戦争と平和

1 功利主義的平和論 

 当然、造語である。「金持ち喧嘩せず」と言い換えても良い。経済性を考慮しない社会システムは持続可能性を持たないと言うのがこの論の中核である。

 日本は武器の輸出をしていない。しかし、軍事における経済効率を考えるなら、武器は輸出するべきである。工業製品の例に漏れず、武器も大量生産すればコストが下がる。だが国内需要の増加(これは軍拡を意味するわけだが)だけではコストの低減化には限界がある。

 また、戦わない軍隊はその強さが維持できず、使われない武器はその性能が保証されない。武器を戦争当事国へ売る事は実戦テストにも成る。

 但し、以上の論理は経済的な側面にのみ着目したモノである。「武器輸出ゼロ」の実績は国際政治の駆け引きの際にカードとして使える。国際世論を武器輸出禁止の方向へ持っていければ、戦争に掛かるコストが嵩み、日本が掲げる平和主義にも合致するだろう。

 ならば平和な方が儲かる世界を築けば良い。これが功利主義的平和論者のからの主張である。

2 功利主義的戦争論

 世の中には、兵器や軍隊があるから戦争が起こるのだと考えている空想的な平和主義者が存在する。少し歴史を学べば、こうした「平和主義者」の存在が戦争を招き寄せる事が判るはずだ。そもそも戦争は何故起こるか。戦争とは話し合いで決着の付かない問題を解決する最終手段である。

 この手段は確かにハイリスクだが、成功すればリターンは通常の話し合いよりも大きい。話し合いでは互いの妥協が求められるために、希望が100%叶うと言うことはあり得ないのに、戦争では初めの希望以上の利益が得られる事すらある。

 だが筋金入りの功利主義者の考え方はもっと深い。戦争は必ず破壊をもたらすために、人類全体の資産は目減りする。つまり勝者側の利得より敗者側の損害の方が大きい、最悪のマイナスサムゲームになってしまうのである。

 つまり戦争を前提とした社会システムはいずれ破綻する筈なのだが…。

3 戦争の効用論

 戦争が何故無くならないか。効用論的に考えてみよう。

 解答その1 人類社会は(気付いていないだけで)徐々に滅亡へと近づいている。

 これまでの戦争は局地的には人口を減らしてはいるが、総体としては人類は増え続けている。だが人類全体を巻き込んだ、全面核戦争のようなモノが起これば人類の滅亡を引き起こすであろう。だが、戦争以外を原因とする環境破壊でも同様の結果が起こるであろうし、むしろその方が可能性としては高そうである。また、環境破壊の要因の一つが人口爆発であることを考えると、戦争によって生じる人口減少はむしろ環境に優しいかも知れない。

 解答その2 戦争のない時(要するに平和なとき)のプラスが、戦時のマイナスをうち消して余りあるモノであるので、結果として人類は繁栄を続けている。

 これでは戦争が無くならない理由が説明できない。

 解答その3 戦争には「見えない」効果が有って人類社会の繁栄に寄与している。

 感情的には受け容れ難い。だが戦争にも効用はある。(総体的にプラスになるかと言う訳ではないが)

1 淘汰機能

 戦争は人口調整機能を有する。より正確には人口が増えすぎると利益調整機能が限界に達し、その精算として戦争が起きる。

 但し、人口調整機能は戦争ばかりではない。戦争が無かった江戸時代の日本では別の人口調整が行われていた。そして黒船が来なかったとしても、日本の人口調整機能は早晩限界を迎えたと思われる。

2 社会制度の更新

 戦争は社会制度を劇的に変化させる。国家間の紛争は戦争と言うが、階級間の紛争は革命と呼ばれる。

 民主国家では無血の政権交代が実現している。では世界中に民主制度が広まれば戦争が無くなるのだろうか? しかし米国はその為に他国に戦争を仕掛けるという矛盾を引き起こしている。

3 技術の革新

 戦争は技術革新をもたらす。我々の生活を支えている様々な先進技術は戦争によって生まれた技術の民間転用である。

 技術革新は戦争以外の方法でも発生する。例えばもっと平和的な経済競争などによって。戦争は無くなるべきだが、競争まで否定する事は出来ないだろう。

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