明治02 大久保暗殺まで

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六年(承前)

10/29 油戸巡査、元旗本鵜川金三郎の死体を発見。3日後、かん八、事件を半七親分に通報。(警視庁草紙・明治牡丹灯籠)

11/10 大久保利通、初代内務卿に就任。警保寮内務省に移管。数日後、司法省に置いてお別れパーティが催される。その席上で、三遊亭円朝、怪談話を披露。(警視庁草紙・明治牡丹灯籠)

七年

01/07 川路大警視、かつての上司・前司法卿江藤新平を訪問。佐賀に降って不平士族を沈静化するように依頼。(警視庁草紙・明治牡丹灯籠)

01/13 江藤、佐賀へ出立。

01/14 岩倉具視右大臣が、赤坂喰違で高知県士族の武市熊吉らに襲われ負傷する。(警視庁草紙・黒暗淵の警視庁)

01/15 警視庁、元南町奉行所跡地に移転。

01/16 隅老斎(駒井相模守信興)、警視庁門前を散策(偵察?)。(警視庁草紙・明治牡丹灯籠)

01/17〜19 岩倉卿襲撃犯逮捕。

02/03 岩倉卿襲撃犯自供開始。川路大警視、佐賀の乱勃発の知らせを受ける。(警視庁草紙・黒暗淵の警視庁)

02/05 警視庁が、羅卒を巡査の呼称に改める。

02/06 参議大久保利通・同大隈重信提案により、琉球島民殺害の罪を問う名目で台湾征討が閣議決定される。

02/23 江藤、5人の部下と共に佐賀を脱走。その足で薩摩の西郷に決起を乞うたが拒絶され四国へ逃亡。生野の変での沢卿の醜態を再演。

04/13 江藤斬首。

四月 高杉晋作の恋人おうの、坂本龍馬の妻お龍、曖昧屋の女将として売春婦狩りに掛かる。(警視庁草紙・人も獣も天地の虫)

夏 教部省権大史・奥戸外記、小松川癲狂院の門前で自決死体となって発見される。この騒ぎの最中、一人の患者が行方をくらます。(警視庁草紙・幻燈大名小路)

07/09 岩倉卿襲撃犯処刑。

夏 ご隠居、元八丁堀同心樋口為之助に就職の世話を頼まれ元名主の夏目小兵衛を紹介する。夏目の息子金之助と樋口の娘なつとが出会う。(警視庁草紙・幻燈大名小路)

十月末 軍人志望の南部人東条英教、女郎小浪を巡って肥後浪人桜井直成と神田あかね橋で果たし合いを約す。東条が介添えに警視庁の巡査を頼んだため未遂。(警視庁草紙・開化写真鬼図)

11月 新島襄帰国。(地の果ての獄)

八年

02/06 森有礼と広瀬阿常が福澤諭吉を証人として「契約結婚」する。

二月半ば 榊原鍵吉、警視庁からの招請を断り、撃剣会を催す。(警視庁草紙・残月剣士伝)

03/25 榊原鍵吉、上田馬之助との兜割試合に勝利する。(警視庁草紙・残月剣士伝)

晩春 大蔵太輔井上馨の用人・岡田平蔵、銀座煉瓦街で死体となって発見される。(警視庁草紙・幻燈煉瓦街)

その一月後、同じ場所で十八人の死体。いずれも井上の配下。三日後、井上、警視庁へ乗り込む。彼の通報により菊池剛蔵巡査、容疑者として逮捕。

初夏 山田浅右衛門、川路大警視に山景の存続を嘆願。(警視庁草紙・最後の牢奉行)

07/13 広沢参議暗殺事件について取調を受けていた妾おかね放免される。

秋 おかねは元会津藩士千馬武雄に嫁ぐ。千馬は暗殺犯の一味に殺される。(警視庁草紙・痴女の用心棒)

秋 元会津藩士・佐川官兵衛、上京し警視庁から招請を受ける。佐川はこれを受けるが、同行した永岡敬次郎はこれを不服として袂を分かつ。(警視庁草紙・痴女の用心棒)

秋 川路大警視、黒田清隆の殺人に関する脅迫を受け、上司大久保内務卿に相談を持ちかける。五人の密偵上方へ向かって出発。(警視庁草紙・春愁 雁の行方)

冬 伝馬町で大火発生。牢奉行・石出帯刀、独断で切り放しの下知を行い、責任を負って割腹。 (警視庁草紙・最後の牢奉行)

九年

01/27 警視庁が売淫罰則7条を定め、私娼の営業を取り締まる。

03/06 大使黒田清隆、副使井上馨、朝鮮より帰国。

3月上旬 玉木真人、密使として上京。実兄乃木希典少佐に救われる。(警視庁草紙・春愁雁の行方)

03/28 廃刀令

06/25 山形陸軍卿、渡米する井上を見送った後、陸軍がからくり儀右衛門に依頼した熱気球の実験を視察する。(警視庁草紙・東京神風連)

09/29 橋お伝逮捕。(警視庁草紙・妖恋橋お伝)

10/24 熊本で神風連の乱起こる。(警視庁草紙・東京神風連)

10/27 福岡県士族宮崎車之助らが秋月で挙兵するが、小倉鎮台兵により鎮圧される(秋月の乱)。(警視庁草紙・東京神風連)

10/28 もと参議の前原一誠ら山口県萩の士族が挙兵する(萩の乱)。政府は広島鎮台兵を中心に大阪鎮台兵・軍艦などを動員して鎮圧する。(警視庁草紙・東京神風連)

10/29 思案橋事件で永岡他12名捕縛。(警視庁草紙・東京神風連)

11月 神奈川県令野村靖、兄弟子前原一誠より師吉田松陰の遺書を入手。後に彼の手によって世に公表される。(警視庁草紙・吉五郎流恨録)

11/25 福澤諭吉の『学問ノスゝメ』17編が出版される。

11/29 長州出身の政商山城屋和助、陸軍省に出頭し切腹。(警視庁草紙・吉五郎流恨録)

12/01 思案橋事件で掴まった会津藩士の子弟、柴五郎の引率で佗助村へ到着。(警視庁草紙・皇女の駅馬車)

12/03 兵四郎とかん八、熊坂長庵(南部の秀)と再会。偽金作りの計画を聞く。(警視庁草紙・皇女の駅馬車)

12/05 天皇侍従山岡鉄舟、昭徳院殿(十四代将軍家定)の木像を京都から東京へ運ぶ仕事をご隠居に相談。ご隠居、兵四郎を推挙。(警視庁草紙・皇女の駅馬車)

12/18 静寛院宮御用の馬車、昭徳院殿の木像を積んで御所を出立。(警視庁草紙・皇女の駅馬車)

12/23 昭徳院殿の木像、静寛院宮邸に到着。(警視庁草紙・川路大警視)

12/25 川路、鹿児島へ西郷の刺客を送り出す。元お庭番針買将馬、これを盗聴しご隠居に報告。(警視庁草紙・川路大警視)

十年

01/30 西郷隆盛が設立した私学校の生徒が、政府側の陸軍火薬庫を襲撃して兵器弾薬を奪う(西南戦争の発端)。

02/15 西郷隆盛が政府に問うところありとして、1万3000の兵を率い鹿児島を出発する。

02/07 駒井隅老斎、川路と二度目の対面。川路のやり口を痛罵するが…。(警視庁草紙・川路大警視)

02/25 警視庁抜刀隊、東京を出立。兵四郎これに加わる。(警視庁草紙・川路大警視)

03/15 田原坂の激戦。干潟干兵衛の奮戦ぶり、犬養毅記者により「郵便報知に」書かれる。彼の息子蔵太郎、父に自分の娘の存在と母の死因について漏らして戦死。(幻燈辻馬車)

05/26 木戸孝允(内閣顧問)没。45歳(誕生:天保4(1833)/06/26)。最後の言葉として「西郷、もういい加減でやめたらどうだ」という意味のことを叫んだと伝えられる。

09/02 静寛院宮、療養先で死亡。(人間臨終図鑑)

09/24 西郷隆盛が自刃する。51歳(誕生:文政10(1827)/12/07)。西南の役が終結する。

秋 十字屋、横浜から東京銀座三丁目へ移転。同時に「出獄人保護所」の看板を掲げる。(明治十手架)

 贋札、関西を中心に出回り始める。(警視庁草紙・妖恋橋お伝)

十一年

03/11 錦織剛清、上京。主君・相馬誠胤との拝謁を求め、家令・志賀三左衛門にはねつけられる。(明治忠臣蔵)

03/28 黒田清隆夫人病没。(警視庁草紙・妖恋橋お伝)

04/13 「団々珍聞」が、開拓長官の黒田清隆が妻を斬殺したとの噂を風刺する。

四月半ば ぬらりひょんの安、十字屋の妹をからかった壮士から大久保内務卿に対する斬奸状の草稿を掏摸取る。(明治十手架)

05/14 大久保利通が、西郷心酔者の石川県士族島田一郎ら5人に白昼暗殺される。49歳(誕生:文政13(1830)/08/10)。(警視庁草紙・明治十手架)

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