忍法系譜 その伍 服部党・宗家

その壱 初代半蔵・石見守正成

 彼自身は一切忍法を披露していないが、敵の侵入を阻止する内縛陣と敵の逃亡を阻止する外縛陣を広めた。信玄の影武者を巡る戦いに投入された九忍*1は宗家にも引けを取らない様々な忍法を見せた。

 人形遣い箙陣兵衛は対象に針を打ち込んで意のままに操る忍法「鵜飼」を用い、また水に濡れるとふくれあがるひな人形「春水雛」を繰り出した。蛇遣い虚栗七太夫は蛇を媒介とした淫夢を見せる。

 また、墨坂又太郎の瞳術「時よどみ」は忍法帖の中でも最強クラスである。これを破りえたのは果心居士すら退ける剣聖上泉伊勢守ならではであった。同じく目を用いる忍法使いとしては眼球を取り外しそこに映像を記録出来る漆戸銀平次がいた。

 視覚を記録する忍法は割とポピュラーで、甲賀者牛ノ目百助*2の「録眼」(ギヤマンに視覚を記録して他人に見せる)、十鬼一族*3の秘術「瞳録」(漆戸のそれと同じもの)、他に大友のくノ一お蝶が己の殺害者を眼球に残す術を用いている。

 六字花麿の「陰陽転」は己の分身を交わった相手に移し替えることで女性形に変わる事が出来る。性転換や肉体奪取の多くは非可逆的であるのに対して、この技は取り戻すことが可能という優れものである。後に初代の莫逆の友であったと言う波ノ平党法眼の配下*5が用いた「会合転生」(死姦によって体を奪う)がある。

 このほかにも御所満五郎の「煩悩鐘」は鐘を媒介として淫気をまき散らし、そして黄母衣内記の「乳房相伝」は血を介して人間の最も異常な特質を移す血を乳房から浴びせかけた。

その弐 二代目正就

 関ヶ原の合戦にて、国友村の確保*5と小早川の真意を探る任務*6を取り仕切る。前者は成功したが、後者は実質的に失敗している。

 国友村へ送り込んだ十忍は 「蠅達磨」(汗腺から糞臭を漂わせて蠅を集め、分身を作る)、「枯葉だたみ」(塩漬けになって体を小さく畳む)の秘術を用いたが、石田方の甲賀忍者に敗れる。四名のみが国友村の住人の手引きで潜入に成功したが…。

 小早川陣への潜入捜査は先代石見守の親友であったという波ノ平党との共同作戦であった。服部組代表の浮舟伴作は小早川陣を探るため「あぶら虫眼」と呼ばれる特殊は目薬を使用した。これは八町先が見えるが、代わりにすぐ鼻先のモノが見えなくなると言うかなり使い勝手の悪いモノであった。これだったら望遠鏡を使えば済むのではないか。

 結局服部の二人は波ノ平党の撫子の「鷹の爪」で殺され、「交合転生」によってその体を乗っ取られてしまう。これは交合を条件とするので異性に対してしか用いることが出来ない。つまり憑依術であると同時に性転換術である。これを生者相手に行ったのが能登くノ一*7が見せた「歓喜天」である。これは生者を相手にするので入れ替わった相手をどうするかが難点である。

その参 三代目正重

 自身も「墨検断」(筆を持ち、相手に紙を持たせて、その存念を書かせる)や、「網代木」(相手の剣を指の間で挟み取ってしまう)と言った忍法を披露した*8

 甲賀伊賀を合わせて支配し、それぞれに五名の幹部がいたが、岳父大久保長安との絡み(伊賀組は長安の護衛で、甲賀組はその死後長安の子を宿したくノ一三名を討つ戦い)で全滅した。

 伊賀組幹部*9はいずれも特殊な武器の使い手であった。

 象潟杖兵衛の「連伽」は鉄球と鎖を付けた棒術、牛牧僧五郎の「手投弾」は鉛製で当たるとそれだけで致命傷となる。魚ノ目一針の「針地獄」は無数の針を降らせるというこの中では最も忍法っぽいもので、狐坂銀阿弥の「縛り首」は投げ縄の派手なモノと言うところか。安馬谷刀印の「合奏刀」は左右の手を別々に扱うごく普通の二刀流であった。

 これに対して甲賀組の幹部達*10はかなり多彩な忍法を使った。

 その内でも麻羽玄三郎の用いた鋼の縄術「不空羂索」は狐坂の「縛り首」に、高安篠兵衛の「拍掌剣」は安馬谷の「合奏刀」に対応している。二刀流というと真っ先に武蔵を思い出すが、剣術の本流からは外れるようで、むしろ忍び向きの手法かも知れない。次の時代になるが、松平上総介の襲撃に際して送り出された我孫子監物*10も二刀を使っているが、これは上総介の無刀取りを警戒しての外連であろう。

 栃ノ木夕雲の「生霊逆ながれ」は死者を復活させて忍奴として支配できる。(但し時間制限有り)漆鱗斎 の「遠見貝」は視覚系の術(貝のレンズを対象に填め、その見たモノを己も見ることが出来る)、釜伏塔之介の「変化袋」は甲賀得意の変装術であった。

 長安の息子おげ丸は身につけた忍法の封印を解くや、この甲賀組幹部をあっという間に全滅させてしまった。彼は多芸忍者で、「不壊金剛」と言う肉体硬化術(「不空羂索」を引きちぎる)、幻術系の「天地返し」(長刀の一閃で平衡感覚を狂わせる)の二つを用いた。

その肆 四代目正広以降

 初代の末子京八郎が四代目を継いでまもなく、本多佐渡守の命により伊賀のくノ一八名が里見家の八顆の玉を巡って八犬士の末裔との死闘を演じた*11。忍法の詳細は甲賀卍谷の八犬士およびくノ一術総覧を参照。

 結果として目的を果たせなかったのだから服部組の敗北と言っていいだろう。プロ(?)の伊賀くノ一達が、甲賀卍谷帰りとはいえ素人の八犬士達にしてやられたわけで…。この失態が「約定の解除」へと向かわせる。

 そして悲劇の幕は開く。

*1 信玄忍法帖

*2 近衛忍法暦

*3 忍法瞳録

*4 外道忍法帖

*5 忍法関ヶ原

*6 忍者撫子甚五郎

*7 忍法忠臣蔵

*8 忍者服部半蔵

*9 銀河忍法帖

*10 忍法封印いま破る

*11 忍法八犬伝

 

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