忍法帖剣士録

伝の壱 柳生創世期

 「忍法創世記」(以下「創世記」と略す)に描かれた柳生の起源と、「柳生十兵衛死す」(以下「死す」と略す)に示された起源では明らかに食い違いが生じます。方や忍法帖、方や室町物という区分けなので別物としても良いのですが、双方を年表に転記する為に記述を取捨選択します。

 まず「創世記」の柳生。元弘の変で笠置に落ち延びた後醍醐帝と楠木正成を引き合わせた柳生中坊と播磨守永珍が同一人物で、この中坊=永珍が三兄弟の曾祖父であり、兄弟の父が孫次郎家宗となっています。この家宗は弓の名手であったが伊賀との戦いで幼い三兄弟を残して死亡。

 次ぎに「死す」では十兵衛満厳の実父が石塔斎家宗で、彼がまだ創世期にあった剣法に興味を覚えて愛洲移香斎を招いて剣術を習い、当時二十代であった十兵衛が移香斎初めての印可状を与えられています。また中坊が永珍の弟となっているとする柳生家の記録「玉栄拾遺」を紹介されています。

 で後はどれを捨ててどれを取るかです。石刀自の説明に従って中坊が永珍であったと言う話を採用します。石刀自が嫁なのか、永珍の娘なのかが判りませんが、その息子が孫次郎家宗で伊賀との戦いで負傷し当時壮年に達していた一番上の息子を連れて修行の旅に出た。残された三兄弟は勿論のこと、実母の石刀自も息子の生存を知らなかったとすれば話は通ります。家宗と十兵衛の親子は、柳生の庄へ招いたのでなく、旅先で移香斎と出会いその剣術を修得しました。斯くして彼らは「創世記」に描かれた事件とは無関係であった。残された舟馬・七兵衛・又十郎の三人は同腹ですが、それより年かさの十兵衛は三人とは異腹であったとするのが良いでしょう。

 三兄弟の死後、柳生の庄へ帰還した家宗は三兄弟の死を悼み、彼らの眠る石塔にちなんで石塔斎と名乗ることとなった…。その後生まれた十兵衛の息子を又十郎と名付けたのもこの父親でしょう。

参照頁 忍び組頭列伝 外伝・壱 柳生一族

伝の弐 山風版武蔵伝 完全版

 忍法帖に随所に登場。手元にある限りのテキストを順に追っていくと、まず父・無二斎が吉岡の先代憲法と戦い(「忍法剣士伝」)後の因縁を作った。

 関ヶ原では宇喜多秀家に従って西軍であったと言う説と、黒田如水の元で九州にいたという話もある様だが、その辺は一切触れられていない。たしか「吉川武蔵」は関ヶ原のくだりから始まるわけで、ここを突っ込むと話がややこしくなるわけですね。

 慶長十五年頃、北条安房守を頼って徳川将軍家への仕官を求めたが、柳生の門弟を装った安馬谷刀印の合奏刀(左右の手が全く異なる動きをする)を見て断念(「銀河忍法帖」)。

 おそらくその直後に本多家の隠密として拾われて、佐々木小次郎をコンビを組んで活躍。本多家の掟に背いた小次郎を討ち果たすように命じられる(「叛旗兵」)。小次郎は武蔵との対決を想定して服部家で修行し燕返しを編み出すが、武蔵は江戸から小倉へ向かう道中で服部組の襲撃を受け、彼の秘剣を無効にする技と心を体得してしまう(武蔵忍法旅)。この暗殺命令が本多正信から出ている当たりが皮肉ではあるが。

 小倉で小次郎を敗った後、細川家の御曹司・長岡与五郎興秋の挑戦を退ける。興秋は大阪城にまで追いかけてくるが、再度の対決は実現しなかった(「剣鬼喇嘛仏」)。彼が落城前に消えたのは(入城も含めて)旧主・本多長五郎からの指示であろうと思われる。

 寛永の初め頃家光に拝謁したが、仕官は辞退。筏織右衛門には「家光は仕えるに値しない無道の主君である」と語った(「忍びの卍」)。慶長の江戸入り(「銀河忍法帖」)とこの寛永の江戸入りを混同していたが、後者には北条安房守が介在しない。但し史実の北条安房守は慶長生まれなので実際に関与するとしたら後者である。

島原の乱には養子伊織は家老を務める小笠原家の軍監として参加、由比正雪と供に荒木又右衛門と天草四郎が魔界転生する瞬間を見る(「魔界転生」)。細川家が彼を受け入れたのは、本多家の隠密として細川家と絡んだ時の因縁であろうか。

 死の直前、宗意軒の訪問を受け魔界に転生する。転生衆最後の一人になった時、宗意軒の鎖を引きちぎって生前の妄執(徳川宗家への仕官)を果たそうとして十兵衛に阻まれる(「魔界転生」)。十兵衛本人が言っている様に二刀を使っていれば多分武蔵が勝てたのであろうけど…。

伝外 魔界転生映像化私論

 100の質問に映像化の希望として、完全版「魔界転生」を挙げたけど、この大作を全編映像にするのは流石に辛かろうから、趣味的に再構成を試みたい。無謀ですね。

 要は切り口をどう取るかだと思うのだが、これを剣豪小説だと捉えればどうにか絞り込める。つまり数多の作家が試みた「柳生対武蔵」の決戦である。

 まず、地獄変第一歌、武蔵が魔界転生の光景を見る場面、そして武蔵が死の直前、忍体に入る場面を取る。これで魔界転生のプロセスは一応抑えられる。そして田宮、関口、木村の三人が娘達を救い出し、転生衆の追撃を受けるところ。後の話を圧縮するために此処で転生衆は何人か消えて貰う。候補はマイナーな田宮坊太郎と殺られ方があっけなかった荒木又右衛門。よって後で十兵衛と対決するのは槍の宝蔵院胤舜、尾張柳生の如雲斎、十兵衛の父・但馬守宗矩、そして宮本武蔵の四人となる。

 天草四郎は、角川映画における沢田研二は個人的には好みなんだけど、これから作るとなると他に適役が思いつかないし、外しても良い。本来剣豪じゃないから主題に合わないし、原作通りに作る場合わざわざ出す意味合いは薄い。よって十兵衛は最後までその存在を知らずに終わる。そして最後に武蔵に殺られた宗意軒を今度は彼の力で転生させて何処かへと消えると言うのが良いかも。

伝の参 一刀流・小野家の流転

 一刀流の開祖は伊藤一刀斎である。その後を継いだ小野次郎右衛門忠明は柳生家と並んで将軍家の指南役となったが、当主の政治力の差か方や万石取りの大名なのに対し、小野家は高々六百石の旗本と大きく水をあけられた。必然的に小野家は柳生家に対して必要以上にライバル心を抱くことになる。

 初代と二代目は老いさらばえてなお死なない師匠に悩まされた(「死なない剣豪」)。泰平の元禄時代に生きた三代目忠於は将軍綱吉から孫の志麻を召し出され苦慮することになる(「濡れ仏試合」)。彼は志麻を「生涯不犯の女」とすると宣言し、これを守る様に弟子の十五夜孫六に守らせるが、孫六は同時に己の属する甲賀組を介して志麻を犯す様に命じられる。その顛末は…。

 更に降って九代家重の御世。小野の娘お琉は柳生家の七代目采女との縁組みによって小野家の興隆を企図するが、小野善鬼の六代の末孫を名乗る神子上背鬼の登場によりその目論見は思いがけない方向へと向かう(「逆櫓試合」)。

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