テーマ18 サムライウエスタン
さて今回は二回続けての朝松健。素材は「旋風伝 レラ=シウ」です。
全三巻の文庫版を中抜け、つまり一と三を古本屋で入手して、そのまま積読状態だったのですがふとテーマを思いついて、ネット購入しました。
刀対銃
西部劇と時代劇の親和性というのは兼ねてから言われることだが、それを初めて意識したのは映画「レッド・サン」だったと思う。これは西部劇の世界に侍を投入する形なのでここで扱うテーマからは外れるのだが、居合い対早抜きの戦いが印象的だった。(確か紙一重で居合いが負けていた気がする)
武器としての日本刀と拳銃の対決は某バラエティ番組の企画でやっていたが、刀で拳銃の弾を切ることは可能という結論だった。但し跳んでくる弾丸に刃を当てられるかと言う話は別。映像を見た限り、横へなぎ払ったのでは、切断した弾が剣士の体に当たるだろうな、と思った。ヤルなら上段に構えて兜割りの要領で対処するべきだろう。よって斬るよりは弾くのが正しい対処かも知れない。
剣と銃の格好の良い戦いを再現したRPGは未だ見たことがないが、ファンタジーモノでは剣士と魔法使いの戦いに置き換えると良いのかも知れない。
開国と開拓
西部劇の時代は日本で言えば幕末から明治に掛けてなので、実際の西部劇にサムライを登場させることは決して無理ではない。そうした展開の話も別の主題の場所で既に紹介済みである。今回の素材は舞台を北海道に置くことで西部劇のイメージを国内で再現している。このアイディア自体は山田風太郎「地の果ての獄」と言う先行作品があるのだが、作者お得意のオカルト要素を持ち込んだところが斬新である。
前回も触れたが、オカルト的ホラー小説は勧善懲悪に落としやすく、それ故に西部劇とも相性がよい。かつての西部劇は先住民が倒されるべき悪という単純な構造であったが、これを逆転させて先住民(この場合はアイヌ)を善玉としている点に工夫が見られる。そこには(良くも悪くも)北海道生まれの作者の屈折も垣間見える。
人種対立
アイヌと日本人とでは人種的な差異はさほど大きくない。少なくとも西部開拓時代の先住民と移民との間ほどには。違うのは文化、生活基盤である。
アイヌとは現地語で”人間”を意味するらしいが、ある言語における民族の自称が人間を意味するケースは珍しくない。そもそも自称とは、他者を自覚した時に初めて生じる概念なので、外部と隔離した社会ではありがちである。これを遅れていると解するのは西洋的な進歩史観であろう。
作中で人間にアイヌとルビを振っている為にアイヌでないモノがすなわち人間でないモノという印象を与えかねない。オカルト的ホラーで有る為に敵役が非人間的な存在として描かれていることが更にそれを助長する。
特にファンタジーモノのRPGではこの手の人種対立が描かれていない、と言いたいが、プレイヤーが選べない種族が特に悪とされている点がやはり気に掛かる。その辺は別稿にて。
対照作品
既に名前が出ているけどやはり「地の果ての獄」と比較したい。作者の資質に起因するのだろうけど、山風作品は単純な勧善懲悪に落ちない。と言うより戦争による価値観の大転換を体験している為に絶対の正義と悪という概念を持ち得ないのだろうけど。
無論これは優劣ではなく趣味の問題。最後に悪が滅びるのが呆気ないと思うか、自業自得とカタルシスを感じるか。