家治編

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寛延四/宝暦元年 辛未 六月閏

10/27 「寶暦」に改元する。

宝暦二年 壬申

春 御側衆・田沼主殿頭、長崎で新型火薬を入手。金山で使おうと考えて江戸へ持ち込む途中、小田原城下で日本左衛門一党に奪われる。(白波五人帖・弁天小僧)

宝暦三年 癸酉

四月より九月に至り麻疹流行。人多く死す。(定本 武江年表)

師走 遠州日坂の大百姓三右衛門方を襲う。木曽川治水工事の下命を知らせる薩摩の飛脚が行き過ぎる。(白波五人帖・日本左衛門)

宝暦四年 甲戌 二月閏

閏二月九日 木曽川治水工事のため平田靱負以下美濃に到着。(白波五人帖・日本左衛門)

春 大奥中年寄・巻絹、父の菩提寺に参詣し、寺の念者に化けた菊之助に懸想する。(白波五人帖・弁天小僧)

秋 花屋のお雪、大奥入りを求められる。菊之助、使者となった早蕨を斬る。(白波五人帖・弁天小僧)

 薩摩の用金を合わせて三万両余りも奪う。半之丞、日本左衛門と談判に向かい、返金を要求。半之丞、娘お京(実は左衛門の胤)を送り出す。(白波五人帖・日本左衛門)

 半之丞、工事の失敗の責を負って自刃。妻お縫と娘お京は人柱となって自害。(白波五人帖・日本左衛門)

宝暦五年 乙亥

春 赤星十三郎、江戸へ戻る。菊之助、江戸城への繋ぎのため巻絹と接触。お雪、大奥へ入る準備として田沼の養女となる。(白波五人帖・弁天小僧)

春 日本左衛門こと浜島庄兵衛、京都町奉行所へ出頭。(白波五人帖・日本左衛門)南郷力丸、江戸へ来てお頭の自首を告げる。弁天小僧、お雪を救うため大奥へ潜入。忠信とお雪を逃がすと立ち腹を切って果てる。(白波五人帖・弁天小僧)

03/28 木曽川治水工事完成。平田、翌朝に多くの士と財を失った罪を謝して割腹。(白波五人帖・日本左衛門)

 日本左衛門、江戸へ移送中。袋井で配下の泥棒が押し込み強盗を働く。救出を狙っていた南郷力丸、お頭の命で下手人の一人を引き渡す。(白波五人帖・南郷力丸)

 力丸の二人の妹、田沼の行列に飛び込んで捕らえられる。力丸の女房お林、義妹を守るためお縄に掛かる。(白波五人帖・南郷力丸)

 北町奉行・能勢肥後守、日本左衛門の残党を一網打尽にするために左衛門を密かに牢から出そうと画策する。力丸、お頭を出牢させようと手を尽くすが、左衛門は遂に応じず。妹二人を忠信・赤星に託し、お林に殉じて銃殺される。(白波五人帖・南郷力丸)

 お麻、主君・前田重煕に毒を盛った容疑で捕らえられる。(白波五人帖・赤星十三郎)

09/12 大槻、赤星、渡された自害用の刃物で配流先で自害。史実では寛延元年。(白波五人帖・赤星十三郎)

 大槻からお麻の真意を聞いた赤星、江戸へ走りお麻と共に心中する。(白波五人帖・赤星十三郎)

宝暦六年 丙子

宝暦七年 丁丑

 力丸の妹お富士、不良少女達を纏めて弁天組を率いる。田舎小僧・新助の率いる不良少年隊力丸組と対立。(白波五人帖・忠信利平)

晩春 甲府勤番支配・曲淵下野守、江戸への帰参が許され帰府する途中、平賀源内の作成した甲斐の山々の測量図が盗まれる。下野守の息子勝次郎(後の名町奉行曲淵甲斐守)これを取り返す。(白波五人帖・忠信利平)

 お富士・お波の養兄伊吹忠兵衛、素性を明かして御用となる。(白波五人帖・忠信利平)

宝暦八年 戊寅

宝暦九年 己卯 七月閏

宝暦十年 庚辰

宝暦十一年 辛巳

宝暦十二年 壬午 四月閏

宝暦十三年 癸未

09/01 日蝕(九分)、暦面に脱せりという。(定本 武江年表)

宝暦十四/明和元年 甲申 十二月閏

二月 平賀鳩渓(称源内)、火浣布を工夫し、はじめて製し出し、香敷に作る。(定本 武江年表)

06/02 「明和」に改元する。

明和二年 乙酉

十二月 神田佐久間町に多岐氏基立の医学館建つ。(定本 武江年表)

明和三年 丙戌

明和四年 丁未 九月閏

08/22 幕府が、尊王論者山県大弐(だいに)を死罪に処し、宝暦事件の竹内式部を八丈島に流罪とする(明和事件)。

明和五年 戊子

04/06 吉原焼失。仮宅は並木町・今戸・橋場・山谷・新鳥越へ出して、百日の間商売せり。(定本 武江年表)

明和六年 己丑

明和七年 庚寅 六月閏

一月 十両盗めば死罪の規定を補訂、小盗を重ねて合計金額十両以上の場合も死罪とす。(定本 武江年表)

明和八年 辛卯

二月半ば 平賀源内、南町奉行曲淵甲斐守に腑分けの見学許可を求める。(天明の判官)

03/04 杉田玄白ら、小塚ヶ原で腑分けを見学する。周旋した源内本人は借金取りに追われて行方をくらます。(天明の判官)

05/17 光り物飛ぶ。(定本 武江年表)

06/04 八代将軍吉宗の次男、田安中納言宗武死去。(天明の判官)

明和九/安永元年 壬辰

一月三日 越後小千谷より江戸に出てきた座頭の平蔵行き倒れて、木挽町の柳生屋敷に担ぎ込まれる。「柳生逆風剣の儀」で斬られ掛けが、幕医石坂宗哲、彼を引き取る。(からすがね検校)

一月 田沼主殿頭意次、老中となる。(天明の判官)

02/29 明暦三年以来の大火。(定本 武江年表)

11/16 「安永」に改元する。

安永二年 壬丑 二月閏

三月末頃より疫病、人多く死す。御救として朝鮮人参を給わる。この疫病は去年の冬より引き続き。(定本 武江年表)

 田安宗武の愛児賢丸、白河松平家の養子となる。(天明の判官)

安永三年 甲午

はじめ 鳴滝屋伝左衛門、元長崎奉行大久保土佐守と共に殺される。(天明の判官)

六月末 鳥見屋地兵衛、長崎奉行他の殺害容疑でお縄になる。(天明の判官)

07/07 鳥見屋地兵衛、奉行所内の特別牢より忽然と消える。(天明の判官)

葛城藩士初狩杖馬、妻と謎の逐電を図り上意討ちとなる。(忍法幻羅吊り)

 葛城豊肥守、江戸城での放屁が原因で将軍の不興を買って改易となる。(忍法幻羅吊り)

安永四年 乙未 十一月閏

暮れ 鳥山検校、遊女瀬川を身請けし、巨万の金銀を費せり。(定本 武江年表)

安永五年 丙申

秋 田沼屋敷に何者かが忍び込み、蔵の壁に歌を書き残す。(天明の判官)

安永六年 丁酉

夏 大奥に忍び込んだ何者かが唐紙に歌を残す。

曲淵甲斐守、田沼主殿頭の許可を得て大岡組に大奥を張り込ませる。(天明の判官)

 座頭の平蔵に長男誕生。柳生又右衛門が訪れ、柳生家に金を貸さないように頼まれるが、これを翻して五千両を用立てる。又右衛門が妻にと考えていたお縫、自殺を図り実家へ返される。お縫、傷が癒えると御家人男谷家へ嫁ぐ。(からすがね検校)

安永七年 戊戌 七月閏

 行方をくらましていた鳥見屋地兵衛、玉藻の前の手引きで大奥に現れるが、大岡組に追われて溺死体となって見つかる。(天明の判官)

安永八年 己亥

正月 藪井氏、自分が江戸時代にいることを知って一ヶ月間ノイローゼ状態に陥る。(江戸にいる私)

二月 平賀源内、藪井庄庵氏を診察。急性アルコール中毒と診断。(江戸にいる私)

02/21 将軍家治の世嗣・家基急死。一橋豊千代、将軍継嗣として内定。田沼、島津家より御台所を迎えるように周旋中。(江戸にいる私)

三月 藪井氏、京極藩江戸留守居役・堀田通算に連れられて山谷堀の八百善に上がる。諸藩留守居役、田沼家の公用人三浦庄二を接待。松平上総介臨席する。(江戸にいる私)

 帰り道、浪士数名が三浦を襲うが、店の板前(実は八丁堀の同心)がこれを撃退する。(江戸にいる私)

 数日後、藪井氏、京極家のお抱え医師に昇格。殿様に謁見。(江戸にいる私)

四月頃 平賀源内と談笑。松平上総介が白河の若殿つまり後の定信であると知る。(江戸にいる私)

梅雨明け 藪井氏、源内に連れられて田沼家へ。屋敷で佐野善左衛門を見掛け、彼が後に山城守意知を殺すと警告。(江戸にいる私) 

11/21 源内、殺人の咎で奉行所に拘引。(江戸にいる私)

12/18 平賀鳩渓卒。(定本 武江年表)

12/19 杉田玄白、藪井家を来訪。源内の死を告げ、その埋葬を依頼。(江戸にいる私)

 藪井氏、源内の死に義憤を覚え、田沼時代の護持を目指すが。(江戸にいる私)

安永九年 庚子

安永十年/天明元年 辛丑 五月閏

04/02 「天明」に改元する。

05/18 徳川家治が一橋治済の子豊千代(家斉)を世嗣とする。

天明二年 壬寅

春 数名の曲者、向島の田沼別邸を襲い、山城守の愛妾を犯す。逃げ遅れた一名が駆け付けた宿直に膾にされる。(忍法幻羅吊り)

晩春 田沼主殿頭、赤蔦屋の花魁小式部を召し出しに失敗する。(忍法幻羅吊り)

 柳生又右衛門、父但馬守が死床に伏すと観念して松平伊賀守の息女を娶る。父の死と共に飛弾守俊豊と名乗る。この頃、男谷家へ嫁いで一女児を儲けたお縫が病死。(からすがね検校)

 藪井氏、息子の倒幕の志を知り、倒すべき真の敵が松平定信で有ると告げて、その周囲を探るように命令する。正確な時期は書かれていないが、明和事件(山県大弐の処罰)から十五年後とした。(江戸にいる私)

 江戸に痘瘡流行す。(定本 武江年表)

天明三年 癸卯

春 御納戸所頭村上周防の娘いさ、佐野善左衛門に嫁ぐ。(忍者梟無左衛門)

春 田沼意知、父意次に赤坂・氷川神社裏に公営の遊郭を造る事を提案する。(女郎屋戦争)

秋 田沼山城守意知の発案から成る公営遊郭が完成する。女郎は全て武士の娘である。(女郎屋戦争)

 八丁堀同心服部水翁、公営廓について批判し屠腹を命じられる。(忍者梟無左衛門)

11/01 幕府が、田沼意知を若年寄とする。

初冬 吉原は赤坂遊郭の繁盛振りに戦々恐々となるが、淀屋文左衛門その恐れを笑い飛ばす。(女郎屋戦争)

年末 赤坂遊郭、頭が高い”武士の商法”により次第に客足が止まる。(女郎屋戦争)

天明四年 甲辰 正月閏

正月 武士は公営遊郭へ行くべしとのおふれが出る。山城守、旗本奴を組織して吉原に妨害工作を仕掛けるが、吉原も町奴によって防衛を図る。(女郎屋戦争)

春 肥前細川家、柳生家の婿養子として宮本土佐を推挙する。(忍法穴ひとつ)

三月 田沼山城守、狼藉を働いた法華屋伝兵衛を成敗する。(さまよえる忍者)

三月末 佐野善左衛門の妻・いさ、梟無左衛門の忍法「袋返し」により七つ目の子を産む。田沼の祟りを感じ錯乱。(忍者梟無左衛門)

03/24 藪井氏の息子庄助、逆に佐野善左衛門に共感し、父を総括にかける。(江戸にいる私)佐野善左衛門、若年寄・田沼山城守に対し刃傷。(さまよえる忍者・他多数)

 曲淵甲斐守、田沼意次よりの息子の刃傷についての調査を依頼されるが「相わからず」と回答する。(天明の判官)

天明五年 乙巳

 平蔵、三十二才で勾当になる。以後「からすがねの勾当」と呼ばれる。(からすがね検校)

10/25 曲淵甲斐守に捕らえられた稲葉小僧が処刑される。(天明の判官)

天明六年 丙午 十月閏

三月始め 松平越中守家臣・天羽周助帰国の途上、女衒よりお節という娘を救う。(天明の隠密)

 将軍家治が重病が報じられる。(天明の隠密)

08/20 田沼主殿頭、将軍家治の危篤の報を受け登城の準備を整えるが、松平越中守が田沼邸を訪れて彼の登城を差し止めと老中罷免を告げる。(天明の隠密)

08/25 徳川家治が病没(新暦1786/09/17)。50歳(誕生:元文2(1737)/05/22)。

08/27 田沼意次が老中を解任される。

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