者は増えざるを得ない。それらを全て挙げていくときりがないので目に付いたところだけ紹介する。
短編「ハートのクイン」から長編「スペードの女王」への改稿だが、元々被害者役?だった中国人実業家陳隆芳が事件前に自然死し代わりに日本人岩永久蔵が登場。結果的に犯人も変更されているのだが、関係者の中で不幸な死を遂げた女性が居る。短編では金田一に会って重要な手がかりを与える前田浜子が長編では行き違って犯人の手に掛かってしまう。浜子の情報が姉の転落話にまで及んで立ち話で済まない量に増えているのも理由の一つかも知れない。
ちなみに「ハートのクイン」の更に原型である「双生児は囁く」は以前に紹介した双子の探偵の話である。内容についてはほとんど別物なので人物対比は難しいが、事件の発端となる彫亀が生きていて逆にその妻が亡くなっている点が注目である。
もう一作、こちらも金田一に責任はないのだが、短編「渦の中の女」から長編「白と黒」への改編に際し、依頼人の良人が殺されている。同じ怪文書テーマの「毒の矢」や「黒い翼」に較べて膨らませすぎかも。
3 等々力警部と磯川警部 (11/09/07新稿・11/07/02改稿増補・13/09/16移動)
戦前の由利先生モノから継続して登場の等々力警部。実吉氏は由利先生が消える中で「等々力警部だけは残った」と評していますが、両作品の警部は果たして同一人物でしょうか。
金田一モノの等々力警部は昭和43年に定年退職、この時点で55歳とすれば逆算して大正二年生まれ。すなわち金田一と同年齢。由利先が生活躍していた戦前に警部を務めるにはいくらなんでも若すぎる気がします。特に由利先生モノの等々力警部は由利捜査課長の後任を務めたと思われるので、由利先生の退職時点(昭和3年と推定)で30歳を超えていたはずです。
そこでふと考えたのが比較対照としての磯川警部の経歴。昭和12年の一柳家での殺人事件(「本陣殺人事件」)では警部、そして昭和7年の鬼首村での詐欺師殺し(「悪魔の手毬唄」)ではまだ発言力の無い下っ端でした。そんな磯川警部は昭和42年の刑部島の事件(「悪霊島」)まで現役でした。然るに等々力警部の定年退職は昭和43年。とすれば両警部はほぼ同年齢と考えてよいでしょう。だとすれば昭和12年に等々力大志氏が警部であっても決して不思議ではない。
次に由利先生ものでの等々力警部。戦前の制度は良く分かりませんが、現在だと”捜査課長”は警視相当職のようで、警部の等々力氏が由利先生の後任であったと考えるのは間違いかもしれません。そう思ってよくよく読み返すと、等々力警部を捜査課長と評した記述はありません。
ではやはり由利ものと金田一ものの等々力警部は同一人物なのか。由利モノの等々力警部は少なくと之昭和10年には警部になっており、またそれ以前から三津木とはしばしば仕事をした仲であると読み取れる。両者の会話から見てもほぼ同年齢と考えられるのでやはり別人とすべきでしょう。
「悪霊島」で息子の等々力栄志氏が登場するので、親子説も考えましたが父親とすると由利先生よりも年上に成ってしまいます。よって血縁関係が有るとすれば少し年の離れた兄弟くらいが妥当なところでしょう。
以上を元に推測するに、昭和12年に金田一と出会ったのは(戦前に由利モノで活躍しいていた)等々力兄。そして「黒猫亭事件」で捜査陣に紹介したのも兄のほう。おそらくは戦争で負傷したか、パージを受けたかして現役を退いたのでしょう。と考えれば「闇の中の猫」で等々力警部と”初めて仕事をした”と言うのも筋が通ります。
等々力大志氏が警部になったのは戦後で、パージによる人材枯渇が要因だったのかもしれません。磯川警部は出世が早いと言っても岡山と言う地方勤務ですからそもそもパージの対象外だったでしょう。徴兵を喰らうくらいですから政治とは無縁だったのでしょうから。
4 多門修と多門六平太 (13/09/16多門修の事件簿から移動改稿)
多門修とは短編を長編に改稿する際に投入された人物で、由利先生モノに置ける三津木俊助に相当する役割を担う。等々力警部曰く、「あなた(つまり金田一の)のワトソン」。警部は金田一が彼を使うことに否定的(刑事の立場からも容認は出来ないだろうが)で、二人の対立が最後の事件「病院坂」における共同作戦で齟齬を生じさせている。
六平太は「雌蛭」のみに登場する。修の初登場作品である「支那扇の女」(改稿版)と「雌蛭」は同じ年に書かれており、まだキャラクターとして固まっていない段階だったのだろう。その後、修が「扉の影の女」に再登場し、六平太は忘れられた。「雌蛭」が角川文庫に収録される際に、統一されるべきでした。
同じ多門姓でも「女王蜂」に登場する多門連太郎は明らかな別人である。修=六平太は素性が不明なのに対し、連太郎=日比野謙太郎は身を持ち崩していても祖父が宮家に出入りするような確かな素性を持っている。彼は事件後に大道寺智子と結ばれておそらくは大道寺家を継いだものと思われます。
ちなみに「多門」姓は横溝正史に所縁の楠木正成の幼名「多門丸」に由来すると思う。正史の本名である「まさし」も「まさしげ」から来ているらしいし。