スポーツ国際戦略私論 8 バンクーバー五輪観戦記

 

§1 服装問題

 スノーボード・ハーフパイプの国母選手が腰パン(公式ユニフォームの着崩し)で問題にされていましたが、実際の競技を見れば(フランス選手たちはヒゲを書いていましたね)あれに抗議する方が違和感があります。ハーフパイプ競技はスポーツと言うより芸術、その選手はアスリートと言うよりもエンターテイナー。本来なら邪魔になりそうな音楽用のヘッドホンなんかをぶら下げている選手も。(同じく見せる競技であるフィギュアのスケーターなんか、一見すると派手な衣装ですが装飾は邪魔にならないように成っていましたね)

 国母選手など、前回のトリノ(まだ17歳の高校生)でのインタビューを見ると「オリンピックでないと家族や知り合いに見て貰えない」と言う理由で参加を決めたらしい。いまだとXゲームなんかの中継も流れるし、それほどオリンピックに拘らなくても良いのではと思ってしまう。

 一方で、オリンピックは国を代表して参加するのだからと言う意見もある。確かに参加に関わる費用も税金で賄われているのだろう。しかし、国母選手は国の強化指定も断ってプロとして活動しているのだから、単に金の問題であるなら(本人に強い意志があるなら)自費出場でも出たいと言うかも知れない。少なくとも彼には国を背負ってと言う意識は無いだろう。但しオリンピックに自由参加がありかとなるとこれはまた難しい。そこで話は次節へと進む。

§2 国籍問題

 ペアスケートの川口選手はロシア国籍を取って向こうの男性と組んで出場をした。要するに国内では相手役が見つからないと言う事なのだろう。こうした川口選手の行為に対してマスコミは概して好意的だったように思う。報道も日本人選手並みの扱いだったし、某週刊誌で「男をさがして…」等という下品な見出しを見たが、週刊誌というのは概して扇動的なモノだし。そうかと思えば逆に米国生まれの姉弟(母が日本人なので現状は両方の国籍を持つらしい。さらに二人の妹はグルジア代表で出場している)が日本代表としてアイスダンスに出場したりと、日本でもスポーツによる国籍移動が始まったのかも知れない。

 日本人ではまだ珍しいが、国籍を替えてオリンピックに挑むという選手は海外(特にヨーロッパではEUの成立により国境を越えた”出稼ぎ”が日常なので)ではさほど抵抗が無いのだろう。たかがスポーツの為に国籍をと、日本人は思うのかも知れないが、それを言うなら大相撲はどうだろう。モンゴル籍のまま横綱を張った朝青龍は最後まで叩かれ続けた。日本への帰化をしていたらあそこまではとも思う。あるいはサッカーでは日本の代表になる為に帰化した選手も多い。

 改めて何故オリンピックでは国籍が問題となるのか。それは古代オリンピックが持っていた代理戦争の要素がそのまま継承されているからである。だからメダルは選手自身のモノであるが、同時に国家の栄誉でもある。故に表彰式では国旗が掲揚され、金メダリストの所属する国の国歌が流れる。

§3 四回転の壁

 フィギュアスケート・男子シングルで久しぶりに四回転を跳ばない王者が誕生した。私はあまり詳しくない(競技をじっくり見たのも今回が始めて)のだが、これはフィギュア技術競技か芸術競技かと言う根本的な問題なのだろう。正直言って、ジャンプがなければと言う面白い演技をする選手も数多く見られた。

 技術力を競うので有れば、特定の技を指定してこれをすべて盛り込んだ演技を予選として実施すべきである。でもかつてあった規定という演目は廃止されたんですよね。次回のオリンピックは四回転派のプルシェンコの母国ロシアでの開催なので、それまでに何らかの動きがあるかも知れない。しかし、プルシェンコの後継者が四回転を飛べなくてうやむやになるかも。(あるいは雪辱を期して次回にも参戦してくるか)

 そして女子シングルでは韓国のキム・ヨナと日本の浅田真央が金銀を争った。銅には地元カナダのロシェット選手が入ったが、上位五名の内4名が東洋人(4位の長洲未来選手はアメリカ代表だけど血統的には純日本人なので)という結果に。これで、フィギュアの採点基準が見直されるのは確実でしょう。

 こうした競技ルールの揺れ(かなり押さえた表現をしている)は他の競技にも有る。たとえば惜しくもメダルを逸したフリースキーのモーグル種目。今回はスピードが重視され、高度なエアへの挑戦が忌避された気がする。現在の採点基準ではターン点が半分、残り半分をエア点とスピード点で分けられる。もう少しエア点の比重を上げた方が面白い演技が見られる気が個人的にはするのだが、選手が高得点を狙って無理なエアに挑戦して事故が増えるのを懸念しているのだろうか。

 競技ルールの変更と言えばノルディック複合。かつて日本勢がジャンプで稼いで距離で逃げ切ると言う戦略で一時代を築いた為、基準が変更になったという。日本人が勝つとルールが変わると言われる由縁だ。こういうルールの揺れは傍目にはみっともないが、これも代理戦争を思えば無理はない。実際に血を流すよりは遥かにマシなのだから。

§4 男女の壁

 いくつかの競技を見ていて思ったのは、女子の競技を先に行って欲しいと言う事。男子の競技を見たあとで女子の競技を見るとどうにも見劣りがした。これは技術系の”魅せる”競技に顕著で、ハーフパイプの””帝王”ショーン・ホワイトの演技は圧巻だった。唯一の例外はフィギュアスケートだが。あれだけは別だと思えるのは、あれが純粋スポーツと言うよりも半ば芸術分野に足を突っ込んでいるから。男子の四回転は確かに凄いと思うけど、それだけで勝負が決まってしまうのは味気ない。

 興味深かったのは男女で滑るペアとアイスダンス。これは男女一組でないと成立しない。動きを揃える必要がある水泳のシンクロとはまさに対照的。男女が互いに己の持ち味を生かして一つの演技を組み立てる辺りに美しさを感じた。男女の力関係が全く同等ならこの競技は成立しないのである。これが正しい男女のあり方だと思うのは男に都合の良い考え方だろうか。

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