魔法世界の資本論
§3 錬金術の経済効果
3−1 貨幣 「文明の血液」
貨幣という物には3つの機能がある。@価値の貯蔵、A経済上の計算単位、B交換手段である。さて貨幣としての貴金属は如何にして発生したか。湯浅赳男氏によると、貨幣の大本は遊牧民族が身につけていた装飾品であったという。彼らが何故装飾品を発展させたかと言えば、移動生活に際して財産を身につける為であった。
問題なのは何故金が価値があるのか、と言う点である。貨幣として用いられる金の特徴について並べてみると、@希少である、A物質的に安定していて精錬・加工が容易である。B美しい金色をしている、となる。そこいらで手軽に見つけられる物では価値が出ない。また物質として安定しているという性質から、エジプト人は金を神聖視していた。他の物質と反応しにくい事から金は採掘しやすい特徴も持っていた。色が他の金属と異なるという点も発見を容易にし、且つ他の金属との差別化をしやすかった。
湯浅氏の著作「文明の血液」では金の流れに着目して文明の盛衰を描いている。非常に大雑把な掴みになるが、金の保有量がその文明の活力の一つの目安であり、金の流出が文明の衰退を示すと言う論旨であろう。文明社会は金によって様々な交易品を獲得出来る。だが輸入超過で金が流出し続ければ、いずれその文明はその命を終える。逆に金の入手経路を確保した文明は発展を遂げる。それは交易による獲得でも、金山の開拓や征服でも良い。征服による成長はしかし長続きしないのは言うまでもない。外から買う物が無い、自給自足が整っている文明は停滞傾向であるが長続きする。外部との交易に頼る文明は活力があるが、輸入超過に陥ると衰退へと進む。
3−2 錬金術の哲学的側面
金の不変性に永遠の生命を感じたエジプト人は彼らの崇める太陽神ラーの肉体の象徴と考えた。王墓の装飾品にやたら金が用いられるのもそのためである。ナイル河はエジプトに肥沃な耕地を与えたばかりでなく神の肉体である砂金も産出したのである。エジプト人にとって金はこの様な呪術的な意味合いを持っていた。しかしナイルより産出する砂金には限りがあり、その枯渇と共にエジプト文明は衰退したと言って良いだろう。
中世ヨーロッパで盛んに行われた錬金術師達の真の目的は、この金の呪術的意味を探求する事にあった。要するに不老不死の研究である。金が出来ると言うのは副産物であるが、活動資金を生み出すと言う意味で一石二鳥であった。錬金術が存在すると言う事の本当の問題点はここにある。
洋の東西を問わず、絶対権力を手に入れた者がつぎに追い求めたのがこの永遠の命であった。死なない権力者というのはそれがたとえ名君であったとしても悪夢でしかない。その辺りの歯止めが必要に成るであろう。
次なる問題は何故金が作れると考えたかである。これはアリストテレスの自然哲学に起因する。彼はギリシア哲学を集大成し、すべての物質が土・水・気・火の4つの元素から成ると考えた。そしてこの四元素はそれぞれ温寒・湿乾の特性を有する。土=温・湿、水=寒・湿、気=寒・乾、火=温・乾である。この四元素の比率を変える事で物質を変質出来るというのが根元の発想である。
無論現代化学に照らせば、正しくない訳だが、すべての物質が電子と陽子そして中性子から成る事を考えると、核融合反応により物質を転換する事は必ずしも不可能ではない。恐らくそのためには膨大なエネルギーが必要であろうが。このプロセスを魔法によって圧縮出来るならば錬金術は実現する。しかしそれはもはや”錬金術”などと言う怪しげな名称では呼ばれないであろう。この自然哲学の完成型となる学問を錬成学と呼びたい。錬成学は魔法的化学であると同時に魔法生物学となるであろう。
3−3 錬金術の経済学的側面
先に述べたように錬金術というのは単に卑金属から貴金属を作り出すと言う浅薄な物では無い。錬金術と言う物が単に金を作り出すだけの手段であるならば、錬金術を経済システムに組み込むと言う事は、尽きない金山を保有しているのに等しい。しかし錬金術で生み出される金の生産に頼る社会ではそれ以外の産業が育たず、常に輸入超過の貿易赤字に悩まされるであろう。
錬金術が実用化されている世界では単純に言って貨幣の不足が起こらない。これを無制限に許すと極端なインフレ状態が起こるであろう。よって錬金術は国家管理、もしくは許認可制が布かれなければならない。あたかもヨーロッパに置いてカトリック教会が金融業を許認可制にしたように。認可を受けた錬金術師は錬金術を研究するために資金を集め、その余録として生み出された金(錬金術師の真の目的はもっと高尚である)を利息ないし配当として出資者に還元することになる。この点に置いて錬金術師は銀行に近い役割を果たす事になる。錬金術師の知識からくる非経済的役割については稿を改めて検討する。
錬金術は金を無尽蔵に作り出す訳ではあるまい。恐らくはその代わりに何かを消耗するはずである。行商人はこの材料の運搬を請け負う事であたかも手形のような機能を果たす事が出来る。要点は材料それ自体には価値がないと言う事である。取扱業者を組合制にしておけば、奪っても換金出来ず盗賊には利益とならない。
利子が中世期に忌避されたのはキリスト教会の禁忌に触れたからばかりではない。問題は債務不履行者に対する規制が難しかったからである。古代には債権者は債務者を奴隷として売り払う事で損失の補填が可能であった。この方法が使えなくなると単純な解決が難しい。投獄は債務不履行者に対する罰則としては弱く、また債権者が救済されない。この解決法については錬金術の範疇を越えるので別稿で扱う。
3−4 錬金術的経済の凡例
実在の錬金術師については少し触れておきたい。その人物の名は誰でも知っているであろう。科学史の中で必ず名前の出る重要人物であるから。その人物の名はアイザック・ニュートンという。
ニュートンが錬金術師であったというのは意外でも何でもない。彼の研究は一貫して神の摂理を探求する事であって、彼の中では万有引力の法則は彼が解明した神の理論の一端でしかない。彼が錬金術の遣りすぎで、重金属による中毒症状を起こしていたと言う話も、此処では特に関係ない。問題は彼の本業である。彼は晩年にはイギリス造幣局の局長という職に就いていた。紙幣印刷というのは我々が真っ先にイメージする錬金術その物ではないだろうか。
紙幣というのは狭い意味での錬金術と見なせる。貨幣としての機能が果たせるなら、貨幣それ自体には価値など無くても良いのである。紙幣というアイディアが最初に実用化されたのがモンゴル帝国の時代であった。製紙技術も印刷技術も中国の発明であったからこれは中華文明の昇華と言える。但し紙幣を通用させるためには後ろ盾となるモンゴルのような強力な国家の登場が必要だった。
物の価値というのは人それぞれであるが、それを計る物差しとして貨幣は無くては成らない。だから、物の価値を変化させてしまう錬金術と言う黒き御業(必ずしも悪業とは言わないが)は国家的な統制を受けるであろう。その影響力は偽札等の比ではあるまい。ゴート札が世界史を幾度も塗り替えた以上に社会を揺さぶるであろう(cf.ルパン三世「カリオストロの城」)。偽札の取り締まりに生涯を掛けたニュートンは錬金術の持つそうした危険性を熟知していたのであろう。
物の価値を激変させる行動が錬金術であるならば、芸術家の類はその最たる例であろう。個人的には芸術に値を付けるという行為は好きではないのだが。史実なのかどうか知らないが、昔読んだ果心居士と信長の逸話がある。居士が持っていた地獄絵図を信長が所望した。居士はこれは値が付けられないのだと断った上で、百金で彼に売った。買い取ってみるとその絵は最初に見たほどの迫力がない。居士が言った。百金の値を付けた時点で値段に相応な絵になったのだと。