比較歴史学 第四講 健児制と自衛隊  

§1 軍備撤廃

 いつの時代、どこの国でも、軍隊を廃止するというのは容易ではない。第一に軍隊の必要悪性、第二に軍隊の存在による様々な既得権益がある。

 いま現在平和だからと言って軍隊の必要性が無くなることはないし、軍隊によって生じる様々な雇用やインフラを維持する為の諸費用、そこから派生する経済効果は大きい。軍事技術の進歩が民間転用されて生み出される新たな社会発展というのもある。

 軍隊は国家における最大の暴力装置であり、これを廃止しようとすれば様々な軋轢が生じることは避けられない。しかしながら我が国は二度に渡ってこの軍隊の廃止を行った希有な国なのである。

§2 制度的検証

 一度目の軍事撤廃は桓武天皇の時代。その新都により平安時代と呼称される時代を創始した天皇であるが、血統的にも事実上の新王朝の始祖と言える。(この点はテーマから外れるので深入りしない)

 桓武天皇は正規軍を廃止し健児という小規模な自警軍に替えた。但し、桓武天皇は単純な平和愛好家ではなく、”辺要の地”はこの軍事撤廃の除外とされた。つまり外なる敵と接する西海道と内なる敵を臨む奥羽には軍団が残された。そして奥羽に住まう蝦夷征伐を敢行する為に征夷大将軍を任じている。正規軍の撤廃が東国に武士団の発生を促したことを併せると、桓武天皇は後の武家政権を生み出した大本っと言えそうである。

 健児制はそれまでの徴兵制を廃止し志願制を採用したと言える。それは二度目の軍隊廃止にも通じる。

 戦後のいわゆる平和憲法の元、旧日本軍は完全に消滅した。いや、それ以前の敗戦により日本軍は壊滅しており、その意味で軍隊廃止に対する抵抗はほとんど無かった。占領軍という外部の武力装置が存在したことも無論大きい。

 しかし、自前の軍隊を持たない限り国家は維持出来ない。朝鮮戦争の勃発により日本はなし崩し的に再軍備を余儀なくされたそして自衛隊という奇妙な軍隊が誕生した。

 世界史的に見た国民皆兵=徴兵制と傭兵=志願制の交代については別の場所でも少し触れたが、要するに軍事に専門性が要求されるようになると、社会的分業の一環として兵士も専業化=傭兵へと進む。更に武器の進歩により誰でも使えるようになると再び数が物を言う国民皆兵の時代へと還り、現代は再び量より質の時代へと移行している。よって現状では徴兵制の導入はナンセンスである。

§3 思想的検証

 問題はその名称である。

 健児という一見して軍隊とは思えないそのネーミングに桓武天皇(とその時代)の宗教観が垣間見える。桓武天皇の平安遷都も怨霊からの逃避であり、健児という言い換えにも言霊信仰が見て取れる。

 これとほぼ同様なのが九条信仰であろう。桓武天皇は少なくとも必要最低限の軍団は残したし、軍備放棄・経済再建優先を決断した吉田茂も軍隊の存在を否定する憲法がまさか六十年以上も生き続けるとは思っていなかっただろう。

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