中世篇

 

前の時代から

南北朝時代

 ヒを司る日野家も分裂抗争に至り、ヒの司は山科家へ移管される。

永享二(1430)年

 鬼道地獄祭。(「妖星伝」)

永享四(1432)年

 上杉憲実、鎌倉建長寺より快元を招いて足利学校を再建。(小野篁創設説を一笑に付しつつ創建説を採用「妖星伝」))

天文九(1540)年

 鬼道地獄祭。(「妖星伝」)

永禄十(1587)年

 松永久秀、東大寺の大仏を焼く。

永禄十一(1568)年

 山科言継、ヒ一族に勅命を下す。(「産霊山秘録」)

 足利義昭が越前朝倉家から織田信長の元へ移る。

九月 信長、義昭を奉じて上洛し、畿内を平らげる。

元亀二(1571)年

九月 信長比叡山を攻撃する。

 信玄西上。信玄、ヒの念攻撃を受けて発病。(「産霊山秘録」)

元亀四(1573)年・天正元年

閏五月 山例五十三条(の元となる家康の書状)。猿渡一族に黄金奉行の任が与えられる。(「黄金奉行」)

天正六(1578)年

 謙信急死。ヒの一族による念攻撃。(「産霊山秘録」)

天正十(1582)年

六月 信長、光秀軍の用いて御所の攻撃を計画。光秀これを察知して、本能寺に信長を討つ。(「産霊山秘録」)

天正十三(1585)年

十一月 飛騨帰雲城、山津波で地中に没す。

慶長五(1600)年

五月 直江状。徳川の天下を望まない橘次家の肩入れがその背景にあった。(「黄金奉行」)

八月 秀忠、黄金城より金塊を運び出す。ために関ヶ原の戦いに間に合わず。(「妖星伝」)

九月 関ヶ原の合戦。ヒの一族、家康を勝たせるために関ヶ原に呪法陣を仕掛ける。(「産霊山秘録」)

慶長十三(1608)年

 土井大炊頭の下屋敷工事中に金銀が出土。隣接する織田家菩提寺高林寺にまつわるものであったが、当時の黄金奉行によって穏便に処理された。(「黄金奉行」)

慶長十五(1610)年

 関ヶ原浪人鈴波友右衛門、名古屋山三郎の遺児三四郎を会津へ送る役目を受ける。(「黄金の血脈」)

閏二月 堀忠俊改易。その領地は家康の六男松平忠輝に与えられる。

十月 本多忠勝死去。真田親子赦免の可能性がなくなり、昌幸と幸村の方針の違いがあらわになる。昌幸の容態が悪化して、真田の忍びの活動が休止。(「黄金の血脈」)

慶長十六(1611)年

三月 加藤清正死去。

六月 真田昌幸死去。

十月 三陸沖の地震により陸奥で大津波が発生。(長安この大災害を予言する。@「黄金の血脈」)

慶長十八(1613)年

四月 大久保長安、卒中で死去。(明記はされていないが、橘次家(@「黄金奉行」)辺りが関与した可能性アリ)

九月 伊達政宗、遣欧使節を派遣する。(南蛮と結んだ徳川包囲網の一環であったが、時既に遅し。@「慶長太平記」、支倉によって芯の山の情報が海外に漏らされる。@「産霊山秘録」)

元和二(1616)年

四月 家康死去。

元和八(1622)年

 天海、上野を賜る。

寛永二(1625)年

 東叡山寛永寺創設。

寛永二〇(1641)年

 天海死去。

次の時代へ

半村偽史へ戻る