東西文明比較4 文明の外縁 日本とドイツ

 共に古代帝国の領域外にあり、その支配を受けなかった。長女(=第一組)とは特に仲が悪く、支配下に置いた経験を持つ。そして現代に有っても各文化圏で最大の経済大国である。

1 防壁と民族的性格

 ドイツローマの間にはライン川があり、日本と大陸の間には日本海が有った。

 ドイツがローマ化されなかったのは、占領に掛かる費用と防衛にかかる費用との兼ね合いに過ぎない。だが、ライン川の向こうはゲルマン人の生活を支えるには十分ではなく、彼らは徐々に帝国領内へと移動して帝国の防衛任務に従事した。かれら異民族傭兵が最後にはローマ帝国を崩壊へと導くのである。

 対して日本列島は温暖湿潤な気候に恵まれ、人口はむしろ流入傾向にあった。そしてこれら渡来人によって大陸文化が断続的にもたらされてきた。列島の人口が超過に転じたのは恐らく戦国末頃であり、その時期に人口が流出に転じるのだが、その後に政権を執った徳川家は「鎖国」政策を選択し、人口の動きを止めてしまった。(「鎖国」政策は元々人口移動を禁じたモノに過ぎず、貿易の禁止ではなかった)

2 日本の取捨選択

 日本にとっての最初の異文化接触は仏教伝来であったが、これは中華起源の文明ではない。これを生み出したインド文明については別に考察する必要があるだろう。

 朝鮮は中華文明の変質に追従してそのたびに総入替しているが、日本は今あるモノを基底として変更できる部分だけを取り入れている。だから半島には古い文化が残っていないのに対して、日本には本家=中国ですら廃れた古いモノが残っていたりする。言ってみれば、朝鮮文化はフルモデルチェンジで、日本文化はバージョンアップである。両者の是非は敢えて問わない。

3 ドイツの”抗議(プロテスト)”

 日本の場合には海を隔てて文明との距離感が保たれていたが、ドイツ=ゲルマン人の場合には文明化はローマ化ではなくキリスト教への改宗という形で行われた。

 ドイツの場合、ローマ化された経験が無いだけに逆に憧憬の念が強いらしい。だからドイツ人の王国なのに”神聖ローマ帝国”などと名乗ってしまう。フランスドイツイタリアの関係はジャンケンの様である。フランスは「戦争の仕方を知らない」イタリアをうち負かす。ドイツはその圧倒的な体格でフランスをねじ伏せる。だが、「政治に長けた」イタリアドイツを手玉に取ってしまう。

(”イタリア人”マキャベリとフランス人枢機卿の会話より。

 「イタリア人は戦争のしかたを知らぬ」と言われたマキャベリは「フランス人は、政治のしかたを知りません」と切り返したと言う。

塩野七生著「わが友マキアヴェッリ」265Pより)

 だがドイツ人は宗教改革を唱えて独自路線へ踏みだした。ドイツ領邦が新教で統一されていれば良かったのだが、宗教対立はドイツの統一を妨げる内戦(=30年戦争)を引き起こす。

 その一方で、勤勉さを重んじる「プロテスタンティズムの倫理」は「資本主義の精神」を生み出すことになる。カトリシズムは労働を原罪に基づくモノとして嫌悪していたが、ルターは天職の概念を打ち出してドイツ人たちに広く受容れられた。

4 後発の強み

 長く国を閉ざしていた日本と、統一が遅れていたドイツはほぼ同時期に一周遅れで列強への仲間入りを果たした。

 両国の成功はまさしく後発の強みであった。

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