忍法系譜 その拾 傍流復古

その壱 信濃流

 最初の登場は信玄の影武者を守る戦い*1であった。九忍の徳川方・伊賀者に対して武田方は猿飛天兵衛、霧隠地兵衛の二忍、それぞれ猿飛佐助・霧隠才蔵の先祖であろう。これに主君真田源五郎をくわえた三名で迎え撃つ。忍法は猿飛の見せた「水牢」のみ。これは降雨を利用して地上を水底と化す術である。信濃流が伊賀系か甲賀系かという問題だが、猿飛は甲賀、霧隠は伊賀なのだから、両方が混ざっていると言うのが正しいだろう。

 武田滅亡の後、真田家は関ヶ原の戦いにおいて重要な役割を果たす。くノ一陽炎*2は上杉家を、猿飛佐助*3は主君幸村の岳父大谷刑部吉継を西軍に引き込む。この時佐助の用いた「人肌外面」は皮膚移植術であった。これは皮を被って変装する術とは区別される。

 幸村旗下の真田くノ一*4は大阪落城の後、秀頼の胤を宿して千姫の侍女として落ち延びた。これを知った家康は伊賀鍔隠れ谷の忍者を繰り出して始末しようとする。

 真田家の忍者は大部分が大坂城へ入った幸村に殉じたのであろう、天和期*5には公儀根来の侵入逃走を阻止できなかった。

 信濃には他に筑摩郷に土着した一族が存在した。百年ぶりに旧領へ戻ってきた戸田家の姫君を巡って*6二人の忍者が術を披露する。

 鴨ノ内記は頭領筑摩縄斎の甥、牛塔牛斎はその下僕であるが、実力的には遜色ない。「天風往来」は彼我の位置を、たとえ閉じこめられていても無関係に、入れ替えることが出来る。「阿吽の遊夢」は左耳に「阿」、右耳に「吽」と声を掛ける事で対象を夢遊状態に陥らせる。基本的には二人一組で行う技だが、無理をすれば一人で出来ないことはない。

 他に屹立した男根を軟体化する「さばおり」や女性の精を採取する「風媒夢精の法」が有る。

その弐 能登流

 能登流の忍者仏桑寺陣八が修行している点から見て甲賀卍谷の系列に属すると思われる。

 卍谷帰りの陣八の忍法については卍谷の稿にて既に紹介済みである。独古銅円の「蝋剣」は特殊な薬物で固めた剣で、これを染みこませて壁を焼き切る事が出来た。これは材料が特殊なため、使用制限があった。同輩真壁万兵衛は匕首で壁を紙の様に斬る事が出来た。

 能登が信長の手に落ちた後上杉家を頼って落ち延びた。上杉能登組は赤穂事件に際して主君の命を受けて赤穂浪士たちを討とうとする江戸組と、国家老の命を受けて赤穂浪士たちの復讐心を挫こうとするくノ一たちの同士討ちを演じる*7

 江戸組の瓜連兵三郎は毒の鱗粉を振りまく蝶を操った。浪打杖之進は同じく虫使いだが、彼の「忍法血虫陣」は体内に飼う虫を両手の代わりに用いる。

 白糸錠閑の五寸の竹の柱に隠れる術や万軍記の「南北杖」は根来起源であろう。また鴉谷笑兵衛の「偕老同穴」は服部組箙陣兵衛の「春水雛」を思わせる。穴目銭十郎の「一ノ胴」は芦名銅伯*8の「なまり胴」を受け継いだのではないか。上杉家は短い間ながら会津を領有していたことがあるし。

 最後に登場した「金剛網」は四人の忍者が互いの間を見えない鋼の糸で結ばれ結界を作るモノで、恐らく能登忍なら誰でも使えるのであろう。しかしこれを以てしても達忍・無明綱太郎を防ぐことは適わなかったが…。

 国家老千坂兵部の命を受けたくノ一たちの目的は仇討ちの意志を挫くことであって相手を殺すことではない。お梁が吹いた針も狙った相手ではなく彼と交わった女性を死に至らしめている。

その拾捌 くノ一術総覧へ続く

*1 信玄忍法帖

*2 くノ一紅騎兵

*3 刑部忍法陣

*4 くノ一忍法帖

*5 忍法双頭の鷲

*6 忍者六道銭

*7 忍法忠臣蔵

*8 柳生忍法帖

 

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