忍者枯葉塔九郎

 山田風太郎忍法帖2「野ざらし忍法帖」ちくま文庫 他に収蔵。

前置き

 この作品は水木しげる大先生による先行漫画化版(ちくま文庫版に併録)が有りますので、三者比較を行います。なお水木版では登場人物の名前が替えられているのがご愛嬌。

究の壱 筧隼人(水木茂之丞)

 鳥取城下に集う浪人の多さに意気消沈した彼は塔九郎の誘いに乗ってしまうわけですが、実際には最後の三人に残っているのだから一刀流の印加と言うのも伊達じゃなかったわけです。とは言え女房を金で売ってしまうやり口には賛同できませんが。

 せがわ版では三年の月日を経て恰幅が良くなっています。この辺は漫画版ならではですね。水木版では多少小奇麗になっている程度。髪の結い方が浪人時代と奉行時代で変わっている(後者は月代がそられている)のは共通。

 大きく異なるのはその最後。二人に逃げられたことを知って逆上したのは原作とせがわ版で共通ですが、原作では二人を追って雪山を上っていくところで終り。対してせがわ版では一揆の鎮圧で負傷していてそのまま野垂れ死に。水木版では一揆衆は上手く宥めて、逃げられたことを知ったのは帰宅の後。馬で追いかけて湿地に嵌ってお陀仏となります。

 いずれも漫画版の方が因果応報ぶりが強調されていますが、悪辣度ではせがわ版が最悪で、次いで原作版。水木版では初めから女房を捨てる算段で無い点がやや救い。刀もこっそりすりかえたわけじゃなくて戦いの中で折れただけだから。 

究の弐 お圭(お花)

 原作では二人きりになってようやく気付いた程度の変化ですが、せがわ版では前後での変化が強調されています。水木版では前後の変化が全く有りません。救出シーンも普通に鍵を開けているだけ。ご自身が片腕なのであまりそう言うグロイシーンが書きたくなかったのでしょうか。

 せがわ版の上手いところは、隼人と塔九郎の会話を立ち聞きしてしまうところ。これで何故お圭が心変わりしたかが分かりやすくなっています。

 原作でもせがわ版でも分からないのは、塔九郎がどうやって妻に入ったか。唯一水木版だけはそこの過程を分かりやすく書いています。原作やせがわ版ではお圭が隙を見て自分で入れたんでしょうねえ。

 水木版で奥方の名前を変えたのは風太郎氏の奥様への配慮(字は違うけど”けいこ”さんですからね)でしょうか。

究の参 枯葉塔九郎(山田風雲斎)

 せがわ版と水木版で造形のインパクトは互角。厚い唇と言うのは原作どおりですが、類人猿に似ていると言う点ではせがわ版の方が忠実か。

 原作では武芸が全く出来ないという設定ですが、水木版では優勝戦の相手と言うことでそれなりの戦いを展開したはずです。

 せがわ版では前座の二人との戦いが微妙に変えられています。一人目は唐竹割りにされて、二人目は地に寝そべったところを胴切り。彼の忍法の欠点は切り離されると戻すのに一手間がかかること。しかし再生の速さではかの薬師寺天膳を凌ぎます。

究の肆 蛇足

 さて塔九郎とお圭は何故鳥取領内にいたのでしょうか。隼人が郡代になっているとは知らないから鳥取城下さえ避ければ安全と考えたのかもしれませんが、あるいは鉢合わせも計算の内だったかもしれません。

 がここで敢えて別の分析を試みたいと思います。そもそも塔九郎は何故鳥取城下にいたのか。彼が忍者である以上、何かの任務を帯びていたとは考えられないでしょうか。そもそも三十両というのは簡単に出せる額では有りません。原作では「天性として、かた苦しい仕官などはむかぬ」と言っていますが、任務の最中なら仕官できないのも道理です。 

 お圭を手に入れたのは行きがけの駄賃として、再度鳥取領内に踏み込んだのもやはり何かの調査任務。あるいは八頭郡代の苛斂誅求ぶりを調べに来たのかも。

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