世界史の誕生
この稿は表題と同名の参考文献(岡田英弘著 ちくま文庫)に刺激を受けて書いた物である。きっかけはいつそんな物である。内容を一言で纏めると、「世界史はモンゴルの発展と共に成立した」と言う事になる。
まず大前提として世界史という学問がまだ熟していないと言う事である。これまで言われてきた”世界史”とは中国史を中心とする東洋史とギリシア・ローマから始まるヨーロッパ史とを無理矢理つなぎ合わせた物であった。どちらも地域性の強い史観に基づいて構築されているため非常に相性が悪い。そう言った据わりの悪い世界史をモンゴルの発展を起点として構築しようと言うのが同書の趣旨である(と私は理解した)。
中国史というのは正統性に基づいた王朝の通史(複数の王朝の歴史を通して描いた物)・断代史(単独の王朝の歴史を描いた物)であった。それに対し西洋史は常に東方からの圧力を受け続けてきた後進地域ヨーロッパ(ギリシア時代のペルシア帝国、中世キリスト教社会に対するイスラーム勢力)がアジアとの抗争の末にこれをうち負かしていくというストーリーである。
どちらもきわめて地域性が高く、外部地域に援用するには多少の細工が必要となる。それに対しモンゴルの勃興以前には世界を統一的に見る世界通史は存在し得ず、その勃興の後はモンゴルの動きを軸にして展開していくと言う点を説明している。
モンゴル以前に世界史的な流れが全く無かったという点についてはひとまず置く。しかしモンゴル以後の世界がモンゴルの動向を抜きにして語る事が出来ないと言う点については異存はない。
最大の世界帝国であったモンゴルがあれほどの広大な領域を支配出来たのは、それが大陸型国家であった所為である。しかし大陸型国家であったが故の限界もあった。ユーラシア大陸に置いてモンゴルの支配を受けずに残った地域がモンゴルに代わる新たな覇権国家として登場してくる。ヨーロッパとその後裔である米国、そして我が日本である。これらはいずれも海洋型国家であった。この辺から地政学的な分野へと話が進む。(実はこの稿を書くに至った最大の原因はこの点にある。関連稿・魔法世界の地政学(魔法世界の戦争論第4章)の主テーマが、まさにこの大陸国家と海洋国家の対立構造についてなのである)
モンゴル帝国は滅びたが、現在その後継国家が二つ存在する。一つはロシア、もう一つが中国である。どちらも大陸型国家であり、たまたま社会主義経済を経験している。これに対抗する西側諸国・欧米日は海洋型国家であり自由主義経済を選択した。これは偶然ではない。陸上輸送は海上輸送よりコストがかかりその効率は遠距離ほど悪い。そのため、大陸型国家は生存権を設けて自給自足経済を指向する。これに対して海洋型国家は交易による利益を追い求める傾向が強い。航海術の進歩により大陸の辺境であった海洋型国家は大陸型国家を経済的に追い抜く事になった。冷戦の収束は社会主義経済が自由主義経済に負けたというより、大陸型国家が海洋型国家に負けたというのが正しい。
さて順番が逆になったが、モンゴル以前の歴史展開について検証してみよう。モンゴルの誕生以前にはモンゴルは世界史に対して何ら力を持っていなかった。だがモンゴル的な要素が世界史を動かす要因であったと言える。つまり世界史以前の歴史は遊牧民と農耕民の鬩ぎ合いで動いてきたと言う事である。その意味で遊牧民を統合するモンゴルの誕生は歴史の必然であったと言えよう。むしろモンゴルが全ユーラシアをすべて飲み込んでしまわなかった事が不思議なくらいである。西方にヨーロッパが、そして海の彼方に日本列島がモンゴル化せずに生き残る事になった。
モンゴル以前と以後で対立軸が変化しているのが解る。すなわち遊牧民社会対農耕民社会から、大陸型国家群対海洋型国家群である。モンゴルが世界史を作ったというテーゼは正しいと言って良い。
さて、前回の稿と果たして矛盾が出ていないであろうか。ひょっとすると訂正改稿が必要に成るかも知れないが。何せ一年以上前に書いた物だから。