忍法系譜 その参 根来流・前段

 元亀年間の根来は忍法帖の”黒歴史”である。後年に現れるあらゆる忍法が見られるが、それが堺の機械力の前に儚く散ってゆくのである。

その壱 根来の特殊武器

 果心居士の直弟子となった根来七天狗*1はそれぞれに根来起源と思われる特殊武器を携えていた。詳細についてはすでに別稿にて触れたので此処では繰り返さない。

 斑鳩坊は草鞋の下に鞠の様なモノをつけ、それを転がして自在に疾走する。これは今で言うローラーブレードの原型のようなモノであろう。また百首坊は伸縮自在の革鞭を自在に操っている。

 この様な多彩な武器武術を生み出した根来忍法僧も、堺町衆との戦いで疲弊して、長い暗黒期を迎える事になる。思えば十兵衛を襲った根来忍法僧達*3は全くの無芸で、ただただ魔界衆達の引き立て役であった。

 享保期の公儀お庭番城ヶ陣内*4が用いた巨大なシンバル「銅拍子」を最初に武器として用いたのも彼ら根来忍法僧であった。これは陣内の属する伊賀鍔隠れ谷に伝わっていたのではなく、お庭番の故郷根来の秘伝を復活させたと考えるべきだろう。

その弐 根来の離散

 波切坊の見せた”影狩り”(影を切り本体を切る術)は後に伊賀の鼓隼人の見せた「百夜ぐるま」(影を媒介として相手を支配してしまう術)へと繋がり、また西岳坊の”鏡変化”(手に放れるモノを鏡面と化しそこに写った自身の姿に紛れて隠れる術)は風摩の累破蓮斎*5が「忍びの水月」と名付けて伝えていた。両者とも生死不明なので、松永弾正が信長に屈した後逃げ延びて術を伝えたモノと推測される。

 また、雲取坊の”吸息かまいたち”は伊賀に伝えられ、後に筑摩小四郎*6や勿来銀之丞*7によって用いられている。この流れは共に不死身の肉体を持つ伊賀の薬師寺天膳と根来の総帥たる牛頭坊との繋がりを暗示させる。

その参 公儀根来

 いかなる事情があったか、本多佐渡守は徳川家への帰参の際に根来の忍者を引き連れていた。土井大炊頭はその根来の姉弟を引き合わされ後に譲られている*8が、彼らは果物の中身を入れ替える術を使っていた。

 根来組の創設については既に別稿にて書いたので省略する。

 土井大炊頭の計画*9(伊賀・甲賀・根来を統合した隠密組織を作る)に際して、根来の代表として選ばれたのが虫籠右陣であった。

 右陣の用いた「ぬれ桜」は己の唾液を以て女性の肌を女陰と同じ状態に変えると言うモノで、これは根来七天狗以来の淫術に通じる。彼のもう一つの技「暗剣殺」(己に向けられた殺気を関知して身を避ける)を合わせ考えると、果心流の影響が色濃く見える。また、彼は根来に伝わる武器として「針つばめ」を用いた。これはくの字型の釘で、目標に当たらなければ戻ってくるブーメランの機能を持っていた。これは根来七天狗・風天坊の「鎌返し」の小型版である。

 明の復興を掛けて戦う鄭成功は再三日本軍の救援を乞う使節を送っている。慶安三年のこの時、妹鄭春燕を使者に立てた。春燕は明廷に伝わる回生の秘法を会得しているという。折しも将軍家光の病厚く、出兵反対派も春燕を江戸に迎えることについて異議を挟みにくいこととなった。

 知恵伊豆松平信綱*10はこの春燕が偽物ではないかと疑い、柳生連也とその師陳元贇に真偽の判定を依頼する。さて一方、この動きをかぎつけた由比正雪は春燕の守り役を出す様紀州頼宣に懇願、頼宣は失敗しても紀州に傷が付かないモノとして根来の忍法僧を送り出すのである。

 根来の一人香雲は相手の視覚を左右逆にする忍法を柳生連也に掛けた。これは後に木曽根来で見られた「逆流れ」へと繋がるのであろう。

 また月心の忍法は己の血を吸わせた蛾が燃えて人を眠らす煙幕となる。彼は春燕の「陰陽環」で復活し、彼女の告白を引き出した。彼と根来の忍法僧達は実は伊豆守の配下の公儀隠密であった。

 さて、この時期の紀州根来にそもそもまともな忍法の使い手が居るはずもなく、木曽根来から移籍したモノでしょう。根来寺としては前回の事*3もあって失敗は許されない関係上、新参の彼らを代表として出さざるを得なかったと言うところでしょうか。此処が伊豆守の付け入りどころでした。彼は紀州家が根来忍者を使っている事は既に承知していたはずですから。

*1 伊賀忍法帖

*2 海鳴り忍法帖

*3 魔界転生

*4 忍法月影抄

*5 風来忍法帖

*6 甲賀忍法帖

*7 外道忍法帖

*8 忍者本多佐渡守

*9 忍びの卍

*10 つばくろ試合

 

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