占星術の理論

§0 占星術の起源

 そもそも占星術というのは古代バビロニアの科学であった。ヨーロッパの伝統文化の中では「カルディア人の科学」と呼ばれている。カルディア人というのはバビロニアの中で特に占星術に長じた人々を指すらしい。その創成期においては天文学と占星術は不可分のモノであった。それが区分して認識されるのはずっと後の古典古代(いわゆるギリシア・ローマ)時代であった。

§1 占星術の実際

 実際の占星術がどのようなモノであったかを細かく書き連ねても仕方がない。占星術は当たるのか、魔法世界であるならば占星術が存在する限りは当たらなければ意味がないであろう。では何故当たるのか、魔法世界の理論に従うなら、人々が当たると信じるからであると言うことになる。魔法が存在するのと同じように、占星術の細密な理論が社会的に認知されるにしたがって、人々を心理的に支配してしまうのである。

 これは現代に残る占星術の実際に近い物がある。占星術に限らないが、占いを信じる人は占いの結果を実際に起こったことと比較して都合良く解釈してしまう傾向がある。また、当たったことだけを記憶に留め、外れたことは忘れてしまうと言うのも主観的な的中率を高めている。

 また、生まれ月によって占う方式は有る程度の統計的な意味がある。生まれた月の気象環境はその後の成長に多少なりと影響を及ぼすと思われる。少なくとも、血液型占いよりは蓋然性が高いであろう。

§2 天変占星術と宿命占星術*1

 天変占星術とは天下国家を占うモノ、宿命占星術と個人の運勢を占うモノである。

 日食や彗星などと言った天変現象はその意味を知らない人々に影響を与えずには置かない。そして、この手の現象は天文学の蓄積によって正確に予知出来る。これが天変占星術の根幹である。これは原始呪術の中でも集団的な儀礼呪術の範疇である。そして個人呪術に該当する占星術が宿命占星術と言うことになる。この段階に進むと、個々の運命の違いを説明するために細密な計算が必要となる。こうして生まれて時の各惑星の位置を示すホロスコープが考案された。

*1 この名称は中山茂氏の著作から取っている。

2−1 天変占星術

 「天文」学というと現在では占星術とは切り離された高尚な学問の一分野と捕らえられるが、天文という言葉の元々の意味は此処で述べる「天変占星術」のことを意味するである。古代中国では天変地異という四字熟語で天上と地上の異変を結びつけて語られている。いずれにしても、天変占星術は経験主義的な要素が強い。

 天変占星術は天上における異常現象を扱うモノであり、天文学は天上の現象に規則性を探し求める学問である。よって経験の蓄積によって規則性が見いだせたなら天変はただの現象になる。こうして計算精度の上昇と共に天変占星術は天文学に席を明け渡すことになる。

 占星術の発祥は最初に述べた様に古代バビロニアつまりメソポタミア文明である。最古のエジプト文明では占星術だけは存在しない。これはエジプトでは毎年定期的に起こるナイルの氾濫時期のみが問題視された所為であろう。よってかの地の暦法は一年周期の太陽暦である。

 これに対してバビロニアでは初め月に由来する太陰暦を用いたが、これは季節がずれて来るという難点がある。そこで後に太陽と月を関連づけた太陰太陽暦が考案されている。これは満月あるいは新月が19年毎におなじ日に現れると言うメトン周期を利用したモノである。つまり19年が235ヶ月となる事を利用して19年のうち7年を13ヶ月、残りを12ヶ月とした。

 中国黄河文明においてはバビロニアとは別個に占星術が誕生したらしい。天変占星術はそもそも専制君主達の秘伝であり、伝播性が低いと考えられる。無論このような閉鎖性が崩れた後に互いに影響し合うと言うことは有ったかも知れない。

2−2 宿命占星術

 「占星術は天文学の愚かな娘であるが、その娘の娼婦稼業で親の天文学は養われている」

ケプラー

 此処で言われる占星術は宿命占星術を指す。天文学から宿命占星術が生まれたのであって、その逆ではない。天文学は基礎であり天変占星術はその応用である。応用科学から基礎科学が生まれる例はあるが、宿命占星術の経験から帰納してその背後にある天文学的な原理に達成することはあり得ない。ま天変占星術と違って宿命占星術は経験科学では無いからである。

 しかし、占星術を正確に実施するためには天文学がしっかりしていなければ成らない。だから占星術が天文学の発展を促した可能性はある。その意味でケプラーの言葉には非常な含蓄がある。

 以後の稿では断り無く占星術と呼ぶときはこの宿命占星術を指すと考えて下さい。

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