比較歴史学 第五講 維新志士と革命闘士  

 某所における明治維新に関する議論から発想しました。

§1 乱世と平時

 維新志士については説明不要でしょうけど、革命闘士については戦後の左翼思想に基づくモノとご理解下さい。

 今回が類似点よりも相似点に着目したい。その決定的な違いは前者は成功者、後者は失敗者という点にある。実は戦後の革命闘士と比較するならば明治の自由党壮士を当てる方が適切なのかも知れない。と言うか、この対比については既に山田風太郎氏が明治モノの中で指摘している。

 維新志士と自由党壮士は維新の変革を挟んで世代間格差を孕む。これと同じ例として戦国武士と江戸初期の傾奇者がある。乱世のいわば開いた社会と平時の閉じた社会、それぞれで野心を持って生きた若者達であるが、革命闘士に対応する親世代に当たるのは大陸浪人辺りに成るだろうか。

 明治維新に関する論議の中で、維新志士に対比させる集団として何故革命闘士が連想されたのか、その時の議論のネタが”革命の理論”にまつわる話だったからだ。列記した不穏分子の中で維新志士と革命闘士だけが革命の理論に基づいて活動していたと考えられる。

§2 革命の理論武装

 私は維新志士を支える革命の理論として水戸学を提示したが、議論相手はこうした”革命の理論”を規定せず、維新は吉田松陰というカリスマ的人物の持つ過激思想による結果であると主張した。その後、松陰本人を突き動かした原動力は陽明学ではないかと考えるに至ったが、維新全体を主導したのが水戸学で有るという点については譲れない。

 対する革命闘士の理論とは言うまでもなく共産主義=マルクス思想である。水戸学と共産主義は共に当時の流行であったが、(流行に乗るのは短慮ではないかと言うのが議論者の主張。まあ理解は出来るけど所詮は後知恵。別の言い方をすれば上から目線ですね)水戸学は幕府公認の朱子学の流れを汲んでいて反体制思想と認識されていなかったのに対して、共産主義は明らかに弾圧されていた、と言うのが大きな違いであろう。

 この認識の違いは、水戸学が国内ローカルであったのに対して、共産主義は国際的な評価を受けていた点にあるのだろう。そしてこの認識の違いが結果の違いに結びついたとも考えられる。

§3 敗残者達

 維新を成し遂げた志士たちは、一部は明治の功臣として栄達を遂げ、一部はその後の政争に敗れて下野し反乱に走ったモノ、あるいは自由民権運動を主導したモノと別れる。水戸学の源流である朱子学には尊皇攘夷の思想があり、敗れていった者達はむしろ革命思想に忠実な原理主義者であったとも言える。朱子学の大本である儒教は保守思想で有ると同時に、放伐論という革命理論を内包しているだけに厄介である。放伐論は安直に振り回すと単なる自己中心主義に成りかねない。やはり民主制度と相容れない思想である。

 一方の共産主義。幸いにも我が国ではこうした思想が国の主流を占めたことはない。がしかし、東西冷戦構造の中にあって外部からの圧力で共産革命が起こる可能性は十分にあった。それを防いだのは日米安保なのだが、サヨク勢力はこれを認めずに平和憲法が日本の平和を守ったのだと信じて疑わない。まあ信じるのは勝手だが。

 共産主義は平等主義の極致であり、平等無くして民主制は成り立たないと言う主張もあるが、実際には共産主義はある種の選民思想を貼り付けていて民主制とは相容れない。むしろ自由の完成こそが民主制を補完出来る。日本の保守勢力が「自由」「民主」党の名で結集していたことはそれなりの意味があっただろう。今の自由が外れた民主党政権の迷走ぶりをみればそれも納得出来る。政界再編の果てに真の自由主義が復活する事を期待したい。

関連稿 平等思想の欠陥

戻る