外挿人物事典

◇ 仮想設定 ☆ 史実情報・註釈

ゴドウィン,ウィリアム(1756〜1836)

 フランス革命直後に出された主著「政治的正義」はコールリッジワーズワースに影響を与えた。また後に彼の娘メアリの夫となるシェリーも彼の思想の支持者であった。

アルティガス,ホゼ(1764〜1850)

 バンダ・オリエンタルと呼ばれたラプラタ川東岸をスペインから独立させるために戦った英雄。ウルグアイ建国の父。パラグアイへ亡命し、再起を果たせぬまま死亡。

 アルゼンチンの諸州がブエノスアイスの主導権を嫌いながらも自立出来なかったのと異なり、モンテビデオという独自の交易港を持っていたウルグアイだけが独立出来た。しかしその為には正面のアルゼンチンばかりか、背後のブラジルの干渉も退けなければならない。

☆史実ではまずブラジルと戦いしかる後にアルゼンチンを排除しようとしたが、逆にブラジルを利用してブエノスアイレスの影響力を排除ししかる後にブラジルから独立を果たすと言うプロセスを辿る。恐らく史実のような悲劇的な最後を遂げる事はなく、それだけに歴史的な評価は大きく異なるだろう。

マルサス,トマス・ロバート(1766〜1834)

 ゴドウィンの「政治的正義」等に見られる社会主義に反対して「人口論」を匿名で書く。

 人口の自然増加が幾何級数なのに食糧生産は算術級数でしか増加せず、よって人口が増加するに連れて貧困が拡大すると説いた。1797年の初版では疫病や戦争を人口抑制に繋がると肯定的に書いていたが、1803年の第二版では道徳的抑制(要するに晩婚による少子化)を主張した。

カポディストリアス,ヨアニス(1776〜1831)

 カポディストリアスはイオニア諸島の貴族の家系に生まれた。

 イオニア諸島がロシアとオスマン両帝国の庇護下で独立した際に首相となるが、フランスに割譲されるとロシアに外交官として招聘される。

◇ロシアの非公式大使としてスイスの安定化に勤めるが凶弾に倒れる。その後、スイスはウィーン体制下で仏独で分割され消滅した。

☆史実ではスイスの安定化に成功し、ウィーン体制下で永世中立国となる。カポディストリアス自身はロシアで外相となり、独立したギリシア共和国の初代(実質最後の)大統領となる。

ワーズワース,ウィリアム(1770〜1850)

 90年にフランスに渡り、フランス娘と恋に落ち子をなすが、経済的な理由からブリテンへ戻る。95年にコールリッジと知り合い意気投合する。

◇97年、妹ドロシーを交えてニューイングランドのサスケハナ河畔に理想生活共同体を設立する。

☆史実に置けるコールリッジとの創作活動はキャンセルとする。

コールリッジ,サミュエル・テイラー(1772〜1834)

◇97年、ワーズワース兄妹とニューイングランドのサスケハナ河畔に理想生活共同体を設立する。

☆史実では94年にロバート・サウジーと共に万民同権政体を計画するが挫折。またサウジーの妹との結婚している。これらの出来事をすべてキャンセルする。

メッテルニヒ,クレメンス・ヴィンツェスラウス・ ロザール・フュルスト・フォン(1773〜1859)

 オーストリアの政治家。侯爵。ウィーン体制の立て役者の一人。

◇35年、フランツ1世が鬼籍にはいるとその長子で白痴に近いと言われたフェルデナントの即位を強行するが、摂政人事を巡る宮廷党争に敗れて失脚する。

☆実際には48年の三月革命までその政治生命を保つ。

ボリバル,シモン(1783〜1830)

 南米の独立運動で活躍した革命家。大コロンビア共和国を建国する。解放者(リベルタドール)の尊称を持つ。

☆ボリビアは彼の名に由来し、またベネズエラもボリバル革命を唱えるチャベス大統領の元でベネスエラ・ボリバリアーナ共和国を正式国名としている。

◇大コロンビア存続の条件のひとつとして、史実よりは余命を保つ。

ピール,ロバート(1788〜1850)

トーリー党の政治家。自由貿易を主張して党と距離を置いていた為動乱を生き延びる。41年にトーリー党の残党=自由貿易派を結集して自由党を立ち上げる。史実では落馬が原因で死亡しているので、作中年代にまだ生きている可能性もある。

☆史実では28年からのウェリントン政権下で内相を務め、警官のパトロール制度を考案しロンドン警視庁を創設した。41年に二度目の組閣、この時にトーリーを保守党と改名。46年に穀物法を廃止するが保守党内部からの批判を受けて退陣する。保守党を離脱したピール派はホイッグ党と合流し自由党の基礎を築く。(自由党の正式な発足は59年のパーマストン内閣の成立)

レオポルド1世(1790〜1865)

 ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公フランツ・フリードリヒの三男。ロシア軍籍でナポレオン戦争を戦う。戦後、ロンドンでジョージ4世の王女と結婚するも死別。そのまま帰化してケンダル公となる。

 ヴィクトリア女王とその夫アルバート公の双方にとって叔父に当たり二人を結びつけた。

☆史実ではギリシア王位に押されて辞退し、オランダより独立したベルギーの王位につく。

ハーシェル,ジョン(1792〜1871)

 父ウィリアム・ハーシェルは天王星を発見した天文学者であり音楽家でもあった。父大ハーシェルに対して小ハーシェルと呼ばれる。バベッジの友人でケンブリッジ大学で一年上級。

 北半球の天体の観測を行った父の仕事を受け継いで南半球の天体観測を行う。

◇父に続いて新たな惑星海王星の発見者となる。

 27年、解析学派の後押しで王立協会の会長となる。

☆新惑星の可能性を示唆しながらも王立天文台の怠慢からその栄誉を逃す。

ピウス9世(1792〜1878)

 本名、ジョバンニ・マリア・マスタイ・フェレッティ。31年という最長の在位期間を持つ。

◇イタリア統一戦争でローマを追われ、スイス・ルツェルンにて即位する。

◇1852年、秀吉の弾圧により長崎で殉教した二十六名を列聖する。(日本二十六聖人)

☆日本二十六聖人の列聖は史実では62年である。 

ペリー,マシュー・カルブレイス(1794〜1858)

 アメリカの海軍人。

☆艦隊を率いて日本に遠征し、開国させた。

シェリー,メアリー(1797〜1851)

☆父のウィリアム・ゴドウィンは無神論者でアナキスト、実母のメアリ・ウルストンクラフトは作家で女権論者の先駆者である。二人はいわゆる”出来ちゃった結婚”であるが、母は産褥熱で亡くなっている。

 父は4年後に再婚、二人の間に生まれた異母妹クレアはバイロンの愛人となった。

 父の信奉者であったシェリーと結婚。バイロンとの交流からゴシック・ホラーの古典「フランケンシュタイン」が生まれた。

ラマー,ミラボー・ボナパルテ(1798〜1859)

 テキサス共和国第二代大統領(在1838〜41)。ジョージア州出身で、1835年にテキサスへ移住。テキサス革命が始まるとヒューストン将軍の率いるテキサス革命軍に騎馬隊の兵卒として参加。サンジャストンの戦いで騎馬隊の司令官を務める。

合州国への併合問題を始めテキサス共和国の発展に関する様々な政策でヒューストンと対立。クーデターにより彼を追放する。ヒューストンの言うところのテキサスフンタの指導者。

ハリス,タウンゼント(1804〜78)

 ニューヨークの商人。

☆初代駐日アメリカ合衆国公使。日米通商修好条約をまとめる。日本の内外の金銀比価の違いを利用して小判を買いあさり利鞘を稼いだ。「大君の通貨」(佐藤雅美著)によれば幕府倒壊の主犯。

オールコック,ラザフォード(1809〜97)

☆初代駐日英国公使。攘夷派志士による公使館の襲撃(第一次東善寺事件)に遭う。オールコックは無事だったが、一等書記官オリファントが負傷した。「大君の通貨」(佐藤雅美著)によれば幕府倒壊の従犯。

ヴァレフスキ,アレクサンドル=フロリアン=ユーゼフ=コロンナ(1810〜68)

 フランス皇帝ナポレオン一世とポーランド貴族ヴァレフスキ伯爵の妻マリアとの間に生まれた。ヴァフレフスキ伯の子供として認知されている。

◇英仏協商の後押しでポーランド共和国の初代大統領となる。フランス皇帝となっていたルイ・ナポレオンがライバルとなりうるアレクサンドルを厄介払いしたと言う説もある。

☆史実では第二帝政フランスで外相を務めた。

エルギン伯ジェームズ・ブルース(1811〜63)

 スコットランド系貴族。イギリスの植民地行政官、外交官。

 日本との通商条約を締結。その交渉の様子は秘書のオリファント氏による「エルギン卿遣日使節録」に書かれた。

☆アロー戦争の遠征軍司令官。