多聞修の事件簿(修正版)
此処では多聞修の動きに限定して紹介する。
多聞修の登場作品は発表順に「支那扇の女」「扉の影の女」「病院坂の首縊りの家」の三編であるが、これ以外に「雌蛭」に登場する多聞六平太もおそらく同一人物であろうと推定してここに合わせて記す。
「雌蛭」は角川文庫版の解説で30年発表となっていたのでそこから遡って27年としていたのだが、正しくは35年の発表だと分かったので、33年の事件と修正する。これで当初引っかかっていた作中の30x年、緑ヶ丘荘については問題が無くなった。
「病院坂の首縊りの家」 「扉の影の女」 「支那扇の女」 「雌蛭」
昭和26年頃
メリケンの修と呼ばれグレン隊の旗頭を勤めていた。警察の厄介になることもしばしば。
金田一の働きで殺人事件の嫌疑を免れて以来彼の手足として働くようになり、法の網にふれることはしなくなる。(彼をナイトクラブKKKに紹介したのも金田一だろう)
昭和28年
8月21日 金田一より天竺浪人の捜索を依頼される。ただし、法眼家についての情報は伏せられた。
9月7日 金田一を案内して「怒れる海賊たち」の演奏を聴く。
18日 佐川哲也に接触しKKKへの出演を持ちかける。
21日 新聞で病院坂での事件を知る。金田一からの電話で駆けつけて佐川のアリバイを証言する。(これが縁で佐川の独立後も世話を焼く)
昭和30年
12月22日 2時過ぎ KKKで金田一の電話を受けて調査を開始する。
日比谷の山形病院へ向かい、看護婦より聞き込み。
5時半過ぎ 新宿駅の掲示板を見張る。
6時頃、金田一の指示を受けた金門氏が掲示板に書き込むのを確認。
6時頃 金田一の留守中に二度電話連絡。
8時5分頃 再び掲示板を見に来た夏目加代子を見て彼女の素性を思い出し、目星を付けてこれを尾行。
モンパルナスで等々力警部に見つかる。その足で「赤い風車」に向かうが、おそらく等々力警部に付けら得たことだろう。
24日 午前10時 調査結果の報告の為緑が丘荘を訪ねて夕べの不手際(等々力警部に尻尾を捕まれたこと)を注意される。
調査報告の後、追加調査と加代子の保護(あるいは監視)を命じられる。(幸いにも金田一が恐れたような事態は起こらなかった模様)
昭和32年
金田一の指示で電話の盗聴等の法に触れる探査を行う。
9月20日 犯人捕縛のための連絡役を務め、最後に犯人の身柄を押さえるが惜しくも自害された。
昭和33年
8月7日 金田一からの依頼のあった河野健太の居所を知らせる。
15日 井戸に落ちた河野健太を発見、金田一に連絡する。
昭和48年
4月9日 佐川から「怒れる海賊たち」の同窓会について相談を受ける。
10日 金田一に同窓会について相談。渡りに船と本條直吉の警備に加えられる。
13日 法眼弥生・由香里(実は小雪)と金田一の対面中に昨日の事件を伝える電話を入れる。
14日 佐川から鉄也と敏男の相似についてうち明けられる。(多聞経由で金田一に伝わることを計算して)金田一を連れて「海賊たち」に合流。金田一からの指示で「海賊たち」の保護を確約する。
15日 等々力の事務所にいた金田一に電話。
6月 成城の先生から電話を受ける。金田一の失踪について告げる。
関連稿
年譜→昭和32年