男と女の差異論

§3 経済学的考察

 経済的考察とは具体的には売春を指すのであるが、更に婚姻は売春の一種であるのか否かについて検証したい。これは金完燮氏の著作「娼婦論」への異見でもある。

3−1 結婚という名の契約売春

 婚姻制度は男にだけ有利か?

 これは私が昔から抱いていた疑問である。婚姻とは父系社会の都合で生まれた制度であって、男の立場から見れば(言葉は悪いが)子孫を残すための畑を確保する事である。だから女性の不貞が悪として厳しく糾弾される訳である。

 これを裏返して母系社会から見れば、子種を選ぶ自由を放棄する代わりに男の持つ財産や権力を自分の子供に受け継がせる事が出来る。よって女としてはなるべく力のある有る男に子供を認知させたい訳である。

 こうした男と女の駆け引きが”恋愛”という飾った表現で語られる訳である。

 これに対して売春とは、一般には短時間の契約で顧客(通常は男)の性欲を満足させ、売り手(となる女)は幾ばくかの金銭を代償として得る行為である。これの契約がやや長期間に及ぶと妾と呼ばれ、公法に認定されるモノが婚姻と規定出来る。「娼婦論」におけるこうした定義付けは一応納得出来るのだが、前の二つと婚姻とでは決定的に異なる点がある。それは後者には子供を産み育てると言う前提条件が含まれることである。韓国では結婚によって子供が出来ると言う事実をどのように理解してるのであろうか。

 さて再度冒頭の問いに戻る。婚姻によって女性は自分の子を育てると言う女性ならではの仕事を手にするのではないか。これは男が外で日々の糧を得るために戦うのと少しも劣らない真にやり甲斐のある天職だと思う。

 男が強い社会では男の持つ力をどのように子供に配分するかは男任せであったから、女は男の気に入るように子供を育てる必要があった。だが一夫一婦制が浸透してくると、男の遺産は全て自分の子に次がせることが出来る。これは女性にとって最大の利得ではないだろうか。

3−2 二番目に古い(かもしれない)女性の職業

 かつて男女間の役割分担は厳格で、特に上中流階級の女性は経済活動からは切り離された存在であった。共働きと言うのは下層階級の証である。中下層階級の女性にとっては奥様と呼ばれることは成功の証であっただろう。

 女性が誰の力も借りずに生きていこうとするならば選べる職業は売春(婚姻も男の生産に寄りかかるという点ではさほど違いがないと言うのは前項でも解る)しか無かった時代が長く続く。しかしイギリスではヴィクトリア朝において、レディがその体面を保ちつつ就ける職業として家庭教師=ガヴァネスが浮上してきた。これは求人=需要と求職=供給とが共に増大した結果である。

 需要の方は産業革命による経済発達によって中産階級が拡大したことによる。彼女たちが完全なレディへと変貌する家庭で女性が家庭ですべき仕事を雇い人によって肩代わりしていくのだが、その一環として娘達の教育を代行するガヴァネスを必要とした。

 一方の供給であるが、一言で言えば結婚適齢期の女性の余剰に行き着く。ひとつには女性が男性より死ににくいと言うこと、次いで男性が一攫千金を目指して植民地へ向かった結果必然的に女性が余ってしまうと言うこと、そして上中流階級の男性の晩婚化がこれに拍車を掛ける。

 最初と最後は医療の発達によりどの社会でも起こりうる事であるから、にヴィクトリ朝時代に特有の原因というと真ん中の移住問題であろう。これは裏返すと植民地における嫁不足という現象が容易に想像出来る。これも現代日本における「農家の嫁不足」に比定することが出来るかも知れない。

 とにかく、結婚によって父から夫への扶養者交替が起こらないと言うのが根幹である。そしてヨーロッパにおけるこうした問題を解決したのは奇妙なことに戦争であった。つまり男性が戦場へ行って居る間に女性がその穴埋めとして様々な職業に就いた。これが女性の社会進出、ひいては女権拡大運動のきっかけとなった。

余談 1 日本の場合

 日本は女家庭教師の歴史では先進国かも知れない。我が国が誇る世界最古の女性文学の担い手達はこの女家庭教師達なのであるから。

余談 2 二つの仕事の比較

 参考文献における女家庭教師の雇用条件に「容姿端麗でないモノ」とある。これをもう一つの職業と比較してみると…。しかしどちらも成功するためには機知は必要ではないかと思う。

余談 3 女神三態

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