秀吉・野望編
永禄十年
春 お市の方、長女茶々を出産。(妖説太閤記)
五月 信長の娘五徳、家康の嫡男信康に嫁ぐ。(妖説太閤記)
浪人中の前田孫四郎、浅井長政を動かして足利義秋の織田家への移動を朝倉家に周旋する。(妖説太閤記)
明智十兵衛、織田家にはしる。(忍者明智十兵衛)
永禄十一年
09/26 織田信長上洛。 松永久秀これに降伏。堺において対松永戦の指揮を執っていた呂宋助左衛門、抗戦を断念し夕子の方を伴って海外へ脱出。(海鳴り忍法帖)
12/12 武田・徳川密約を交わして今川領へ雪崩れ込む。氏真、駿府城を脱出し掛川城へ落ちる。(姦臣今川状)
12/27 徳川家康が今川氏真の掛川城を攻撃する。(新暦1569/01/14)
信長、大和を平定。大和の名家幕屋家、その先兵となった柳生によって滅ぼされる。幕屋の重臣松田織部之助、主君の遺児弓之助を連れて脱出。(死に顔を見せるな)
永禄十二年
05/17 今川氏真が家康の攻撃に屈し、掛川城を退去する。(新暦1569/06/01)大塔掃部、関ノ戸乗康、手綱鷺丸、一命を賭して主君氏真の逃走を助ける。家康、この奮戦に感じ入って追撃を止める。意地悪く見れば、氏真を北条へ走らせて武田を闘わせる積もりだったのかも。(姦臣今川状)
永禄十三/元亀元年
京都守護を務める秀吉、越前へ向かう将軍義昭の使者を捉える。これが朝倉攻めのきっかけとなる。(妖説太閤記)
04/23 「元亀」に改元する。
四月 信長による越前朝倉家攻撃。浅井長政(秀吉・半兵衛の計算通り)裏その背後を塞ぐ。秀吉、しんがりを志願し、家康の助力を願い出る。これに乗じて家康を始末しようと目論んだが、失敗。(妖説太閤記)
06/28 姉川の戦い。信長妹お市の身を案じ追撃を怠り「いらざる手間」を掛けることになる。(妖説太閤記)
元亀二年
09/12 比叡山焼き討ち。(妖説太閤記)
元亀三年
十月 信玄上洛作戦開始。(信玄忍法帖)
12/22 家康、三方ヶ原にて信玄に敗れる。(信玄忍法帖)
元亀四年/天正元年
01/07 信玄、刑部の陣を引き払う。坊主と医者の到着が確認される。(信玄忍法帖)
01/24 武田軍、三河野田城を囲む。(信玄忍法帖)
2月の半ば 工兵隊により野田城が陥落。その動きは悠々としあるいは緩慢ともとれる。(信玄忍法帖)
04/12 信玄、西上の途上で病が悪化。駒場にて死亡。勝頼、駒場に駆け付けて遺言を聞く。(信玄忍法帖)
春 秀吉、羽柴姓を名乗り長浜城主となる。(妖説太閤記)
六月 道鬼斎(実は生きていた山本勘助)、真田源五郎昌幸に信玄の影武者を警護するよう命じる。(信玄忍法帖)
七月の始め 足利公方義昭の密使一色藤康、甲府入り。(信玄忍法帖)
07/19 足利幕府滅亡。(信玄忍法帖)
07/28 天正に改元。
八月 信長、江北に出陣。
秀吉、小谷攻めに先立ち城内へ潜入しお市の方とその子を救い出す。(妖説太閤記)
九月一日 浅井家滅亡。
ねねの通報により秀吉のお市への思慕を知った信長、お市の長男万福丸の処断を彼に命じる。(妖説太閤記)
秀吉、京極家の竜姫を手に入れようとして寸前で阻まれる。(妖説太閤記)
十月 上泉伊勢守、高弟疋田文吾・神後伊豆を伴い信玄を見舞う。(信玄忍法帖)
天正二年
春 秀吉、半兵衛の仲介で初めての側室を迎える。万里小路中納言の落とし胤香姫、大野道犬夫妻に伴われて江北入り。大野夫妻の荷物持ち、石川五右衛門(息子の方)、夫人を孕ませて遁走。この時の子が後の大野治長となる。(妖説太閤記)
03/10 松平広忠の命日。家康の正室築山殿、大樹寺に詣でる。(信玄忍法帖)
五月 岡崎信康、母の浅ましき所行を憂い、家康のお手つきであった侍女三名を惨殺。この時感じた父母への幻滅が後の謀反未遂・切腹に繋がる。(信玄忍法帖)
八月 秀吉、自領国友村に百国の知行と引き替えに、鉄砲の注文統制を申し渡す文書を出す。(忍法関ヶ原)
十月 勝頼、遠江より五ヶ月ぶりに凱旋。北条家、信玄の生死を確かめるため御台夕の方(信玄の娘)、を見舞いに出す。一行に加わっていた氏政の妹八重垣姫、勝頼の毅然とした態度に好意を持ち、秘密の保持と自身の輿入れを約す。(信玄忍法帖)
この年、一刀斎、平田一放を討ち、鐘巻自斎に師事し北条家に仕官。「死なない剣豪」ではこの翌年と記載。(忍法剣士伝)
天正三年
04/05 大賀弥四郎、謀反に失敗し処刑される。(信玄忍法帖)
04/12 信玄の三回忌。道鬼斎、信玄の遺骸と共に諏訪の湖に没す。(信玄忍法帖)
05/21 長篠の合戦。信長、武田勝頼を大敗させる。(信玄忍法帖他)
天正四年
二月 安土城築城開始。(妖説太閤記)
春 明智軍、信長の命により伊賀の中心的土豪服部一族を壊滅。半蔵本人は既に徳川に随臣しているものと思われる。(忍法剣士伝)
05/15 織田茶筅丸、北畠に婿入り(忍法剣士伝)
北畠家の剣の十字軍、城より姿を消した旗姫を追って姿を消す。(忍法剣士伝)
林崎甚助、片山伯耆にらみ合ったまま抜刀出来ず引き分け。(忍法剣士伝)
根岸兎角、旗姫に惹かれ師である諸岡一羽を裏切って逐電。(忍法剣士伝)
05/27 諸刃一羽と富田勢源、弟子の報復と旗姫の占有を掛けて伊勢宇治橋で直接対決。互いに致命傷を与えられず引き分ける。(忍法剣士伝)
六月半ば過ぎ 宮本無二斎と吉岡憲法、鳥羽にて対決。決着は息子の代まで持ち越し。無二斎は「女色」に目覚め後に武蔵を誕生させる。一方、憲法は秘術を奪われているので、長期的には無二斎の勝ちか。(忍法剣士伝)
七月くらい 羽柴筑前の家臣竹中半兵衛に勧誘された宝蔵院胤栄、徳川家に使える服部半蔵に招聘された柳生新左衛門、互いの首を手みやげにと狙い、相打ちとなる。胤栄の仕官は成らず、新左衛門も代わりに息子宗矩を推挙する事になる。本願を棄てて徳川に附いた服部と対照的に、柳生は本願地を棄てられなかったと見える。(忍法剣士伝)
鐘巻自斎・伊藤弥五郎師弟、旗姫への妄念棄てがたく斬り合いに及ぶ。弥五郎、師を斬った後悔からその「妄念の根源」を自ら断つ。恐らく北条家へは戻らなかったと思われる。(忍法剣士伝)
十月 織田軍、南伊勢に侵攻。塚原ト伝、上泉伊勢守師弟、織田軍を相手に互いの技量を競い合う。北畠家、滅亡。(忍法剣士伝)
この年 伊勢守の息子上泉主水泰綱生誕?(叛旗兵)
天正五年
五月 安土を訪れた家康、松永弾正を「三悪を成した者」として紹介。弾正これに赤面し、謀反を誓う。(伊賀忍法帖)
秀吉の蠢動により、森菊丸と光秀の間に不和が発生。菊丸が水死体となって発見され、その弟蘭丸は光秀への猜疑心に取り付かれる。(妖説太閤記)
八月 上杉謙信西上。織田軍諸将、越前に集結する。前田又左衛門と佐々内蔵助先陣を争い、柴田勝家が前田を指名する。秀吉、これに抗議して勝家と口論となり陣を離脱。(妖説太閤記)
08/17 信長の臣として天王寺の砦を守っていた松永久秀が突然謀反を起こす。一人居城に控えていた秀吉、安土に参じて主君を守る。(新暦1577/09/28)(妖説太閤記)
10/10 織田軍の攻撃により、信貴山城落城。同日上泉伊勢守、柳生にて死去。伊勢守の死亡年には諸説有り。(伊賀忍法帖)
10/19 秀吉、中国陣の総帥として播州へ発向。(妖説太閤記)
秀吉、但馬生野の山名禅高を降し、その娘雪姫を手に入れる。半兵衛これを諫めるが、小寺官兵衛はこれを諒とする。(妖説太閤記)
02/23 別所長治が秀吉に反旗をひるがえしたため、羽柴秀吉が再び播磨に入り、書写山に陣を布く。直接の原因は秀吉が雪姫との戯れに没頭して彼を軽視したためであったが、遠因は彼が小豪族の小寺官兵衛を重用した点にあった。(妖説太閤記)(新暦1578/03/31)
03/09 上杉謙信が、午の刻に厠で倒れ、人事不省となる(新暦1578/04/15)。(忍法死のうは一定)
03/13 上杉謙信が西上を目前にして脳溢血のため春日山城で没。(新暦1578/04/19)49歳(誕生:享禄3(1530)/01/21)。
御館の乱。直江兼続、上杉家の家督に景勝を擁立し、景虎と戦う。(叛旗兵)
06/26 毛利に敗れた秀吉の軍勢が、尼子勝久・山中幸盛を見捨てることにする。助けろと言う半兵衛に対して見捨てろと言う官兵衛の献策の方を採用。秀吉と半兵衛の隙がいよいよ深くなる。(妖説太閤記)(新暦1578/07/30)
08/17 三木城家老・後藤将監基国、息子甚之助(後の又兵衛基次)を敵将小寺官兵衛に託す。作中では七年になっているが、それだと官兵衛が荒木に捕らえられている筈なので。(悲恋華陣)
半兵衛、三木城後略に苦慮する秀吉への献策として、荒木摂津を裏切らせる。官兵衛、半兵衛の策を知らず、荒木の説得に向かい捕らえられる。(妖説太閤記)
10/17 摂津守護の荒木村重が信長にそむき、本願寺顕如・足利義昭・毛利輝元と盟約を結ぶ。(新暦1578/11/16)(妖説太閤記)
十一月 秀吉、荒木の説得に向かい、伊丹城中の官兵衛や荒木と密談。(妖説太閤記)
天正七年
06/13 竹中半兵衛が病没。36歳(誕生:天文13(1544))。彼を疎ましくなった秀吉による毒殺。半兵衛、死に当たって家康を始末するように進言するが…。(妖説太閤記)(新暦1579/07/06)
秋 信長、甲賀郡を南蛮寺領とする。(甲賀南蛮寺領)
08/29 家康、正室築山殿を遠江昌塚にて殺させる。(妖説太閤記)
09/10 毛利軍、三木城へ兵糧を送り込むが、羽柴軍に阻止される。その三日後、葉山左馬之助、戸田左門よりの書状を託されて三木城へ生還。(悲恋華陣)
09/15 徳川家康の長男・岡崎信康が家康により二股城で自刃させられる。21歳(誕生:永禄2(1559)/03/06)。(新暦1579/10/05)家康を離反させる秀吉の作為が働いていた。(妖説太閤記)信康の切腹は難癖を付けた信長の命と言うのが定説であるが、少なくとも謀反の事実はあったと見る方が自然であろう。
09/17 戸田左門、粕屋玄蕃の反間苦肉の計に掛かり捕らえらる。玄蕃の娘沙羅は翌日処刑される。(悲恋華陣)
11/19 有岡城開城。官兵衛救出される。これ以後小寺姓を改め黒田を名乗る。(妖説太閤記)
天正八年
01/17 三木城開城。(妖説太閤記)
秀吉、官兵衛の居城姫路を譲られて拠点とする。(妖説太閤記)
秋 年貢の奪還を繰り返す甲賀国人に対し、信長は鉄砲隊を送り込んで護衛を強化する。(甲賀南蛮寺領)
十月 秀吉、鳥取城を兵糧攻めで落とす。(妖説太閤記)
天正九年
秀吉、安土に凱旋報告。お市の勝家への再嫁を聞き、信長四男お次丸を自分の跡継ぎに所望する。(妖説太閤記)
二月 佐々成政、越中に封じられる。
三月 佐々に代わり能登に派遣された針ヶ谷掃部、輪島一族を下す。(胎の忍法帖)
六月 光秀の母を人質として投降した波多野一族だが、森乱丸・坊丸の指示で謀殺される。光秀老母と引き替えに丹波五十四万石を手にすることになる。(妖説太閤記)
九月 第二次天正伊賀の乱。「楊貴妃の鈴」何処かへと消え去る。(忍者石川五右衛門)
十月 針ヶ谷掃部、失踪?(胎の忍法帖)
二月 勝頼の弟仁科信盛の守る信州高遠城、武田領へ雪崩れ込む信長軍に頑として抵抗する。(いだてん百里)
三月始め 石田三成が直江山城を、小西行長が安国寺恵瓊を案内して姫路へ密行。秀吉・官兵衛らと信長謀殺の陰謀を巡らす。(妖説太閤記)
大賀弥四郎の叛血を相伝された四宿老、勝頼を裏切る。(信玄忍法帖)
03/11 武田勝頼が織田軍に攻められ、夫人北条氏・嫡男信勝とともに甲斐の田野で自刃する。37歳(誕生:天文15(1546))。(新暦1582/04/03)(妖説太閤記)
04/03 信忠、武田の残党を匿う恵林寺を包囲。光秀、快川和尚の助命を主張するが、家康に快川との私事を指摘され断念。快川、恵林寺と共に焼かれる。(妖説太閤記)
5月 細川忠興夫人お玉、父光秀が甲斐より連れ帰った医師・阿波谷図書の秘術にて男子(後の長岡与五郎興秋)を無事出産する。(叛の忍法帖)
05/15 家康、安土へ到着。稲葉一鉄より見せられた、光秀と快川との書簡を信長に提示。光秀、信長の勘気を被る。(妖説太閤記)
05/17 秀吉、信長への救援要請を行う一方で、毛利軍との和平交渉に入る。(妖説太閤記)
五月下旬 信長上洛。オルガンチーノの懇願により抵抗を続ける甲賀に数千の兵を差し向ける。(甲賀南蛮寺領)
06/02 本能寺の変。織田信長が明智光秀に急襲され、自害する。49歳(誕生:天文3(1534)/05/12)。(新暦1582/06/21)オルガンチーノ、荒晒野に再現されたキリスト殉教の光景に恐怖を覚え甲賀の南蛮寺領化を諦める。(甲賀南蛮寺領)
初代茶屋四郎次郎、家康に本能寺の変を急報。伊賀越えを支援し三河まで同行(慶長大食漢)
06/08 秀吉、姫路を出発。ねね、秀吉の謀略を察知し、責めるが、彼の悪びれぬ態度に敗北感を味わう。(妖説太閤記)
長岡親子、光秀よりの勧誘を拒み、光秀の娘であった忠興の室・お玉を三戸野の山伏寺に幽閉。(忍法ガラシアの棺)
06/11 光秀、洞ヶ峠にて筒井順慶の出動を促すが、順慶は動かず。三成とつながっていた島左近によって押しとどめられた。(妖説太閤記)
06/13 明智光秀が山崎で羽柴秀吉に敗れる。光秀は大津へ落ちる途中、小栗栖で農民の襲撃を受けて絶命する。光秀55歳(誕生:享禄1(1528))。(新暦1582/07/02)光秀、秀吉に勝利し太閤になった夢を見る(明智太閤)。光秀、死の間際に自分が秀吉に填められたことを直感する。(妖説太閤記)
06/15 光秀の重臣・斉藤内蔵助、娘阿福(後の春日局)に秀吉への呪詛を吹き込む。(妖説太閤記)
06/16 秀吉、焼け落ちた安土に入る。(妖説太閤記)
秀吉、かつて京極竜姫を攫っていった武田孫四郎を斬首し、更に竜姫の弟高次の助命を条件に彼女を手に入れる。(妖説太閤記)
06/19 滝川一益が神流川で北条氏直軍と戦い敗れる。(新暦1582/07/08)
秀吉、お市に迫り手ひどく拒絶される。(妖説太閤記)
06/27 清洲会議。羽柴秀吉と柴田勝家が対立する。信長の2男信雄と3男信孝が家督を争い、信孝を推す勝家が、信長の長男信忠の嫡男三法師を推す秀吉に敗れる。(新暦1582/07/16)(妖説太閤記)
10/15 秀吉、大徳寺にて信長の葬儀を催す。(妖説太閤記)
十一月 前田利家、勝家の使者として秀吉と会う。(妖説太閤記)
十二月 秀吉、岐阜の織田信孝を攻める。(妖説太閤記)
天正十一年
04/21 秀吉、勝家軍をうち破る。勝家敗走の途上、越前府中の前田利家を訪ね、お市の助命を依頼する。(妖説太閤記)
04/22 秀吉、勝家の追撃途上に府中城に立ち寄り、お市の助命依頼を引き出す。(妖説太閤記)
04/23 お市、利家の救出を拒み、勝家と運命を供にすることを決意。代わりに娘三人を利家に託す。(妖説太閤記)
利家、お茶々に向ける秀吉の目を怪しみ、娘おまあを茶々の楯として秀吉の元へ送り込む。(妖説太閤記)
七月 秀吉、大野道犬の妻の献策により、お茶々を手に入れる。(妖説太閤記)
前田慶次郎、秀吉がおまあに手を付けたことを聞き、娘を利用して家を守ろうとする叔父利家のやり方に愛想を尽かして前田家を退転する。(妖説太閤記)