ウヨクとサヨク

§0 ウヨクとサヨクの間

 「自分と社会が合わないとき、(常に)社会を自分に合わせて変えようとするのがサヨク、逆に(常に)自分を社会に合わせていこうとするのがウヨク」

 さてかく言う自分は如何に…。

§1 サヨクの事例

 某掲示板にて団塊の世代のP氏が「サヨクの主張は国家を衰退させるのが目的ですから、騙されてはいけません」と書いていたので、「…いまどきのサヨクはそこまで深く考えて行動していないと思います」と返したのですが。その付け足しでこの定義を書いたら、じゃあ俺もサヨクかと(実際にはもっと穏やかな表現で)詰め寄られました。

 自分はサヨクではないとして、ご自分の思想信条を切々と語られました。あの左翼全盛の時代に、堂々と保守の思想を高らかに主張したそうです。ご立派だとは思いますし、自分には到底真似出来ない。というよりも私はそこまで保守に肩入れも出来ません。愛国心は一種の方便だと思っていますし。

 取りあえず「常に」を補足して訂正を出しました。書かなくても流れで理解出来ると思ったんですけどね。訂正を受けての反応は有りません。おそらくは納得はされなかったのでしょう。あの世代の方はサヨク=悪というすり込みがあるんでしょうから。

 ベルリンの壁が崩れて以後、サヨクとウヨクの意味合いは大きく変貌しました。P氏の主張は常に自分が正しいと言う信念に満ちあふれていて、やはり(私が定義するところの)サヨクに該当すると思えます。常に自分の方が正しくて訂正の必要が無かった言う氏の主張が事実とすれば、相当な天才だったと言うことですね。そうサヨクにはたまに天才が出るから厄介なんです。既存の価値観を覆す革命家は総じて紙一重でした。

 サヨクでもウヨクでも問題なのは盲信。ウヨクは社会に対する盲従なので堅固な集団を形成しますが、サヨクは自己に対する過信なので互いの相違を埋められずに共食いを起こします。サヨクの集団を維持するには強力な中央集権が必要となる訳ですね。自由主義者の自分としてはどちらも息苦しい。

§2 ウヨクの事例

 別の掲示板で同じテーマ(まだ結論が出ていないのでここでは触れません)で投稿をしているのですが、現在に関する考察なのに、元々はこうだったのだと言う講釈を上げてくる方が居ます。まあそれも大事なのでしょう。しかし、その流れで「悪貨は良貨を駆逐する」と来ました。

 私の提案がある種左翼的だと思われた(実際には左翼を茶化す意図だったのですが)のでしょうが、明らかにウヨク的なツッコミです。ウヨクの方々は、人間というのは放っておくとどんどん劣化すると考えがちのようで。逆にサヨクは常に人間は進化すると思いこんでいる節が…。中道的視点に立てば、「人間は良くも悪くも成らない。ただ状況に応じて変化するだけ」だと思うのですけどねえ。ウヨクは悲観的で救いようがありませんが、サヨクは良くも悪くも楽観的でまだ好感が持てます。

 問題は社会が何故そうなっているのかを立ち止まって考えること。経緯が分かれば何もすべてをぶちこわして一から組み上げよう等とは思わないでしょう。そうなればもはやサヨクではなくホシュと言うべきかも知れません。

 ただ、一度自分が正しいと思いこむとなかなか微調整が効かないんですよね。自己と他者を相対化して客観視すること。それが私の目指す中道=功利主義の理想です。只の懐疑主義とも言いますけど。

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