世界観比較私論 未来史篇

 SF編より分離。

 未来史は作者の理想の投影であると同時に、執筆当時の”現代”を色濃く投影した外挿が読み取れます。作品として長く生き残れるかどうかはその内容がどれほどの普遍性を持ちうるか、でしょう。

§1 あまりに長き冷戦 E・E・スミス

 単純なスペオペからハードSFへの過渡期の作品なのだろう。壮大な未来史なのだけど、様々な形態の異星人たちが登場して多文化主義的で、基本的に人類しか出てこないアシモフの銀河帝国とは対照的。

 アリシア人に先導される(第一)銀河文明は(かなり理想化されてるが)西側自由主義陣営に、そしてエッドア人が糸を引くボスコーン(第二銀河)は(その無神論的な社会構造が)東側共産主義陣営と考えれば壮大な宇宙規模の冷戦構造が成立する。つまりレンズマンとボスコーンの戦いも、突き詰めれば衛生国による代理戦争。レンズマンの勝利を冷戦終結と重ねるとある種の予言の書とも言える。

 神=アリシア人を越えていく第三段階レンズマンの進化は作者が抱く人類への希望を感じさせる。

§2 人類補完機構 コードウェイナー・スミス

 歴史を操る秘密組織というのは月並みだが、その目的が必ずしも悪とは限らない。ちなみに「補完機構」は善でも悪でもない。更にいえば秘密でもない。ただ機械的に人類社会の秩序を維持するのみである。

 原語では”instrumentality”で、直訳すると”道具”あるいは”手段”となり、カトリックや英国国教会において神と民衆の間に立つ”仲介者”すなわち僧侶を指す用語らしい。言い換えれば”神自身”ではないということでもある。

 このシリーズ名は(ピンと来た方も多かろうが)エヴァのネタにも成っている。補完機構と言う訳語は翻訳に当たった伊藤典夫氏の意向らしいが、この語感が新たな創作のきっかけを与えたということなのだろう。

§3 機械主義者と工作者 ブルース・スターリング

 宇宙移民時代、宇宙への適応をサイバーウェアで行う”機械主義者”と遺伝子改造に求めた”工作者”の対立する世界。そこへ訪れた異星人”投資者”の介入により歴史は新たな展開を見せる。

 改めて読み返すと、冷戦構造(機械主義者=東側共産主義勢力、工作者=西側自由主義勢力)の投影が感じられるが、冷戦初期(に執筆された)レンズマンと比較すると、末期に近いこちらでは両陣営が拮抗して出口が見えない。だから投資者と言う第三者の介入が必要となってくる。その一方でドク・スミスが見ることの無かった様々なハイテクが投入され、より機械的な文明史観が描かれる。

 短編五編と長編一編で良く纏まっていて、これ以上新作は蛇足になる。果てしなく広がっていく未来史モノとしては異例だが、元々こちらがメインステージではないのだから当然か。

§4 ロボットから銀河帝国へ アイザック・アシモフ

 壮大すぎるので別頁。

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