石田三成の野望
「柳生大作戦」と「徳川家康」の整合性についての考察(こじつけ)。
§1 百済党と百済団
三成が属していた百済党と伊藤一刀斎が率いた百済団。両者は別時空に存在するのでとりあえず並立は可能。なのだけど両者の違いに付いて考察してみる。
その前身たる”百済寮”の存在は共通として、重要な分岐点は桓武天皇の動向にある。嫌韓志向の友景サイクル(「柳生百合剣」)では桓武天皇は百済再興に興味を示さずに百済寮は有名無実化。清和天皇の御世に解体された。それに対して親韓志向の大戦争サイクルでは、桓武天皇本人はやる気だったのに反対派に阻まれた、となっている。
なお、「大作戦」の発端となった霊廟を計画したのがおなじみの妖術師・安巴堅。彼は百済系だったと言う新事実が明かされます。
§2 欽明遺金
百済と無関係の(友景サイクルの)三成は真田幸村を半島に送り込んで欽明遺金の入手を目論む。幸村は見事役目を果たすのだけど、自身は遺金を利用する余裕は無く。しかし彼の死後豊臣家を支えたのはその黄金であった。しかし豊臣家は遺金に掛けられた呪いによって最終的には滅亡する。まあ史実どおりなで仕方が無い。
§3 三成の敗因
三成の敗因は突き詰めれば関ヶ原を戦場に選んでしまったこと。家康の側にあった石舟斎の論じるとおり、三成は伊賀皇子の轍を見事に踏襲している。呪術に頼る三成は見立てに嵌まって自滅したと言える。彼に戦略眼が備わっていればもっと別の展開もあっただろうが。
監視だけなら片手間で出来る様だが、その行動を操作しようとすると本体がお留守になる。まさに勝負を決しようと小早川秀秋を動かしている間は、秀秋に掛かりっきりになってしまい、家康本陣での異変に気付けなかった。
§4 関ヶ原その後
本稿の本論。
百済再興に燃える魔人・石田三成のシナリオどおりに進んだ関ヶ原。しかし最後の詰めで指南亀によって攻撃目標を違えてしまった小早川軍。「柳生大作戦」ではここで物語は終わっているのだが、魔人と化した三成が果たしておとなしく滅んだのか。そこが本稿の主題である。
第一の可能性は、三成が呑んだ杯はほんの一口であったから効果が切れた。これはあまりに安直過ぎるし、それなら伏線としての記述があるべき。
伏線と言えば、三成が能力を過信しすぎて失敗しかけるシーンがある。実は能力に溺れて足元をすくわれると言うのはこれまでの朝鮮妖術師におなじみの敗因である。と言うか悪の組織が滅びるパターンの典型でもありますが。第二の可能性としては敗戦後の逃走中に体調を崩して能力を喪失した。史実の三成は捕らえられたときに腹を壊していたと言う話がある。下痢で出てしまったと言うのは単なる時間切れよりも(間抜けすぎて)却って納得が行く。
第三のそして本命の可能性。関ヶ原後を描いた「徳川家康」において、三成は全く登場しない。元ネタ(「影武者徳川家康」)では三成は影武者の元信と対面して秀頼を頼むと言い残すのだが、韓人の元信にはそれも通用しない。いや百済党首の三成は秀頼に対する忠誠などそもそも持ち合わせていない。
三成と元信が対面していれば、偽物であることはすぐに見破れたはず。何故なら三成は能力を使って本物の家康を遠隔操作していたのだから。問題は影武者の元信が韓人であると気付いたかどうか。百済系韓人である元信(前稿参照)に三成の術は効かない。力を失ったと思い込んだ三成は絶望の内に死んでいったのかもしれない。