柳生一族の謎

 「柳生大戦争」と「石田三成」=「柳生大作戦」の整合性に付いての考察(こじつけ)。

§1 太祖崇矩(@「石田三成」→「柳生大作戦」)

 渡来した新羅王子・天日槍の子孫。その玄孫・田道間守が常世に旅して異能力を修得し以後非時(ときじく)一族と称した。この田道間守を但馬守と読んで、これを後の柳生但馬守宗矩と結びつけたのが荒山徹の鬼才たる所以。

 ともあれ、その一族に連なる崇矩が新羅人金春秋(後の武烈王)と大海人皇子(後の天武天皇)の密会に乱入し、倭国に親新羅政権を誕生させようと言う目論見に加担する。大海人皇子の密命により天智天皇の親百済・親高句麗政策を影から妨害、そして壬申の乱に至って天武天皇の誕生によりその計画は一段落する。

 崇矩は大海人皇子より柳生姓を賜る。もって彼を柳生家の太祖と称することとなる。これ以後、柳生一族は百済難民が組織した百済党の暗躍を密かに潰す役割を天武天皇から授けられたと言う。

§2 悪十兵衛(@「柳生大戦争」)

 柳生家の中興の祖、悪十兵衛。後の柳生十兵衛と同じく隻眼。元寇で散った兵士の鎮魂のために渡来した高麗の高僧晦然と親密になり彼が創造した檀君のモデルとなる。檀君神話それ自体も日本の英彦山伝説のパクリである。(両者の類似性については学説として存在するらしい)

§3 柳生新左衛門宗厳(@「石田三成」→「柳生大作戦」)

 柳生家伝来の剣術の使い手であり、上泉伊勢守を凌ぐ使い手であったが、その剣の素性を隠すために表向きは弟子入りしたことに偽装したという。この傍証として他人の小説(「伊賀忍法帖」@山田風太郎)を持ってくる辺りが荒山徹の(以下同文)。

 秀吉の権力を利用して百済党の悲願を達しようとする石田三成に対抗するために、五男宗矩を徳川家康に仕官させる。その一方で、壬申の乱以来封印されていた神器指南亀の探索を四男宗章に命じる。この所在を記した文書は南北朝の動乱で失われたらしい。

§4 柳生宗章(@「石田三成」→「柳生大作戦」)

 十年に渡る探索行も徒労に終わり、父は妖術による支援を思いつく。登場するのは彼と懇意の果心居士。彼の妖術を会得し、時間を遡っての探索を開始する。

 彼はその探索行で先祖悪十兵衛とも遭遇する。(これが「柳生大作戦」が大戦争サイクルに属する根拠の一つでもある)そして最後には壬申の乱の直後まで遡って太祖より指南亀の所在を知る。指南亀が隠されたのは松尾山。そこに陣を構えていた小早川秀秋は、その魔力によって方向感覚を狂わされて、東軍に味方して山を降りる。

§5 世羅田元信(@「徳川家康」)

 「石田三成」「柳生大作戦」では小早川秀秋の裏切りまでしか描かれない。魔人石田三成は合戦には敗れたが、その魔力は健在である。三成は何故滅んだのか。その答えが家康の影武者を務めた世羅田元信にある。彼の魔力の根源は「百済の恨」にある。よって韓人である元信には効果が無いのだ。元信の生まれは原州。今は江原道に属するが、古代には百済に属しその後高句麗に支配された地域である。少なくとも新羅系といえない元信に三成の術は影響を与えなかっただろう。

 ここで「徳川家康」では自然死となっていた家康の死の原因にも思い至る。家康の側には石舟斎が護衛として詰めているではないか。

§6 柳生但馬守(@「石田三成」→「柳生大作戦」)

 大戦争サイクルの柳生家は基本的に親韓(より正確には親新羅)である。三成とともに百済党も滅び、柳生家の使命も終わりを告げた。この後の宗矩は己の野心のために動くこととなる。

 むしろ新羅系の柳生家としては韓人である元信と繋がっても不思議は無い。作中では一応秀忠の為に動いては居るのだけど。彼によって成し遂げられた「大戦争」から「魔岩伝説」へ至る流れはまさしく日韓友好であり、それは天武天皇と武烈王の密約が完全に成就した瞬間と言える。

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