忍法系譜 その壱 忍法の発生とその伝承

 忍法は楠木正成に始まり、その遺臣菊水党*1を通じて伊賀へと伝えられた。かの大楠公がどこで忍法を体得したかについてはすでに別稿で考察しているので此処では繰り返さない。本稿のテーマは如何にして忍法が伝承されたかである。

その壱 遺伝と環境

 「環境が、人間に影響することは、ぼくも否定しません。だからいま、遺伝の力が八割だと言ったんです。後の二割は確かに環境の如何による」

 これは某推理モノ*2で”教育の力”に対する主張に答えた某人物の台詞であるが、遺伝か環境かと言う命題に対する作者自身の見識ではないかと思われるので、畑違いを承知で敢えて引用した。

 但しこの場合の環境とは、あくまでも物心付く前の幼年期を指すのであり、「三つ子の魂百まで」と言う言葉を言い換えているに過ぎない。これを忍法習得に援用するならば、忍者に生まれるか、忍者に育てられない限りは忍法は習得出来ない事になる。

 その典型例が伊賀の無明綱太郎*3であろう。彼は(話の展開の都合もあるが)複数の忍法を会得した数少ない達忍である。

 しかしながら、忍法帖中にはこの条件に合致しない忍者も登場する。入り婿でありながら、妻の指導宜しく見事忍法を身につけてしまったのが服部紋三郎(旧姓・葉山)*4である。つまり、ずぶの素人でも条件次第では忍法を習得出来るかも知れないのである。

 以下、その条件と修練法について考察してゆこう。

その弐 忍法収得の条件

 忍者の血を引いてさえいれば、たまたま見つけた秘伝書を紐解くことで忍法を習得出来る*5のだが、そうでない場合でも、忍法を教えてくれる師匠が居れば忍法の習得は可能である。

 忍法発祥の時点に遡って検討してみよう。菊水党*1は伊賀に忍法を伝える際に特に服部半阿弥の二人の孫娘双羽と環、そして環の婿柳生七兵衛の三人を素質有りとして指名した。ここで重要なのは忍法が伊賀で自然発生したモノではなく後天的に習得可能な技術であったと言う事、その一方で或る程度の才能は必要で有ると言う事である。

 但し、菊水党がどういう基準で才能を選別したのかについては全く不明である。

その参 忍法習得の原理

 菊水党*4は、

 「第一に念力…」 副腎から分泌されるアドレナリンの作用。

 「第二は、己自身が信じること…人工的なしかけ」 一種の催眠術

 「念力を発し、自身を作るもの。それは修行」

 と言う三つの原理を提示している。これを聞いていた世阿弥が(芸の道にそっくり同じじゃ!)と妙に感心している。

 さてここで再び服部紋三郎の例を検証してみよう。彼は浮気相手に会いたいと言う「念力」をきっかけとして、妻の励まし(=暗示)を受けて「修行」に励み、遂に「夢刺客」「逆徳利」と言う二つの秘術に開眼しました。端から見ると何かおかしくないかと突っ込みたくなるが、

 「色の術?」 「されば、それこそわれら七人の最も精魂こめて研究いたして参ったもの。…」

 この一言で忍法が立川流の秘儀を根底にしていることが窺い知れる。そしてこれこそが入り婿、つまり忍者の血を受け継いでいない服部紋三郎の事例に対する明確な論証になっている。

 紋三郎の修行に対するモチベーションは浮気相手に会いたいと言う煩悩であった。そこには「妻介添えの浮気」という異常事態に疑念を抱かないほどの集中力(悪く言えば視野狭窄)が発生している。これは先ほど見た条件をすべて満たしている。

 しかしながらその根底にある夫婦愛も見逃すことは出来ない。同じく入り婿であった花房宗八郎*6は同輩久沓歓兵衛の傀儡廻し(実は狂言)を目撃しながら、自分でそれをモノにしようとは考えなかった。もし宗八郎が「それを俺にも教えてくれ」とでも言えば彼はあの様な悲劇には陥らなかっただろうに。

 最後に結論めいたモノを。

 必要から生まれた発明(忍法)は必ずしも必要のためだけに用いられることはない。

*1 忍法創世記

*2 誰にでも出来る殺人

*3 忍法忠臣蔵

*4 妻の忍法帖

*5 忍法相伝64

*6 忍者傀儡歓兵衛

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