東西文明比較2 文明の継承者 朝鮮とフランス

 どちらも完全に文明化され、各々の文化圏に置ける長女として民族的自尊心にあふれている。そしてどちらも三番目の、文化圏外の蛮族の支配を受けた苦い経験を持つ。

1 中華文明の正当なる長女

 朝鮮半島は自他共に認める中華文明圏の長女である。その染まり方は徹底しており、同化されずに朝鮮族が未だに残っている不思議なほどである。後発の日本ベトナムで漢字を元にした独自の文字が使用されたのに対して、朝鮮でも訓民正音(後に大いなる文字=ハングルと改称)が創られたが、独自の文字の使用が中国への反乱になると恐れて長く眠っていた。ハングルを広めたのは明治の日本人であり、本格的な教育が始まったのは日韓併合の後である。

 だがよく考えてみると、半島と中国文明圏の間にはツングース族の勢力が存在しており、直接接触していない。更に中国が内乱期に入ると辺境にある半島への圧力は弱まる。こうした地理的条件が完全な同化を妨げたと言えよう。

 古代朝鮮には三つの民族が居た。一つは新羅、半島を統一し現代に繋がる朝鮮族の祖である。そして百済。これは恐らく海の向こうの倭人と近しい関係にあり、国を失った後、連合して日本を作り上げた。そしてツングース系の高句麗。これは先に触れたように中国と半島との緩衝地帯となった。

 満洲族が民族国家を維持していれば、高句麗に始まる歴史は満洲国史とされていただろう。満洲は長城の外側であり、中華文明の勢力圏外にあった。清朝に至って中国を征服するが、これが却って徒になって現代中国の一部分として取り込まれてしまう。モンゴル族が、民族国家を維持しているのとは対照的である。

2 ローマの娘たち

 一方、ローマの長女とされるのがフランスである。だが、早くからローマ化されていたのは地中海沿岸の南部フランスだけであり、ポエニ戦争によりローマに支配されたイベリア半島の方がむしろローマ化の順位は上かも知れない。フランス全土がローマ化されたのはシーザーの征服以後である。

 スペイン(とポルトガル)は”ローマの長女”の資格を失った不幸な出戻り娘である。ゲルマン民族の侵入に際しては真っ先にその領土となり、更にはヨーロッパで唯一イスラムの勢力圏に組み入れられた。これは当時のスペイン=イベリア地方が豊かだった証拠だろう。

 イスラムの支配下に入った地方がこれを自力で駆逐できた例はイベリア地方以外にない。バルカン半島に置けるオスマン帝国の後退はヨーロッパ列強との戦いに敗れた結果であり、同半島からイスラム教徒=ムスリム人の影響が消えた訳ではない。

 とはいえ、イベリア半島はやはりヨーロッパから見れば異質な部分を残しており、成り上がりのフランス皇帝=ナポレオン1世から「ピレネー山脈の向こう側はアフリカ」とぼやかれる事になる。レコンキスタの前例を思えば、ナポレオンごときに膝を屈することは出来ないのだろう。

3 結語

 彼らは事ある毎に自国の文化を誇示する。だがそれは裏を返せば今に自信のない証でもある。朝鮮は長く中国の属国に留まり、フランスはヨーロッパ史に置いて常に二番手を抜けられなかった。彼らのショービニスムは歴史に起因する。

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