由利先生の事件年譜 註釈2

 

 由利先生が登場しない事件についての考察。

* 三津木の親族

 三津木俊助の親族が登場するのは二作品。

 まず「猫と蝋人形」には妹通子が登場。三津木が30前後と書かれるが、数えで30歳になるのは昭和13年。その一方で発表年代が11年という問題もある。

 とりあえず後者を優先するとして、11年は別件で忙しいので10年に置く。これより前だと妹の年齢との矛盾(事件当時25・6歳)が生じる。通子の境遇から見て、両親は既に亡くなっていると思われる。また男兄弟がいる可能性も低い。俊助は三津木家の長男で家督相続者だったのだろう。

 そして「孔雀扇の秘密」には甥の勇君が登場する。こちらの年代は終戦の翌年だから21年になる。勇君は15・6歳(と見られる朱美と同年代)なので残念ながら通子と絃次郎の子供である可能性は無い。よって俊助には他に姉がいるのではないか。(おじさんがひらがな表記なので”伯父”なのか”叔父”なのかが不明)

* 等々力警部の年齢

 初めは由利先生の後任の捜査課長ではないかと考えていましたが、捜査課長は警視レベルなので警部だと精々係長クラスかなと思い直しました。(この辺の論は重複するので別稿を参照ください)

 等々力警部と俊助が同年と仮定すれば、昭和10年(上記「猫と蝋人形」)の時点で27歳。若すぎる気もするけど、磯川警部のことも考えれば25・6で警部と言うのも十分ありえるようだ。 

 等々力警部が登場する「首吊り船」は以前に考察した昭和7年はまだ24歳で”有名な”と形容されるには若すぎる。また警部の名が売れるのは由利先生や三津木の助力のお蔭と思われるので。2年繰り下げて9年とする。

* 支那事変

 等々力警部とともに関わった(由利先生が関与しない)「猿と死美人」事件。13年の作品で、支那事変開始後なので12年の10月と確定。

 弓枝の義兄蒲田氏が元朝鮮総督府を辞して帰国したのが昨年とあり、これを支那事変開始の昭和12年と考えて事件発生を翌13年と推定する。これは発表年(13年)とも矛盾しない。

 最後に残った「白蝋少年」は辛うじて「明け方の寒さが身にしみる」季節であると読み取れる以外に年代を特定できる要素が全く無い。等々力警部が登場する作品として執筆順に「花髑髏」と「悪魔の家」の間に位置し、この3つの事件がこの順番で起きたと考えて不都合が生じないので12年の冬とする。

 強いて理由付けするなら、この時期は蝶々殺人事件の直後なので新婚の由利先生に遠慮して訪問を控えていたと言うことにしておく。

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