近世篇
慶安三(1650)年
鬼道地獄祭。(「妖星伝」)
貞享元(1684)年
紀州徳川光貞の四男、後の吉宗誕生。母は紀州に居た鬼道衆であった。(「妖星伝」)
元禄十一(1698)年
四月 紀州徳川光貞隠居。長男綱教が家督を継ぐ。
六月 内藤新宿開設。内藤家下屋敷の内部に奇妙な武家屋敷について噂が広まる。(「黄金奉行」)
元禄十七(1704)年・宝永元年
三月 宝永改元。
五月 紀州綱教の正妻鶴姫(将軍綱吉の娘)死去。(綱教の婿養子将軍の目が無くなる)
十二月 甲府綱豊、将軍継嗣として江戸城西の丸入り。家宣と改名する。
宝永二(1705)年
五月 紀州綱教死去。弟頼職が家督を継ぐ。(将軍継承の目が無くなった為紀州鬼道衆に消された。@「妖星伝」)
八月 紀州隠居光貞死去。頼職、紀州へ駆けつけるが無理がたたって病床に伏す。(紀州鬼道衆の暗躍の可能性大@「妖星伝」)
十月 紀州頼職死去。末弟頼方が家督を継ぐ。将軍・綱吉から偏諱を賜り、吉宗と改名する。
正徳三年
七月 尾張徳川家吉通死去。家督は嫡男五郎太が継ぐ。(紀州鬼道衆による謀殺「妖星伝」)
十月 尾張徳川五郎太が夭逝。家督は叔父継友が継ぐ。(紀州鬼道衆による謀殺「妖星伝」)
正徳四(1714)年
三月 江島事件。
正徳六(1716)年
四月 将軍家継死去。(紀州鬼道衆による謀殺「妖星伝」)
五月 紀州吉宗将軍を継承。(紀州鬼道衆江戸入り)
六月 享保改元。
享保二(1717)年
二月 大岡忠相、江戸南町奉行に就任。越前守に任官。
享保三(1718)年
十月 内藤新宿、享保の改革の風紀取締により廃止。
元文五(1740)年
九月 青木昆陽、幕命で甲斐信濃の古文書を探訪。鬼道衆の隠れ里を探る目的。(「妖星伝」)
十一月 吉宗三男徳川宗尹、一橋門内に邸を賜る。
元文六(1741)年・寛保元年
二月 寛保改元。
四月 江島、配流地の高遠で死去。
延享二(1745)年
九月 吉宗、将軍職を辞す。
十一月 吉宗長子家重、将軍職を継承。
永享三(1746)年
九月 田安宗武・一橋宗尹、各々十万石に加増。
延享四(1747)年
二月 日本左衛門こと浜島庄兵衛捕縛。庄兵衛、手下の左衛門を身代りに出頭させる。(「妖星伝」)
延享五(1748)年・寛延元年
七月 寛延改元。
閏十月 田沼意次、小姓組番頭となる。
寛延三(1751)年・宝暦元年
四月 越後高田地震。補陀洛人の円盤による攻撃。(「妖星伝」)
十月 宝暦改元。
十一月 大岡越前守忠相、寺社奉行を病免。鬼道衆に軽い毒を盛られた。(「妖星伝」)
十二月 大岡忠助死去。
宝暦五(1755)年
九月 足利学校、落雷により焼失。足利学校にある降魔録を巡る鬼道衆の戦い。外道皇帝の命により東西和解が成立。(「妖星伝」)
宝暦八(1758)年
二月 郡上一揆。一揆侍栗山定十郎、鬼道衆と共闘して成功に導く。(「妖星伝」)
九月 田沼、5千石を加増され大名に列する。
宝暦十(1760)年
最後の鬼道地獄祭。鬼道衆、黄金城へ至る。(「妖星伝」)
宝暦十一(1761)年
二月 上田騒動。鬼道衆の生き残りお幾と一揆侍栗山が関与。(「妖星伝」)
明和四(1767)年
八月 明和事件。山形大弐他流罪となる。織田信邦、これに連座して蟄居。弟信浮が家督を相続して上州小幡から出羽高畠に懲罰的移封。
明和九(1772)年
四月 内藤新宿再開。
寛政四(1792)年
竹口英斎著「神統拾遺」(「産霊山秘録」中では「陵墓誌」から遡ること五年となっているが)
寛政六(1794)年
竹口英斎著「陵墓誌」
文政十一(1828)年
五月 織田信美、陣屋を高畠から天童へ移す許可を得る。(天保元年に移動)
天保三(1832)年
八月 鼠小僧処刑される。(処刑されたのは偽物。お美代の方の昔の情夫だった次郎吉を始末するための濡れ衣。@「産霊山秘録」)
天保八年
二月 大坂町奉行与力大塩平八郎挙兵。(水野越前守一派に追い込まれた。@「産霊山秘録」)
天保十年
十二月 老中首座松平和泉守病死。水野越前守その後釜に座る。(和泉守の死は密かに進められた毒殺か@「産霊山秘録」)
天保十一(1840)年
黄金奉行猿渡佐渡守、不入の地への移動を宣言して職を辞す。(「黄金奉行」)
次の時代へ