忍法系譜 その拾肆 服部党・傍系

その壱 外科的忍法の歴史

 服部党における外科的忍法の萌芽は鍋掛善九郎*1に認められる。彼の「接木肉づき」はよく似た器官を交換するモノで、自身の魔羅を主君結城秀康の鼻へと移植した。秀康はまた甲賀の刺青銅八*2から謀反気調伏の呪いと称して”浮き彫り”を施されている。

 その後外科的忍法は「万華の術」から「とりかえばや」へと発展する。前者は折着甲閑先生*3の、後者は朝国甲太夫*4の考案であるが、両者を比較してその発展順序を「万華の術」→「とりかえばや」と推定した。具体的な年代についてはそれ以外の要素も合わせて考慮した。

 伊賀一雲軒の三姉妹*5は「肉蝋燭」と呼ばれる能力で田沼山城守の指を治している。彼女たちは平賀源内の無責任な思いつきで、「肉だわら」と呼ばれる肉を生み出す能力を持つ甲賀の兄弟との縁組みを強要される。他者に影響を与えない甲賀よりも、治療術として使える伊賀の方が使えると思うのはやっぱり無責任か。

 天明期の御納戸方同心梟無左衛門*6が服部水翁より相伝されたと言う「袋返し」は一種の整形手術であった。これは胎児を引っ張り出して施す(この手法については別稿で改めて取り上げたい)モノだが、生まれてすぐに整った理想的な顔立ちをしている赤ん坊がいたら却って不気味な気がする。

その弐 浮寝鳥

 水面に立つと言う術で使用頻度が高いので一項を設けて分析する。

 最初の使用例は石川五右衛門*7こと甲賀丹波であったが、元禄期には伊賀の無明綱太郎*8が使っている。公儀服部組を介して相互伝承されたのであろう。

 この時に能登のくノ一が同じモノを「浮舟の法」と呼んだが、これは体重を消す効果を持つらしい。この時くノ一が身分を偽る際に「甲賀の卍谷と申す谷の〜」と口走っているが、これは能登と甲賀の繋がりを示す傍証として注目される。(これについては謎解録にて詳述

 本家の甲賀では更に発展しており、享保期、尾張家御土居下組車魚眼家*9に伝わる秘伝として陰陽の二術が伝承されている。養子兵五郎が相伝された”陽”の浮寝鳥はぬれた壁面を水面と見なして水平に立ち、更に魚眼の実娘おしのが受け継いだ”陰”の浮寝鳥に至っては水面の下に立つと言う驚くべきモノになる。

 藤堂家の無足人阿波隼人*10がやはり水面を走っているが、これは頭領の服部蛇丸より伝授されたモノで、もはや伊賀でも必修の技に成っている。

その参 通信媒体

 髪の毛を用いる有線通信手段*11*12は比較的分りやすいだろう。箒天四郎と塵ノ辻空也*13が行っていた「帚木」になると、伊賀に伝わる特殊な発声法で対象の耳の中で響いて本人の心の声と勘違いさせ尋問乃至誘導も可能である。また伊賀の骨笛や甲賀の毛琴*14は音声は伝えられないが音によって誰が呼んでいるかが判別できるのでポケットベルになる。

 服部組ではないが、仲間への通信手段としては信濃のお奈美*15が使った「月ノ輪」は決して落ちない断末魔の鮮血を浴びせ自分を殺した敵を知らせることが出来る。

 間宮林蔵の依頼で南部の分家八戸に出動した伊賀組、その一番手の鵜坂彦五郎は進退窮まって自決。その体から鳩が飛び出してそれまでの調査内容を報告した。死の状況が書かれていなかったことから文書は予め用意されていたモノと思われる。

 二番手水無月民部の「夢の浮き橋」は同輩篠縫之介の書く春画を媒体として、女性を夢遊状態に引き込む。民部は夢だと思わせて置いて女性を孕ませたが、篠縫之介、逆に己の描く絵を介して夢の中で女性を想像妊娠させてしまう。

*1 羅妖の秀康

*2 摸牌試合

*3 忍法とりかえばや

*4 忍者死籤

*5 麺棒試合

*6 忍者梟無左衛門

*7 忍者石川五右衛門

*8 忍法忠臣蔵

*9 忍者車兵五郎

*10 自来也忍法帖

*11 忍法双頭の鷲

*12 忍法日月抄

*13 忍法黒白草紙

*14 秘戯書争奪

*15 くノ一忍法帖

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