大戦争サイクル年表

 高麗僧一然による檀君神話捏造に始まる物語。問題はその捏造の有無ではなく、その経緯に柳生の祖先・悪十兵衛が関与していると言う点。

 大戦争には妖術師・安巴堅(と処刑御使)が登場するので「処刑御使」や「忍法さだめうつし」の全作品はこのサイクルに属する。

 大戦争サイクルの解釈論1 世羅田元信の謎 欠番

 大戦争サイクルの解釈論2 柳生一族の謎 13/03/02 新稿 

 大戦争サイクルの解釈論3 石田三成の野望 13/11/16 新稿

475年 

 百済の蓋鹵王(慶司)、高句麗に討たれる。妖術師・安巴堅、女官三千人と王を犠牲にして妖術を行使する。霊廟の鍵となる呪具は倭国に渡る。(「柳生大作戦」)

668年

 天智天皇、秦友足を高句麗に送る。皇弟大海人、配下を送って高句麗の神器の受け渡しを阻止する。(「柳生大作戦」)

669年

 大海人皇子、崇矩に柳生姓を贈る。(「柳生大作戦」)

672年

 壬申の乱。柳生宗章、果心居士の妖術で時を遡り、太祖より指南亀の所在と使用法を教えられる。(「柳生大作戦」)

1102年

 高麗朝時代、箕子廟が作られる。

鎌倉時代

 高麗王、日本と元の和睦を妨害。(「以蒙攻倭」)

弘安4年(1281)

 弘安の役直後。

 高麗僧晦然、元寇で亡くなった高麗兵の供養のために渡来。帰国後に「彦山流記」をベースに「三国遺事」を執筆。檀君神話を捏造する。(「柳生大戦争」)

弘安7年

 時宗死亡。耽羅の妖術師・金通精により高麗(=朝鮮)に呪いを掛ける。(「以蒙攻倭」)

 

南北朝時代

 後醍醐天皇を笠置に迎える。柳生砦が北朝軍の奇襲を受け、指南亀の所在を記した文書を焼失する。(「柳生大作戦」)

 

高麗末・李朝初

 高麗を滅ぼす李成桂に対し初代高麗王王建より刺客が送られる。成桂はこれに対抗して安巴堅に時間遡及の術(処刑御使)を考案させる。(「怪異高麗亀趺」)

 王建への逆刺客は取りやめとなり、それに怒った処刑御使達は成桂を暗殺しようと遡行。しかし逆に彼を守って愛国独立運動に身を投じる。(「怪異高麗亀趺」)

 朝鮮王・李芳遠。対馬を襲う。懐良親王の娘、忍法「さだめうつし」により対馬攻撃を失敗させる。(「対馬はおれのもの」)

 

大永6年

 松平清康、新田流得川氏の庶流世良田姓を称し世良田二郎三郎を名乗る。

 

永禄5年

 柳生新左衛門、松永久秀を敵と狙う伊賀の若者を密かに支援。久秀の攻撃を受けるが果心居士によって窮地を救われる。(「柳生大作戦」・「伊賀忍法帖」@山風)

永禄6年

 上泉伊勢守、柳生新左衛門に弟子入りし無刀取りの技を学ぶ。柳生伝来の剣術を秘匿するため、表向きは新左衛門が伊勢守に弟子入りしたことにする。(「柳生大作戦」)

永禄9年

 家康、姓を松平から徳川に改める。

天正2年

 近江百済党の石田佐吉、長浜城主と成った羽柴秀吉に仕える。(「柳生大作戦」)

天正17(1589)年

 革命思想に燃える鄭汝立、一然告白書を入手。しかし叛乱計画は未然に防がれた。(「柳生大戦争」)

天正20年

四月 秀吉、朝鮮に兵を送る。(「柳生大作戦」)

八月 三成、百済霊廟を開封し髑髏杯の魔力を取りこむ。(「柳生大作戦」)

文禄2(1593)年

 韓人僧一厳、藤堂高虎の陣に忍び込んで捕らわれる。(「徳川家康」)

文禄3(1594)年

 柳生宗矩、家康に拝謁。その力を背景に三成に対抗。(「柳生大作戦」)

 藤堂高虎、一厳を家康に引き合わせる。家康、一厳(元信)の素性を隠して影武者として採用する。(「徳川家康」)

慶長2年

 南原城の戦い。柳生宗矩、宇喜田左京亮の陣に雑兵として参加する。(「徳川家康」)

慶長5(1600)年

9月 関ヶ原の合戦。家康急死。影武者世羅田元信、家康に替わって指揮を取り東軍を勝利に導く。(「徳川家康」)

 柳生宗章が発動した指南亀の影響で小早川秀秋が東軍に兵を向ける。(「柳生大作戦」)

 徳川軍、大坂城に入城。井伊直政、元信に刺客を送るが柳生但馬守に防がれる。秀忠、直政に警告を与える。(「徳川家康」)

慶長7年

2月 井伊直政、死去。

3月 家康の十男が誕生。影武者元信の子だが、秀忠は弟して遇し長福丸の名を与える。(「徳川家康」)

慶長8(1603)年

2月 家康、征夷大将軍に任じられる。

7月 秀忠の長女千姫、豊臣秀頼に輿入れ。秀忠正室お江、これに同行し伏見で女子を産む。

8月 家康に十一男が誕生。

9月 家康五男・武田信吉死去。水戸武田家廃絶。

11月 柳生宗章、横田一族に助勢して斬死。(「柳生大作戦」)

慶長9(1604)年

7月 秀忠に嫡男竹千代が誕生。実は元信の子であった。(「徳川家康」)

8月 秀吉の七回忌。元信、豊国社の例大祭を見て豊臣家への恨を呼び戻される。(「徳川家康」)

慶長10(1605)年

 宗義智、朝鮮との和平交渉に際し国書を偽造。

 家康、伏見にて朝鮮使節と会見。元信、泗溟大師惟政と再会。事後策を協議する。(「徳川家康」)家康、宗矩に命じて剖棺斬屍を実行させる。(「柳生外道剣」)

4月 家康、征夷大将軍を秀忠に譲る。

9月 疋田豊五郎景兼、大阪で没。

慶長11年

4月 柳生石舟斎死去。

慶長12(1607)年

 第一回朝鮮通信使(正式には回答兼刷還使)。溟降魔衆、元信と合流。(「徳川家康」)

 駿府城炎上。元信が駿府城の防備強化を狙って自ら火をつける。(「徳川家康」)

慶長14(1609)年

 己酉約条。

慶長16年

3月 家康、二条城で秀頼と対面。元信、秀頼の暗殺を企てるが、そのあまりに哀れな様子に計画の中止を決意する。しかし中止命令は届かず、真田十勇士の介入により阻止される。(「徳川家康」)

6月 真田昌幸死去。

9月 秀忠、柳生宗矩の情報により元信の素性を知る。(「徳川家康」)

慶長19年

 大坂冬の陣。

慶長20/元和元年

 元信、密かに秀忠暗殺を狙い、大坂に忍びを送り込む。(「徳川家康」)

 大坂夏の陣。

 柳生利厳、尾張義直に仕える。

元和2年

 家康死去。元信、家光が自分の子であると秀忠に継げる。(「徳川家康」)

元和3(1617)年

 第二回朝鮮通信使(正式には回答兼刷還使)。

元和9(1623)年

 秀忠、将軍職を家光に譲る。

仁祖反正。

寛永2年

 友矩、廻国修行の最中に神後伊豆と出会い、その剣と男色の技を伝授される。(「柳生大戦争」)

寛永3年

 十兵衛、勘気を蒙って柳生の庄へ逼塞。宗矩、替わりに次子友矩を側近くへ送り込む。(「柳生大戦争」)

寛永6年

 柳生宗矩、但馬守に叙される。

寛永9年

1月 大御所秀忠死去。

 但馬守、三千石を加増され六千石となる。あわせて初代総目付(大目付)となる。

寛永11年

 但馬守、友矩への家光の寵愛が深すぎること(友矩に14万石を与えると言う内意)を懸念して彼を遠ざける。

12月 友矩、父を斬って逐電。(「柳生大戦争」)

寛永13(1636)年

 但馬守、通信使派遣を渋る朝鮮に対し悪十兵衛の残した一然書翰を見せて恫喝。(「柳生大戦争」)

2月15日 友矩、後金の首都盛京に到着。(「柳生大戦争」)

4月11日 後金、国号を大清と改める。十兵衛と宗冬、漢城に入る。(「柳生大戦争」)

5月3日 友矩、済州島で十兵衛・宗冬と対峙。(「柳生大戦争」)

8月14日 但馬守、4千石を加増され大名に列せられる。

12月2日 清軍、朝鮮に向けて出陣。

寛永13年

 春日局、家光の性癖を矯正する為に服部半蔵の娘を大奥へ送り込む。(「三くノ一大奥潜入」)

寛永14年

1月30日 三田渡の盟約。朝鮮王国、清帝国に臣従。

 十兵衛、友矩を斬るが、安巴堅の連れてきた悪十兵衛に斬られる。十兵衛(実は悪十兵衛)と宗冬の帰国後、父但馬守との間に果たして何が起こったか。(「柳生大戦争」)

閏3月 お振の方、家光の最初の子千代姫を産む。

寛永16年

6月6日 柳生友矩没。(史実)

9月 千代姫、尾張義直の嫡子光義に嫁ぐ。

寛永17年

8月 お振の方死去。服部家再興の夢が断たれての自死。(「三くノ一大奥潜入」)

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